京都の仏像(2)
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インデックス
※洛南
01平等寺因幡堂
02泉涌寺来迎院
03泉涌寺即成院
04戒光寺
05悲田院
06安楽寿院
07法界寺
08平等院
09万福寺
10三室戸寺
11随心院
12長講堂
※南山城
13蟹満寺
14海住山寺
15岩船寺
16浄瑠璃寺
17神童寺
18松尾神社
19禅定寺
20寿宝寺
21観音寺

※北部
22安国寺
23金剛院
24松尾寺
25宝林寺
26金剛心院


平等寺因幡堂 京都市下京区因幡堂
997年、橘行平が、帰国の途中夢告に
より海中から引き上げた 薬師如来を
祀ったのが、当寺の起こり。平安京で
は私設寺院の建立は禁止されたが貴
族の持仏堂や町堂は認められていた。

01-1 平安中
薬師如来立像(1)
像高 162cm、一木造、漆箔仕上げ。
左手に薬壺を持ち、右手は上げて施
無畏印。収蔵庫に安置される。

02-2 平安中期
薬師如来立像(2)
背中に節が見られる堅くて彫りにくい
桜類の広葉樹の一木造。内刳も施さ
ず、重量がある。

泉涌寺来迎院 京都市東山区泉涌寺
806年真言宗の宗祖である弘法大師
空海が唐へ留学した際に感得した三
宝荒神を現在地に祀ったのが始まり。

02-1 鎌倉
三宝荒神坐像
像高 68cm、寄木造、彩色、玉眼仕上
げ。唐風衣冠束帯、四臂で五輪塔 法
具を持つ。日本最古の荒神像。

泉涌寺即成院 京都市東山区泉涌寺
992年に恵心僧都が 伏見に建立した
光明院が始まり。1594年に伏見城築
城に伴い大亀谷に移転。明治の廃仏
毀釈で廃寺となったが仏像が 引き取
られていた泉涌寺山内で復興。

即成院 那須与一石塔
那須与一が武運を祈願した寺院。
本堂裏には与一の墓と言われる
石塔がある。

03-1 平安後期
阿弥陀二十五菩薩(1)
阿弥陀如来を中心に26体の仏像が 亡
者を西方浄土へ導く来迎図を立体的に
表現。26体のうち、11体が 平安後期の
作。 残り15体は江戸期の補作。


03-2 平安後期
阿弥陀二十五菩薩(2)
阿弥陀如来の左には 亡者の魂を乗
せる蓮台を捧げ持つ観音菩薩、右に
は合掌する勢至菩薩が坐す。

03-3 平安後期
阿弥陀二十五菩薩(3)
その他の23体の菩薩像の多くは 楽
器を演奏する姿で表される。西方浄
土への来迎を立体像で表現。

戒光寺京都市東山区泉涌寺
後掘河天皇のご勅願所として鎌倉
時代中期に創建された。応仁の乱
で伽藍を消失するが、幾度かの移
築後、17世紀中頃、皇室の菩提所
である泉涌寺の塔頭となる。

04-1 鎌倉
釈迦如来
像高は約5.4m、台座から光背部ま
で約10m、木造では世界最大の像
といわれる。 桧材の寄木造、玉眼
嵌入の彩色。運慶・湛慶親子の作。


04-2 鎌倉
光背・台座も同時代のもので、蒔
絵彩色も良く残りる。首の付着物
は、東宮時代の後水尾天皇が襲
われた時に釈迦如来が 身代りと
なり首から流した血の跡と伝わる。

悲田院 京都市東山区泉涌寺
1308年に無人如導が 一条安居院
を創建し、西悲田院を引き継ぐ。
室町期に悲田院は勅願寺となり皇
崩御の際には葬儀が行われた。1646年に現在地に移された。

05-1 鎌倉
宝冠阿弥陀
像高約72cm、桧材の割矧造。近
年、頭部から墨書が発見され 快
慶作と断定。快慶の理知的 絵画
的で繊細な作風が見られる。

05-2 鎌倉
髻を高く結い上げ肩を露わにしな
い通肩の姿は、鎌倉 浄光明寺の
阿弥陀如来のように本来は、髻を
覆うように宝冠を被っていたと思
われる。


安楽寿院 京都市伏見区竹田
平安末期、鳥羽上皇の鳥羽離宮内
に造営された仏堂が起源。火災や
地震で当初の建物は喪失。境内の
堂宇は、近世以降のもの。

06-1 平安後期
阿弥陀如来
像高87.6cm、桧材の寄木造。
胸の中央に卍を刻むことから
卍阿弥陀と言われる。光背の
中心部分と台座も当初のもの。

法界寺 京都市伏見区日野西大道町
1051年に日野資業が日野家伝来の
小さな薬師像を胎内に収めた 薬師
如来像を造り、薬師堂を建てたのが
法界寺の始まり。

法界寺阿弥陀堂(国宝)
鎌倉初期建築の阿弥陀堂には11世
紀末頃に作像された 定朝様の丈六
の阿弥陀如来像(国宝)が、安置され
ている。周りには絵画史上貴重な天
人の壁画(重文)が描かれる。

07-1 平安後期
本堂天人図
本堂長押上の漆喰の壁間には 天人
の壁画が描かれており、日本最古で
で絵画史上貴重なもの。

07-2 平安後期
国宝:阿弥陀如来坐像(1)
像高約280cm、檜の寄木造、漆箔。
上品上生の弥陀定印を結ぶ。光背
には、飛天が彫られる。

07-3 平安後期
国宝:阿弥陀如来坐像(2)
目は薄く開き、眉は弧を描き、頭部に
に小さい螺髪、鼻・口は小振り。平等
院鳳凰堂の本尊に最も近い。

平等院 宇治市宇治蓮華
宇治川西岸の源重信の別荘を 藤原
道長が譲り受け、その子頼通が1052
年に天台宗寺院に改めた。創建時、
唯一の遺構となる鳳凰堂には1053年
に定朝作造の阿弥陀如来像を安置。
08-1 平安後期
国宝:天蓋
阿弥陀如来の頭上に飾られる天蓋で
中央の円形と それを大きく囲む方形
の二重天蓋になっている。 金箔を施
し花などを彩色で入れる部分もある。
08-2 平安後期
国宝:阿弥陀如来(1)
像高277.2cm 、寄木造、漆箔仕上
げ。 蓮華座に結跏装坐し、上品上
生の定印を結ぶ。定朝の作像。
08-3 平安後期
国宝:阿弥陀如来坐像(2)
定朝像は仏の本様と讃えられ定朝様
として仏像の規範となる。また大量注
文に応える寄木造を確立。




08-4 平安後期
国宝:雲中供養菩薩(2)
いずれの像も飛雲に乗っているため
阿弥陀如来と共に来迎する菩薩像を
表したもの。

08-5 平安後期
国宝:雲中供養菩薩(1)
約30cmの浮彫り菩薩像は 中堂の
長押上の壁を飾る。 楽器を奏で舞
う像は52体現存する。

万福寺 宇治市五ヶ庄
1661年 中国臨済宗の隠元を開山に
迎え徳川家綱の援助で建立。堂宇や
仏像等は明末期の様式で作られる。
本堂にあたる大雄宝殿は チーク材を
用いた歴史的建造物。

09-1 江戸初期
天王殿・布袋
像高110.3cm木造、漆箔。弥勒菩薩
の化身といわれる。 南宋の高僧で、
定応大師と号する。

09-2 江戸初期
天王殿・韋駄天
像高200cm、三十二将軍神の筆頭で
護法善神として 大雄宝殿の御本尊と
対面し 伽藍を守る。

09-3 江戸初期
大雄宝殿・羅ゴ羅
人は心の中に必ず仏の心を宿すとの
教えから胸を両手で切り開いて、中に
ある釈迦の顔を見せる。

09-4 江戸初期
大雄宝殿・韋駄天
像高120.6p、像容は元朝の宮廷武
官に擬えたもので、 明朝彫刻を伝え
る遺品。

三室戸寺 宇治市莵道滋賀谷 
770年、光仁天皇の勅願により、奈良
大安寺の行表が伽藍を建て御室戸寺
を創建。その後、光仁・花山・白河の
三天皇の離宮となり、御の字を三に置
き換え改称したとされる。

10-1 平安後期
阿弥陀三尊像・中尊
像高約90cm、定印。 高い肉髻、整っ
た螺髪、顔つきや体躯は おだやかに
まとまり、脚部は 左右によく張って安
定感がある。


10-2 鎌倉
勢至菩薩・脇侍
像高101cm、跪坐の姿勢をとる来迎
像であるが、三千院の阿弥陀三尊の
ように上体は 前傾させていない。顔
つきは引き締まる。

10-3 鎌倉
観音菩薩・脇侍
像高101cm、足の指など足裏の一部
が 衣から出ている足裏観音とも呼ば
れる。

10-4 平安後期
釈迦如来立像
像高150cm、目は大きく、瞳に黒石を
入れ、髪は螺髪でなく縄のように巻き、
衣は細かく襞を刻んだ清凉寺式釈迦
如来像の最古の遺品。

10-5 平安後期
毘沙門天立像
像高105cm、寄木造 、彩色仕上げ。
 忿怒相の抑制に院政期の作風が残
るが、肉づきや身体の構えに自然な
動きを見せる。


随心院 京都市山科区小野御霊町
991年、仁海僧正が開基。増俊が塔頭
に随心院を建立。その後、後堀河天皇
より門跡の宣旨をうける。応仁の兵火
で炎上したが、1599年、増孝が再興し
現在に至る。

11-1 鎌倉
如意輪観音坐像
像高97.4cm、 寄木造、彩色仕上げ。
 官能的な表現がなされ輪王坐の姿勢
を とる。右膝を立て、両足の裏を十字
に合 わせて坐る。

11-2 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高86,1cm、漆箔仕上げ。 丸顔の肉
付き良い面相に、目尻は下がり気味で
穏やかな表情をする。結跏趺坐し阿弥
陀定印を結ぶ。定朝作と言われる。

11-3 鎌倉
金剛薩タ坐像
像高101,8cm 、寄木造、 内刳り、彫
眼、漆箔仕上げ。像が単独で祀られる
例は少ない。像内に「巧匠法眼快慶」
の朱書銘があり快慶の晩年作になる。

長講堂 京都市下京区富小路通五条
後白河法皇が晩年に過ごした院御所
に1183年、建立した持仏堂が起源。
六条西洞院にあったが、度重なる火
災のため転々と寺地を変え、1578年
豊臣秀吉によって現在地に移された。

12-1 平安後期
阿弥陀三尊・中尊
像高174.2cm、肉髻は堂々と高く、螺
髪は美しく並ぶ。目は半眼。上半身は
大きく、腕はゆったりと伸びて、腹前で
定印を結ぶ。

12-2 平安後期
勢至菩薩・脇侍
像高96.1cm全体に若々しい雰囲気で、
姿勢よく、衣の流れも優美な仏像であ
る。外側の足を蓮台からおろし、踏み
下げている。

12-3 江戸初期
後白河法皇坐像
像高58.5 cm、玉眼、彩色仕上げ。眼
光鋭い気品のある顔立ちで、 源頼朝
から「日本国第一の大天狗」と評され
た。


蟹満寺 木津川市山城町綺田
690年代、秦氏によって建立。寺名は
蟹幡(かむはた)郷という古代の地名
に由来する。平安時代以降は今昔物
語に出てくる蟹の恩返し縁起で有名。

13-1 天平
国宝:釈迦如来坐像(1)
像高240.3cm、重さ2トンの金銅製で
創建時より不動とされたが、 台座に
江戸期の墓石が見られた。

13-2 天平
国宝:釈迦如来坐像(2)
作像時期や様式が近いのは、薬師寺
の薬師如来坐像や、興福寺国宝館の
仏頭などがある。

海住山寺 木津川市加茂町
735年聖武天皇の勅願により良弁僧
正が開創。海住山寺は、衆生を救済
する海のような観音の誓願への安住
を意味する。 五重塔は国宝に指定さ
れている。

海住山寺五重塔(国宝)
1214年に完成。 総高17.7mと室生寺
に次いで小さい。 全体的に細身だが
初重に設けられた吹放ちの裳階が安
定感を与える。

14-1 平安前期
本堂・十一面観音立像
像高167.7cm、榧材の一木造、彩色仕
上げ。彩色はほとんどが剥落し現在見
られるのは後世の補彩。

14-2 平安前期
本堂・十一面観音立像(2)
頭頂は木を削り出したままで、背面も
荒彫りを残し、観音が 木から現われ
た様を示すといわれる。

14-3 平安前期
奥の院・十一面観音立像
像高 45.5cm、一木造の彩色のない
檀像作り。緻密な彫刻が施されてい
る。

14-4 平安前
奥の院・十一面観音立像(2)
頭上に仏面、警の中ほどに3面、地
髪の上に7面がある。貞慶の念持仏
であったといわれる。

岩船寺 木津川市加茂町岩船
823年に嵯峨天皇の皇后の援助によ
り 善根寺に伽藍を造営し岩船寺とな
る。平安期に伽藍が、整備されたが、
鎌倉初期の兵火で焼失。江戸期に入
り幕府の庇護の元、再興する。

岩船寺三重塔
元々、835年に創建。現在の塔は1442
年に再建された。初重の内部には来迎
柱を立て、須弥壇と来迎壁を設ける。
各層の屋根を支える垂木には 天邪鬼
である隅鬼が彫刻されている。

岩船寺本堂内陣
鎌倉時代の四天王立像のほか、元は
三重塔に納められていた普賢菩薩騎
象像、十一面観音像など 多くの重要
文化財を含む仏像が安置されている。

15-1 平安中期
岩船寺・阿弥陀如来坐像
像高284cm、榧の一木造、漆箔、彩
色仕上げ。 紅色の彩色が残る衣が
古様を示す。上品上生印を結ぶ。

15-2 平安中期
阿弥陀如来坐像(2)
 胎内の銘文から946年作造と判明
平安前期彫刻が和様表現に移行す
る過渡的な在銘基準作例。

浄瑠璃寺 木津川市加茂町
1047年義明上人により本堂が建立。
浄土式庭園の池を中心にして東に三
重塔の薬師仏、西に本堂の阿弥陀仏
を配し極楽世界を現す。 本堂には横
に長く九体の阿弥陀如来を安置。

三重塔
桧皮葺、高さ 16.08m、初層には塔
を支える心柱がなく、 初層の天井よ
り上層のみに心柱が設けられる。
広々とした 初層の中央部には本尊
の薬師如来を安置する。

16-1 平安後期
国宝:九体阿弥陀如来
平安時代には京都を中心に九体阿
弥陀堂は30 以上あったが、現存で
は浄瑠璃寺が唯一の遺構となる。
1107年に木像9体が祀られた。

16-2 平安後期
国宝:九体阿弥陀如仏・中尊(1)
像高は 224cm、重さ200kg、ヒノキ材
の寄木造、漆箔仕上げ。来迎印を結
び台座に坐る。

16-3 平安後期
国宝:九体阿弥陀如仏・中尊(2)
脇仏8体の像高は139cmから145cm
で中尊より低い。印相は8体とも阿弥
陀の定印を結ぶ。

16-4 鎌倉
吉祥天立像(1)
像高90.0cm。檜の一木材、割矧ぎ造
彩色、截金仕上げ。体部は白肉色衣
は繧繝彩色を含む極彩色。

16-5 鎌倉
吉祥天立像(2)
右腕は下げて与願印とし、左腕は肘
を曲げ、掌を肩の辺に上げて宝珠を
捧持する。

16-6 平安後期
国宝:持国天(1)
像高は170cm、檜材の 寄木造、漆箔
彩色、截金仕上げ。当初の彩色 截金
文様が残っている。
京都博物館:多聞天

16-7 平安後期
国宝:持国天(2)
肉身部は赤色に塗り、頭に花飾り
の宝冠を被り、腹部には獅噛が付
く。 右手で宝剣を横に構える。

16-10 平安後期
国宝:増長天 (1)
像高170.0cm、檜材の寄木造、漆箔
彩色、截金仕上げ。当初の彩色と截
金文様が残っている。
東京博物館:広目天

16-11 平安後期
国宝:増長天(2)
身体は赤色に塗られ、右手には三鈷
杵を掲げて、 左手では戟を胸前で支
える。長い袖が横になびく。

神童寺 木津川市山城町
聖徳太子によって創建されたと伝承。
山岳信仰が栄え、吉野山に対して北吉
野山と号した。一時は二十六坊の堂宇
が存在したが、兵火で全山焼失し、現
在の本堂は1406年に再建 された。

17-1 平安後期
愛染明王坐像
像高64.5cm、桧材の寄木造、彩色仕
上げ。弓矢を天を向ける天弓愛染。
他の作例は金剛峰寺放光寺に現存。

17-2 平安後期
不動明王立像
像高162.1cm 、彩色、寄木造。頭髪を
尖った巻髪とし 両眼を見開き、上の
歯で下唇を噛む。 波切白不動尊と呼
ばれ、園城寺の黄不動と特徴が一致。

17-3 平安後期
阿弥陀如来
像高137cm、寄木造、 漆箔仕上げ。
来迎印を結ぶ。 粒の細かい螺髪、丸
い顔、薄い体形、浅く、ゆるやかな衣
文など典型的な定朝様。

17-4 平安後期
毘沙門天立像
像高124.2cm、桧材の寄木造、 彩色
仕上げ。岩座に立ち、 兜 鎧を身に着
 け、白い彩色の後が残る。 右手に三
叉戟、左手に宝塔を載せる。

17-5 平安中期
日光菩薩
像高162.4cm、桧材の一木造、彩色仕
上げ。右腕を伸ばし左腕を屈している。
地方仏師の手による。日光・月光菩薩
は作風の違いから、一具ではない 。

17-6 平安後期
月光菩薩立像
像高171.5cm、桧材の寄木造、彩色仕
上げ。中央の仏師の手になる。 通例
では日光菩薩が左手、月光菩薩が右
手を上げるが、2体とも左手を上げる。

17-7 室町
蔵王権現
像高270cm、右足を高く上げ、右手で
三鈷杵を振り上げるなど全身で躍動
感を表現。体色に施された群青の彩
色がよく残る。

松尾神社 木津川市山城町椿井
松尾神社は 701年に秦都理が 霊夢
に宝珠を得て 神体とし社殿を創建し
たのが始まり。本殿には春日造の社
殿が2社が 並んでおり向かって左が
月読命を祀る松尾神社。

松尾神社(御霊神社)
右は明治に合祀した牛頭天王を祀る
御霊神社。松尾神社は下の宮と呼ば
れ、御霊神社を上の宮と呼ばれる。

18-1 平安後期
牛頭天王像
像高約60cm、甲冑をまとい、右手に
矛を持つ。頭上に牛頭を被り、厳しい
顔つきで前方をにらむ。

禅定寺 京都府宇治田原町
991年、東大寺の別当であった平崇上
人によって開基。 摂関家の尊崇を受
け、かなり栄えたが、戦国時代には衰
微した。江戸時代になり、曹洞宗寺院
として再興されて現在に至る。

19-1 平安中期
十一面観音立像
像高286cm、桜材の一木造、背中に内
刳り。量感のある体躯や翻波式、渦巻
き衣文に古式が見えるが、表情は和風
化し、彫りも穏やか。

19-2 平安中期
日光・月光菩薩立像
像高・日光203cm 、月光208cm、サク
ラ材の一木造、彩色仕上げ。両手足は
桧材。本来は薬師如来の脇侍であるこ
とから、他寺の遺仏ともいわれる。

19-3 平安中期
四天王立像
像高157.6〜163.9cm、持国天、増長
天は桜材。広目天、多聞天は桧材に
サクラ 材の両手が寄せられている。

19-4 平安中期
文殊菩薩騎獅像
像高57.3cm、桜材と桧材の 一木造、
彩色仕上げ。左足は蓮華台座の上に
載せ、右足は踏み 下げる。文殊菩薩
の半跏椅像は 珍しい。

19-5 平安中期
地蔵菩薩半跏像
像高87.9cm、頭が大きく、磐座に坐
す。右足を曲げ左足を踏み下げる地
蔵半跏像は延命地蔵という。翻羽式
の衣文が見える。

寿宝寺 京田辺市三山木
704年に創建されたと言う。往時は 木
津川のそばに位置しており 七堂観音
が備わった大寺であったが、度重なる
木津川の氾濫により 1732年に現在の
小高い地に移転した 。

20-1 平安後期
十一面千手千眼観音
像高約180cm、 桧材の一木造、素木
仕上げ。実際に千の手を持つ観音菩
薩三大名作の一つ。他の二仏は、葛
井寺、唐招提寺に所在する。

20-2 鎌倉
聖徳太子立像
像高112.3cm、寄木造。父親 用明天
皇の病気平癒のために、香炉を捧げ
祈願する孝養像。1875年廃仏毀釈に
より廃寺になった蓮華寺より移された。

観音寺 京田辺市字普賢寺
7世紀後半に 天武天皇の勅願により
義淵僧正が創建。744年良弁僧正が
伽藍を増築し七堂伽藍を擁する大寺
院となった。 度々の火災で現在は本
堂を残すのみ。

 観音寺本堂
本堂だけが1953年に再建され現在
に至る。

21-1 天平
国宝:十一面観音立像(1)
良弁僧正開基時に造仏される。聖林
寺の十一面観音像としばしば比較さ
れ名作と言われる。

21-2 天平
国宝:十一面観音立像(2)
像高 172cm、重量66Kg、 木心乾漆
造。脱活乾漆造と異なり内部に木材
が残るため重量がある。

安国寺 綾部市安国寺町
元々993年に光福寺として創建。上杉
氏の菩提寺として栄えていた。足利尊
氏が幕府を開府した際 安国寺を全国
に設置したが 尊氏出生の地である当
寺は安国寺と改称し筆頭寺院となる。

22-1 南北朝
宝冠釈迦如来
像高157.6cm、桧材の寄木造、玉眼、
漆箔仕上げ。宝髻を結い上げて宝冠
を被り、袈裟を着ける。

22-2 平安後期
地蔵菩薩半跏像
像高約150cm、桧材の寄木造、彫眼、
彩色仕上げ。左手に宝珠、右手に錫
杖を持つ。足利尊氏の母が男子出生
を祈願したと伝えられる。

金剛院 舞鶴市 鹿原
892年に高岳親王によって開山。その
後、荒廃した寺は、白河天皇により復
興、三重塔も建立された。江戸時代に
細川幽斎が、作庭した鶴亀の庭ととも
に植樹した楓が有名。

23-1 鎌倉
執金剛神立像
像高約86cm、寄木造、彩色仕上げ。
快慶の作品であると伝わり、深沙大
将像と一対のものと考えられる。

23-2 鎌倉
深沙大将立像
像高84p、寄木造、彩色仕上げ。動き
のある構図でありながら、筋骨たくまし
い体やしっかりした腰の力強さなど 迫
力に満ちた 快慶初期の作品。

23-3 平安後期
増長天・多聞天立像
像高約160cm、 力強さや動きはなく
上品な姿で貴族好みの像。

23-4 鎌倉
金剛力士像 2躯 
像高約180cm、寄木造。甲冑を着て金
剛杵を持つ武装した姿で、如来を守護
する。 動きのある力強い姿で、迫力が
ある。

23-5 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高約170 cm、寄木造、漆箔仕上
げ。定朝様の平安仏で腹前で阿弥
陀定印を結ぶ。

松尾寺 舞鶴市松尾
708年に唐の僧、威光上人の草庵に由
来。平安中期に観音霊場となり、多くの
信仰を集めた。毎年、釈迦の生誕日に
黄金色の仮面と光背を模した冠を着用
して踊る仏舞が行われる。

24-1 鎌倉
木造阿弥陀如来坐像
像高89.3p、玉眼、桧材の寄木造。頭
体部は左右2材で合わせる。後頭部の
内側にアン阿弥陀仏の墨書があり、快
慶の前期作品と判明。

25-3 鎌倉
釈迦如来坐像
像高141・5p、寄木造、漆箔仕上げ。
上半身は胸が厚い定朝様だが、面長
で、両目の見開きが大きく眼尻が吊り
上がる顔相は定朝様と異なる。

宝林寺 亀岡市宮前町神前
江戸初期に創建された、赤松家の菩提
寺。収蔵庫には宝釈寺の廃絶により移
管された釈迦、薬師、阿弥陀の三如来
像を安置している。また、石庭にある鎌
倉時代の九重石塔も移管されたもの。

金剛心院  宮津市日置
平安期に宝光寿院として創建。 鎌倉
時代に鎌倉の極楽寺の末寺になる。
その後、この地方出身の後宇多上皇
の千手姫が、愛染明王と金剛心院の
名前を賜わり、金剛心院に改称。

25-1 平安後期
薬師如来坐像 像高120・5p、寄木
造、漆箔仕上げ。上半身に比べて両
脚の幅が広くなり、頭部の螺髪は や
や大きめで、目鼻は顔の中央に集ま
っている。

26-1 平安前期
如来立像
像高82.6cm、桧材 の一木造。豊満な
面相や肩幅の広い堂々たる像容、隆
起させた両腿の間に表されたY字形の
衣文や内 刳の形式など 古式を残す。

25-2 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高139・5p、寄木造、漆箔仕上げ。
正面は立派に見えるが、横面からは胸・腹部は厚くない。平安貴族の繊細な美意識を表現。

26-2 鎌倉
愛染明王坐像
切金、玉眼、彩色仕上げ。 衣文には
精緻な切金や盛上文様を施すほか、
繧繝彩色が施された蓮弁には火焔に
包まれた三弁宝珠をあしらう。

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