京都の仏像(1)
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インデックス
※洛北
01鞍馬寺
02三千院
03峰定寺
04西明寺
05福徳寺
06大将軍八神社
07遣迎院

※洛東
08清水寺
09知恩院三門
10東福寺
11東福寺同聚院
12法性寺
13大蓮寺
14禅林寺
15妙法院

16西方寺
17金戒光明寺
18六道珍皇寺

※洛西
19神護寺
20清凉寺
21大覚寺
22仁和寺
23法金剛院
24松尾大社
25宝菩提院
26真正極楽寺
27遍照寺
28宝積寺
29月輪寺
30二尊院


鞍馬寺 京都市左京区鞍馬本町
770年 鑑真の高弟鑑禎が毘沙門天を
祀る鞍馬寺を開山。 京都の北方守護
の寺として 信仰を集める。本尊として
千手観音、毘沙門天、護法魔王尊が
 三身一体となった「尊天」を祀る。

鞍馬寺 霊宝館
宝物殿では 国宝毘沙門天、吉祥天
善膩師童子立像、鞍馬寺経塚遺物
観音菩薩立像、銅燈籠など 展示保
管展示する。

01-1 平安後期
国宝:兜率毘沙門天(1)
像高 175.7cm 、トチの一木造、素地
仕上げ。 右手に戟を持ち、左手は額
に当て 望遠する。三尊一具は全国に
3例。高知の雪渓寺福井の青雲寺

01-2 平安後期
国宝:兜率毘沙門天立像(2)
左足は外に向け前に出す特異な形
態。両手は後補で 本来は、左手で
戟を支え、右手は腰に当てる。

01-3 平安後期
国宝:吉祥天立像(1)
像高 100.3cm、ヒノキ材の一木造。左
手に宝珠を載せて、右手は 側体に垂
らし与願印を結ぶ。

01-4 平安後期
国宝:吉祥天立像(2)
毘沙門天の配偶神ともいう。ふくよか
で、穏やかな表情。 胎内に奥書経巻
が納められていた。

01-5 平安後期
国宝:善賦師童子
像高95.4cm、トチの一木造、素地仕
上げ。美豆良の髪型に、左手に経典
が入る宝篋を載せる。

三千 京都市左京区大原
8世紀比叡山に建立された 円融房が
起源。 後に坂本、洛中を転々として
1871年大原にある政所に移った。
その際に 国宝・阿弥陀三尊像を安置
する極楽院を吸収合併する。

極楽院
1148年頃に亡夫の菩提を弔うために
建立。桁行四間・梁間三間、単層、柿
葺きの入母屋造。藤原時代の阿弥陀
堂建築になる。 内部は阿弥陀が極楽
浄土から来迎する様子を表現。

02-1 平安後期
国宝:阿弥陀三尊像
故人を迎えに来る来迎形式で、両脇
侍は 跪坐し膝を少し開き、上半身を
前屈みにする。

02-2 平安後期
国宝:阿弥陀三尊中尊
像高232.0cm、木造、漆箔仕上げ。
右手を胸の前に左手を下げる来迎
印を結び台座に坐る。

02-3 平安後期
国宝:阿弥陀脇侍・観音菩薩
像高 132cm、観音菩薩は膝を少し開
き、上半身を前屈みにして 死者の霊
魂を載せる蓮台を捧げる。1148年に
作造された。

02-4 平安後期
国宝:阿弥陀脇侍・勢至菩薩
像高132cm。勢至菩薩は膝を少し開
き、上半身を前屈みにして合掌する。1148年に作造された。

峰定寺 京都市左京区花背原地
大悲山の中腹にある。1154年、観空
の創建、本山修験宗。崖に張り出した
本堂(重文)は、わが国最古の舞台造
り建築、修験道場で奈良の大峰山に
対し北大峰と呼ばれる。

03-1 平安後期
千手観音三尊像・中尊
像高31.5cm、白檀の一木造。 都風
の入念な作で、本体・台座には繊細
な切金文様を施し、光背には透彫の
銅板を貼る。

03-2 平安後期
不動明王・二童子
像高50cm 脇侍25cm、桧材の割矧ぎ
造、彩色仕上げ。忿怒の表現は抑制
され、穏やかな表現。二童子は、動き
はやや硬いが、表情は豊か。


03-3 平安後期
毘沙門天立像
像高50cm、玉眼使用の早い例。忿
怒の表現は抑制され、穏やかな表現
になる。片足を上げ、両腕ともに胸ま
で上げる。動きのある体勢である。

西明寺 右京区梅ケ畑槇尾町
9世紀に空海の高弟智泉大徳が神護
寺の別院として創建。 1290年に神護
寺より独立。 室町末の兵火で焼失し
荒廃。1602年に明忍律師により再興
徳川綱吉の母 桂昌院が本堂を寄進。

04-1 鎌倉 平安後期
釈迦如来立像
像高51cm、素地仕上げ。表面は赤く
染め、衣に截金文様を施し、耳に珠を
嵌める 清凉寺の釈迦如来像を模して
運慶が作造と伝わる。

04-2 鎌倉
千手観音立像
像高175cm、合掌する中央手2手と
40手の脇手をもつ。 表情はやさしく
女性的で、子授けの霊験があるとい
う。


福徳寺京都市右京区京北下中町寺
711年、聖武天皇の勅願で行基によ
って創建。その後1579年、明智光秀
が周山城を築いた時、寺を壊して城
の用材としたため廃絶した。 現在の
建物は江戸時代に再興されたもの。

05-1 平安後期
薬師如来坐像
像高104.8cm、桧材の一木割矧ぎ造
漆箔仕上げ。右手は施無畏印、左手
に薬壺を載せる。宣字形裳懸座、舟
形の板光背。胸部に翻波式衣文。

05-2 平安後期
持国天・増長天立像
像高・持国天119.9cm、増長天121.
4cm、 一木割矧造、彩色仕上げ。
 垂髷、鮨袖縁に花弁状の切り込み、
天冠台上縁に花形が見ら れる。

大将軍八神社 京都市上京区一条通
794年、桓武天皇が、北西から来る
悪霊を追い払うため 星神大将軍を勧
請し、御所の北西隅に創建した。大将
軍は 方除け厄除けの神 として古くか
ら人々の信仰を集めている。


06-1 平安中期〜末期
大将軍神像 (1)
桧材、欅材の一木造。像高は立像
140?160cm、坐像30cm〜100cm。
武装像50体、束帯像29体、童子像
1体の計80体を数える。

06-2 平安中期〜末期
大将軍神像 (2)
すべて男神像で、武装像は鎧兜をつ
け、怒りの目をする。 束帯像は冠を
かぶり、平安貴族のような服を着る。

06-3 平安中期〜末期
大将軍神像 (3)
密教や陰陽道の宇宙観をあらわす「星曼荼羅」の世界を、星を司る神像を並べて立体的に表現した立体星曼荼羅である。

遣迎院 北区鷹峯光悦町
鎌倉初期に九条兼実が快慶に命じて
釈迦と阿弥陀の二尊を造像させ自邸
の月輪殿に祀ったのが始まり。その
後、法然の高弟・善恵房証空を開山
に招き、遣迎院として創建された。


07-1 鎌倉
阿弥陀如来立像
像高約1m、 桧材の寄木造で玉眼、
截金、金泥仕上げ。衣文線は簡潔に
生き生きと彫りだす。 足ほぞの「アン
阿弥陀仏」銘記から快慶作と判明。

07-2 鎌倉
釈迦如来立像
像高約1m、桧材の寄木造、玉眼、漆
箔仕上げ。 左手は肘を曲げ、掌に鉢
を載せている。 衣のひだは変化に富
み、肩、腹、股間で細かく刻む。

清水寺 京都市東山区清水
778年に僧延鎮が開山した。平安建
都間もない798年坂上田村麻呂が仏
殿を建立。現在の主な堂塔は 1633
年徳川家光の再建。本堂は 寄せ棟
造の檜皮葺。

08-1 鎌倉
奥の院・三面千手観音坐像(1)
像高64.9cm、一木割矧造、素木仕上
げ。正面・右左の3顔と頭上の24小面
計27面をもつ。

08-2 鎌倉
奥の院・三面千手観音坐像(2)
通常の観音像比べ脇手が 2本少ない
い36本。正面の合掌手と定印手各2本
を合わせ40本となる。

08-3 鎌倉
本堂・千手観音立像(1)
像高173cm、ヒノキの寄木造、玉眼
素木仕上げ。 正面の合掌手と定印
手で4本、脇手38本。

08-4 鎌倉
本堂・千手観音立像(2)
42本の手のうち、 脇手の左右各1本
を頭上に伸ばして組み合わせ、小化
仏を戴く 清水型観音。

知恩院三門 京都市東山区
三門は徳川秀忠が寄進し、1621年建
立。 高さ24mの門で 現存する日本の
寺院三門の中では最大規模。禅寺風
門の上層内部には釈迦如来像と十六
羅漢像を安置。


09-1 江戸初期
三門天井画・迦陵頻迦
狩野派の絵師により浄土に住み妙な
る声で教えを説く上半身が 美女下半
身が鳥の姿が描かれている。

東福寺 京都市東山区本町
1236年、藤原道家が法性寺の寺地に
建立を発願。1273年、大伽藍が完成し
禅、天台、真言僧の三宗兼学の道場と
して栄えた。14世紀の火災により伽藍
は焼失、1347年に仏殿を再興。

10-1 鎌倉
釈迦如来
像高263.5cm、 肉髻の低さ、 爪の長さ
に宋代の影響がある。日本における宋
風彫刻の展開や禅宗寺院における造
像を考えていく上で重要。

10-2 鎌倉
迦葉・阿難立像
像高・迦葉189.0cm、阿難193.08cm。
京都の禅宗寺院の創建当初の像とし
て貴重とされる。

10-3 平安後期
阿弥陀如来坐像 
像高238.0cm 穏やかな面ざし、スリム
な肢体、一見して「定朝様」が伺われ
る。像内の全面に漆箔がある。

10-4 鎌倉
金剛力士像  
像高・阿形203.0cm、吽形207.3cm。
玉眼嵌入、彩色仕上げ。力強く安定し
たプロポーションで、眼光鋭く相手を威嚇
し、筋骨たくましい。

10-5 室町
二天王立像
像高・阿形336.8cm、吽形332.5cm、
 玉眼、金泥塗、彩色仕上げ。 阿形は
右手を上げ、左手を腰に、右足で邪鬼
を踏む。吽形はその逆の姿をとる。

10-6 鎌倉
地蔵菩薩坐像
像高85.2cm 寄木造、玉眼 、漆箔仕上
げ。左手に宝珠、右手人差し指を立て
る。 白毫に水晶が入る。 肉身に金泥
彩が残る。

10-7 鎌倉
僧形坐像
像高82.8cm 、寄木造、玉眼 古色仕上
げ。蓮華合掌する。写実的な表現がな
されている。像主は不明。台座も失わ
れている。

東福寺同聚院 京都市東山区本町
1444年に東福寺が創建した塔頭。藤
原道長が仏師康尚(定朝の父)に作ら
せた 不動明王坐像を本尊として五大
堂に祀る。 同聚院はその五大堂を本
堂として建立されている。

11-1 平安中期
不動明王坐像(1)
像高 265cm、一木造。日本最大の木
造不動明王坐像。総髪で両眼を見開
き、上の歯で下唇を噛む。

11-2 平安中期
不動明王坐像(2)
モルガンお雪がこの不動明王を信
仰したことで、働く女性を守る 本尊
として多くの女性が信仰する。

法性寺 京都市東山区本町
924年藤原忠平が創建する。藤原氏の
寺として繁栄したが、応仁の乱で被害
を受け衰退する。現在の法性寺は 明
治維新後に旧名を継いだもの。

12-1 平安中期
国宝:千手観音立像(1)
像高 約110cm、サクラ材の一木造。壇
様式で合掌手や宝鉢手も同じ材を用い
て継ぎ足す。

12-2 平安中期
国宝:千手観音立像(2)
正面と左右の憤怒面・菩薩面、その頭
上に24面を頂き、計27面を持つ珍しい
作例。

大蓮寺 京都市左京区東山二条
1600年深誉が 現在の京都市下京区
に創建。1650年に後光明皇后の安産
祈願の勅命が 下って以降、安産の寺
として親しまれれている。

大蓮寺の走り坊主
明治大正期に安産のお札を京都中を
走りながら 宅配した大蓮寺の僧侶。
今一休と呼ばれた。

13-1 平安後期
薬師如来立像(1)
かつて祇園社の観慶寺薬師堂にあっ
たが神仏分離で観慶寺が廃絶した後
に大蓮寺に移された。

13-2 平安後期
薬師如来立像(2)
像高192cm、檜材の割矧造、肉身部
は、漆箔仕上げ。衣部の彩色は現状
ではほとんど剥落。

禅林寺 京都市左京区永観堂町
853年、空海の弟子真紹が藤原関雄の
山荘を譲り受け、真言宗の道場とした。
永観堂の通称は、7代目住職の永観
が、境内に治療院を建て庶民の医療に
尽力したことから、永観堂と呼ばれる。

14-1 平安後期
阿弥陀如来立像
像高77.6cm、「みかえり阿弥陀」の通
称で知られる。頭部を左方を向くとい
う特殊な姿勢をとる。

妙法院 京都市東山区妙法院
皇族の子弟が歴代住持となる門跡寺院
で、青蓮院、三千院とともに「天台三門
跡」と称される。後白河法皇ゆかりの寺
院としても知られる。近世には方広寺や
三十三間堂を管理下に置く。

15-1 平安前期
不動明王立像
像高133cm、カヤ材の一木造、内刳り
無し。 両眼を見開き、上歯牙で下唇を
噛む大師様の図像に基づく古様な表
現。 東京博物館に寄託。

15-2 平安後期
普賢菩薩騎象像
像高約60cm、桧材の割矧ぎ造 、漆箔
仕上げ。なで肩で細身 、まげは低く結
う。目は細め、鼻口顎は小さく作る。

西方寺  京都市左京区東大路
1189年、左大臣・藤原経宗の没後に経
宗邸を寺にしたのが始まりと伝えられ
る。その後、転々として1708年頃に
現在地に落ち着いている。

16-1 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高236.0cm、寄木造、漆箔仕上げ。
1075年、白河天皇により建立された
法勝寺の丈六遺仏。後補の化仏三千
体を配した光背は圧巻

金戒光明寺  京都市左京区黒谷町
1175年、法然が浄土宗の確立のため
に、比叡山の黒谷にならい、庵を結ん
だのが始まり。以降、浄土宗の念仏道
場として栄え、後光厳天皇から金戒の
二字を賜り、金戒光明寺と呼ばれる。

17-1 平安前期
千手観音立像
像高162cm、一木造、背面内刳りあり。
腕手、足先は後補が多いものの、安定
感がある。遣唐使吉備真備の難を救っ
た観音として知られる。

六道珍皇寺 東山区松原通東大路
建仁寺の塔頭寺院。境内には平安初
期の公卿で学者、歌人としても名高い
小野篁が冥界へ通ったという伝説の井
戸があり、閻魔堂には閻魔大王像と小
野篁像を祀る。

18-1 平安前期
薬師如来坐像
像高125.3p、 一木造、漆箔仕上げ。
体内は鉛顔料で赤く塗られている。
2023年の修理で頭と胴体は1本の木
材で、平安前期のものと判明。

神護寺京都市右京区高尾
824年に創建された真言宗の古刹。
空海が 14年間住持し最澄が法華経
の講義を行っている。その後、荒廃し
たが、平安末期、文覚上人が再興。

神護寺金堂内陣
1934年に再建された金堂の須弥壇中
央の厨子に国宝の薬師如来立像を安
置する。両脇に重要文化財の日光・月
光菩薩立像と十二神将立像、四天王
立像が並ぶ。

19-1 平安前期
金堂・国宝:薬師三尊中尊(1)
像高 170cmほどのカヤの一木造檀
像様式。全体は木地のままで、唇な
ど一 部だけが彩色。

19-2 平安前期
金堂・国宝:薬師三尊中尊(2)
顔の彫りが深く螺髪が大きい。 肉厚
で重厚感のある体躯に、翻波式衣文
の衣をまとう。左手に薬壺を持つ。

19-3 平安前期
神護寺・薬師三尊・月光菩薩
像高約150cm、本尊と同じ内ぐりの
ない一木造。顔などは後補。

19-4 平安前期
神護寺・薬師三尊・日光菩薩
日光菩薩像は右胸、右腕と下半身が
当初部のもの。月光菩薩像はわずか
に膝下だけが当初のもの。

神護寺多宝塔
845年に仁明天皇の発願により、創建
された。応仁の乱で焼失後、現在の多
宝塔は、1934年に篤志家の寄進で再
建された。 塔内には国宝の五大虚空
蔵菩薩像が安置されている。

多宝塔内陣
多宝塔内部の須弥壇の上に、5体の
菩薩坐像が、蓮華座に、右足を上に
して結跏趺坐し、横一直線に並んで
いる。

19-5 平安前期
国宝:法界虚空蔵菩薩(白)
金剛界五智如来の変化身といわれ
ている。富貴成就、天変消除をこの
菩薩に祈って秘法を行う。

19-6 平安前期
国宝:法界虚空蔵菩薩(白-2)
五大虚空蔵菩薩の修法を金門鳥敏
法といい、変革の年といわれる辛酉
の年に除災のため行われた。

19-7 平安前期
国宝:業用虚空蔵菩薩(黒)
五体とも像高90cmあまり。ほぼ 同形
の坐像で手の形や持物だけが異なる。

19-8 平安前期
国宝:業用虚空蔵菩薩(黒-2)
いずれも一木造で、両腕は ひじから
先に別材を矧ぎ付ける。体部は一材
から彫り出す。

19-9 平安前期
国宝:蓮華虚空蔵菩薩(赤)
細部は部分的に木屎漆で仕上げて
いる。彩色は九世紀末に塗りなおし
た記録があり当初のものではない。

19-10 平安前期
国宝:蓮華虚空蔵菩薩(赤-2)
木製の宝冠、瓔珞、臂釧などの装身
具も後補のもので光背、台座は失わ
れている。

19-11 平安前期
国宝:宝光虚空蔵菩薩(緑)
肉身の色は下記の通り。
@中尊:法界虚空蔵・白色
A東方:金剛虚空蔵・黄色
B南方:宝光虚空蔵・緑色。

19-12 平安前期
国宝:宝光虚空蔵菩薩(緑-2)
C西方:蓮華虚空蔵・赤色
D北方:業用虚空蔵・黒色

19-13 平安前期
国宝:金剛虚空蔵菩薩(黄)
いまは一直線に祀られているが、も
とは、中尊を囲んで他の四体が配さ
れていた。

19-14 平安前期
国宝:金剛虚空蔵菩薩(黄-2)
虚空蔵菩薩としては 5体揃った最古
のもので、例年10月に特別公開され
祈願法要が行われる。

清凉寺阿弥陀堂 京都市右京区嵯峨
清凉寺の前身である棲霞寺の釈迦堂
に宋の請来仏 釈迦如来を移設。その
後、棲霞寺は衰退し 釈迦堂、阿弥陀
堂は清凉寺に吸収される。 阿弥陀三
尊は現在、霊宝館に展示されている。

清凉寺本堂(釈迦堂)
987年に入宋僧「然が宋より請来した
釈迦如来立像を安置する。 1701年徳
川綱吉の生母 桂昌院の発願により再
建。 桁行・梁間7間、一重入母屋造本
瓦葺で和様と禅宗様の折衷様式。

20-1 平安中
国宝:釈迦如来立像
像高160cm、サクラ材造。頭髪を縄
目状に表現し、大衣を通肩にまとい
衣文線を同心円状に表す。

20-2 平安中
国宝:釈迦如来立像(2)
清凉寺様式と呼ばれる釈迦37歳の
生身を写したもの。インドから中国
を経て日本に伝来した。

清凉寺霊宝館
旧棲霞寺の 阿弥陀三尊、釈迦如来の
胎内に納入されていた文書、経典、絹
製の五臓六腑の模型など数々の寺宝
を保管展示。

20-3 平安前期
霊宝館・国宝:阿弥陀三尊・中尊
像高178.2cm、ヒノキの一木造漆箔
で仕上げ。元は 棲霞寺阿弥陀堂の
本尊で安置されていた。

20-4 平安前期
国宝:阿弥陀三尊・中尊(2)
嵯峨光仏、源融のうつし顔などと呼
ばれている。 定印 (上品上生印)を
結ぶ阿弥陀仏の最古例。

20-5 平安前期
国宝:阿弥陀三尊・観音菩薩
像高168.3cm、ヒノキの一木造、漆箔
仕上げ。宝冠、瓔珞の装飾が豪華に
なっている。

20-6 平安前期
国宝:阿弥陀三尊・観音菩薩
ほかに類例のない密教の影響を受
けた独自の印である金剛界大日如
来の智剣印を結ぶ。

20-7 平安前期
国宝:阿弥陀三尊・勢至菩薩
像高165.7cm、ヒノキの一木造、漆箔
仕上げ。宝冠に勢至菩薩の象徴であ
る水瓶を付ける。

20-8 平安前期
国宝:阿弥陀三尊・勢至菩薩(2)
広い肩幅、豊かな胸部、下半身、深い
線条の条帛、法衣に平安前期特有の
造作が見られる。

20-9 平安前期
清凉寺霊宝館・文殊菩薩
形は 通例と違い半跏の姿勢で白象に
坐し、持物をとる。東寺講堂の帝釈天
像と全く同一である。

20-10 平安前期
清凉寺霊宝館・普賢菩薩
獅子に乗り、右手に剣、左手に経巻
を持つ。 両手は肘から先が 後世の
補作、剣と経巻も新しい。

20-11 平安中期
清凉寺霊宝館・兜率毘沙門
東寺の毘沙門天像を模したもの。長
い外套と鎧を着て、頭上には 鳥をあ
らわす宝冠を被る。

大覚寺 京都市右京区嵯峨大沢町
876年 嵯峨天皇の離宮を寺院に改め
る。 嵯峨天皇の信任を得た空海が離
宮内に五大堂を建てる。旧本尊である
平安後期の五大明王は霊宝館に移管
1975年に現在の本尊を造像した。

大覚寺大沢池
日本最古の林泉式庭園。大覚寺が嵯
峨天皇の離宮だった時代に、その林泉
として造られた。周囲約1kmの池の堤
には、桜や紅葉、松が植えられ、池の
中には天神島と菊ケ島が浮かぶ。

霊宝館
1968年に収蔵庫として開創。 その後
増改築し霊宝館に改称。本尊で1176
年円派最後の名匠 明円作の五大明
王像、室町江戸期の五大明王像、愛
染明王像などを安置。

21-1 平安後期
五大明王・不動明王(1)
像高52cm、 檜の寄木造、彩色、截
金仕上げ。怒りの表情は抑えられ、
穏やかな落着きがある。

21-2 平安後期
五大明王・不動明王(2)
右手に邪心や迷いを断ちきる倶利
伽羅剣を左手には悪心を縛り上げ
善心を呼び起す羂索を持つ。

21-3 平安後期
五大明王・降三世明王(1)
像高 66.8cm、檜の寄木造、彩色截
金 仕上げ。定朝の流れを汲む円派
の仏師明円の作。

21-4 平安後期
五大明王・降三世明王(2)
東方の守護神。三面八臂で胸の前で
降三世印を結ぶ。 左足でシバ神を踏
みつけ右足で烏摩妃を踏みつける。

21-5 平安後期
五大明王・軍荼利明王(1)
像高69.5cm、 檜の寄木造、彩色、截
金仕上げ。院政期の仏像らしく、力強
さよりも調和を重視。

21-6 平安後期
五大明王・軍荼利明王(2)
南方の守護神。三目一面八臂。蛇
毒を手足に巻き付け煩悩の滅却を
示す。虎皮で腰を覆う。

21-7 平安後期
五大明王・大威徳明王(1)
像高62.3cm、檜の寄木造、彩色 、截
金仕上げ。 衣の表現で上半身と下半
身のバランスをとる。

21-8 平安後期
五大明王・大威徳明王(2)
西方の守護神。六面六臂六足で水牛
に乗り濁水の中を進む。 梵語では死
神ヤマを降す者を意味する。

21-9 平安後期
五大明王・金剛夜叉明王(1)
像高 68.2cm、檜寄木造、彩色、截金
 仕上げ。造形が、そつなくまとめられ
て 気品がある。

21-10 平安後期
五大明王・金剛夜叉明王(2)
北方の守護神。三面六臂。金剛の
硬い力であらゆる煩悩を破壊。 五
つ目は五智如来を象徴。

仁和寺 京都市右京区御室大内
宇多天皇が888年に創建。以来、法
親王が住持し御室御所と呼ばれた。
御所の紫宸殿を移築した金堂がある。

仁和寺霊宝館
1927年に建設。仁和寺の創建当時の
本尊阿弥陀三尊像などの国宝や重要
文化財など多数を展示春と秋に一般
公開。

22-1 平安前期
霊宝館・国宝:阿弥陀三尊中尊(1)
像高約90cmの坐像、ヒノキの一木造
上品上生印を結ぶ。全身は金箔で輝
くが、これは後補。

22-2 平安前期
国宝:阿弥陀三尊中尊(2)
後頭部と 躰背面に長方形の穴をあ
けて内剥を行い、蓋板を嵌め、全身
に漆箔をおいている。

22-3 平安前期
国宝:阿弥陀三尊・勢至菩薩(1)
像高120cm余りの立像。中尊と同じ
くヒノキの一木造で、背中からくりを
入れる。

22-4 平安前期
国宝:阿弥陀三尊・勢至菩薩(2)
台座の蓮肉の上半分まで一材から彫
り出す。髪は銅板を切ったものをに用
いている。

22-5 平安前期
国宝:阿弥陀・観音菩薩(1)
通常、脇侍名は宝冠 に毛仏か水瓶
があるかで判別される。観音菩薩は
化仏、勢至菩薩は水瓶。

22-6 平安前期
国宝:阿弥陀三尊・観音菩薩(2)
本両脇侍の宝冠には毛仏や水瓶が
見当たらず、どちらが観音で勢至か
の判別ができない。

仁和寺霊明殿 京都市右京区御室
1911年に完成する。方三間、宝形造
一間向拝付、檜皮葺。内部は一室で
三間幅の仏壇を設ける。平安後期の
様式を踏襲。

仁和寺霊明殿内陣
本尊の薬師如来坐像と歴代門跡の
位牌を安置。

22-7 平安後期
国宝:薬師如来坐像(1)
像高11cm、白檀材の小像ながら光背
に七仏薬師と菩薩、台座には 十二神
将を表す。

22-8 平安後期
国宝:薬師如来坐像(2)
本物の白檀を使用した檀像。右手は
施無畏印、左手に薬壺を乗せる。衣
に繊細な截金模様が入る。

法金剛院 京都市右京区花園扇野町
858年に文徳天皇が 大伽藍の天安寺
を創建したが、その後に衰微。1130年
に待賢門院が復興し法金剛院とした。
阿弥陀如来は 定朝様の三大阿弥陀の一つ。( 他2例は平等院、法界寺)

法金剛院・青女の滝
庭園は日本最古の人工の滝である
青女の滝を 中心とした回遊式浄土
庭園で特別名勝。


23-1 平安後期
国宝:阿弥陀如来坐像(1)
像高約227cm、檜の寄木造、漆箔仕
上げ。台座の蓮弁には細かな浮き彫
りが映える。阿弥陀定印を結ぶ。

23-2 平安後期
国宝:阿弥陀如来坐像(2)
定朝の孫弟子の院覚が1130年に作
造。 丈六阿弥陀如来で定朝様の三
阿弥陀 (平等院、法界寺)の一つ。

23-3 鎌倉
法金剛院・十一面観音
像高70cm 寄木造。院派の仏師院統
院吉等が造立した。肉身には金泥彩
着衣には彩色と切金文様。四本の手
に錫杖、蓮華、数珠、水瓶を持つ。

松尾大社京都市西京区嵐山
701年に文武天皇の勅命により 秦氏
が社殿を設ける。境内には 亀の井の
名水があり酒造家の信仰を集める。
松尾造といわれる本殿のほかに 拝殿
釣殿 楼門など多くの社殿を保有する。

24-1 平安中期
松尾大社・女神像
像高90cm前後、ヒノキの一木造。市
杵島姫命を表し航海の安全を祈って
宗像大社から勧請された。

24-2 平安中期
松尾大社・老年男神像
像高は90cm前後で ヒノキの一木造。
松尾大社の御祭神である大山咋神を
表わす。

24-3 平安中
松尾大社・壮年男神像
像高は90cm前後でヒノキの一木造。
大山咋神の御子を表わす。

宝菩提院 京都市西京区大原野
持統天皇が夢で啓示を受け、薬師如
来を本尊として679年に創建された。
京都で一番小さな拝観寺院と言われ
る。

25-1 平安前
国宝:菩薩半跏像(1)
像高88.2cm、台座までカヤ材のほぼ
完全な一木造りで蘇芳色を素地の上
からかける。

25-2 平安前
国宝:菩薩半跏像(2)
瞳は黒珠を嵌めこみ、二重瞼で切れ
長な眼は異国的で唐代彫刻の影響。
檀像風彫刻の白眉。

真正極楽寺 京都市右京区浄土寺
984年戒算上人が延暦寺の阿弥陀如
来像を神楽岡に移し開創。 本尊の阿
弥陀像はやさしい表情から 「うなずき
の弥陀」と呼ばれる。女人救済の言い
伝えがあり 女性のお参りが絶えない。

26-1 平安中期
阿弥陀如来立像(1)
像高108cmの一木造。上品下生の
来迎印を結ぶ。阿弥陀如来立像の
中では最も古い。

26-2 平安中期
阿弥陀如来立像(2)
比叡山の本尊になる願いには首を横
に振ったが、京で女人等を 救済する
願いには、三度頷く。

遍照寺 京都市右京区嵯峨広沢
10世紀後半に宇多法皇の孫である
寛朝僧正が創建。 当時は広沢池を
庭としていた。寛朝の死後衰退。
鎌倉後期に再興したが戦乱で焼失。
江戸後期に現在地に移り復興。

27-1 平安中期
十一面観音立像(1)
像高は120cm余り、 ヒノキの一木造
だが古式で内ぐりはない。表情は穏
やかで衣紋は浅く掘られる。

27-2 平安中期
十一面観音立像(2)
下肢の衣は深く刻まれ、翻波式が残
る。定朝の父 又は師とされる康尚の
の作と伝わる。

27-3 平安中期
赤不動明王
像高70cm、内ぐりのない一木造。眉
を吊り上げ、 目は両眼も見開いて上
歯で下唇を噛む。

宝積寺 京都府乙訓郡大山崎町
宝積寺は古くから交通・軍事上の要
地である天王山(270m) の南側山腹
にある。 724年聖武天皇の勅願によ
り行基が建立したと伝える。

宝積寺閻魔堂
閻魔堂の閻魔王及び眷属像は鎌倉期
の作品。閻魔王、司録、司命、倶生神
闇黒童子の5躯の木像を並べて 地獄
の法廷を再現している。

28-1 鎌倉
閻魔堂・閻魔大王
像高は 160.8cm、木造、彩色、玉眼
仕上げ。神仏分離で廃寺となった西
観音寺から移された。

月輪寺 京都市右京区嵯峨
781年、慶俊僧都の開基と伝える。その
後、空也上人も 当寺に参籠したといわ
れる。平安末期には、九条兼実が当地
に閑居し、訪れた法然、親鸞が、それ
ぞれ刻んだといわれる三祖像が残る。

29-1 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高87.6cm、桧材の寄木造。両手を
腹前で右手を上に重ね,人差し指を背
合わせにし,親指をその指先に添えて
輪を作る阿弥陀定印を結ぶ。

29-2 平安中期
十一面観音立像
像高168.8cm、 桧材の一木造。背面に
大きく背刳りを入れて、上下に2枚の背
板を当てる。

29-3- 平安前期
千手観音立像
像高154.0cm、 針葉樹の一木造、内
刳りは全く無い。合掌手、宝鉢手の前
部も含めて、一木から彫り出す。

29-4 平安後期
聖観音立像
像高168.8cm、桧材の一木造。小顔・
均整のある体形 、浅くなだらかに流
れる 衣文線などに特徴がある。

 29-5 平安後期
伝善哉王立像
像高102.0cm、桧材の一木造。天部像
で道教服を着る。

29-6 平安後期
伝龍王立像
像高117.5cm、 桧材の一木造。本来
は天部像であったと思われるが、空
也が助けた龍王の像としてまつられ
ている。

29-7 平安後期
伝九条兼実坐像
像高78.0cm、桧材の一木造。九条兼
実は鎌倉時代に源頼朝と結び摂政・
関白となった。晩年、月輪寺に隠棲し
月輪殿と呼ばれた。

29-8 鎌倉
空也上人立像
像高119.1cm、桧材の寄木造、玉眼。
口から南無阿弥陀仏の名号を表した
小さな阿弥陀如来像6体が二筋に分
かれて出ている。

二尊院 京都市右京区嵯峨
九世紀半ば、円仁が開基。応仁・文明
の乱のあと、法然の弟子湛空が再興。
総門は伏見城の遺構と伝わる。
釈迦如来・阿弥陀如来の二如来を祀
ることから二尊院と称する。

30-1 鎌倉
釈迦如来立像
像高78.8cm、截金、金泥仕上げ。右手
ので施無畏印、左手で与願印を結ぶ。
臨終を迎えた時に、現世から来世へと
送り出す発遣の釈迦という。

30-2 鎌倉
阿弥陀如来立像
像高78.8cm、截金、金泥仕上げ。寿命
を全うした際に極楽浄土へ迎え入れる
来迎の弥陀といわれる。他に例を見な
い左手を上げる来迎印を示す。

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