北信越の仏像

トップへ戻る


インデックス
※小浜
01萬徳寺
02国分寺
03明通寺
04羽賀寺
04圓照寺
06妙楽寺
07若狭神宮寺
08多田寺
09高成寺
10加茂神社
  (為星寺)
11谷田寺
12竜前薬師堂

※高浜
13中山寺
14馬居寺
※おおい
15長楽寺
16清雲寺
17常禅寺

※若狭
18安楽寺

※高岡
19瑞龍寺

※長野
20牛伏寺
21善光寺
22清水寺(保科)
23清水寺(松代)
24長雲寺

萬徳寺(小浜八ヶ寺) 小浜市金屋
鎌倉期の極楽寺が前身。 江戸初期
に京極高次により再建され現在の寺
名となる。次の藩主酒井忠勝が、現
在地に移転し 名勝蓬莱式枯山水庭
園を作る。

01 平安後期
阿弥陀如来
像高141.5cm、桧材寄木造。 阿弥陀
堂内須弥壇に安置。当山の前身であ
る極楽寺の本尊。

国分寺(小浜八ヶ寺) 小浜市国分
741年聖武天皇の詔により日本各地
に建立された国分寺の一つ。
若狭国 国分僧寺の後継寺院にあた
る。現在の若狭釈迦堂は、1705年に
再建された。

02-1 鎌倉
薬師如来
像高79.7cm、寄木造。 像の墨書
によれば1693年に尼寺庵の本尊
として祀られていた。

明通寺(小浜八ヶ寺) 小浜市門前
806年北陸地方を巡行中の坂上田村
麻呂が創建した。 現存する国宝の本
堂、三重塔は鎌倉時代中期のもので
中興の祖頼禅によって復興された。

03-1 平安後期
薬師如来
像高144.5cm、寄木造。力強い像容
で藤原期の温雅な作風と異なる。平
安末の過渡期の作。

03-2 平安後期
降三世明王
像高252.4cm、一木造。本来の脇侍
ではないとみられる。 四面八臂で大
自在天と烏摩を踏む。

03-3 平安後期
深沙大将立像
像高256.6cm、一木造。頭部に髑
髏を戴き、腹に幼女の首を着けた
異形の護法善神である。

03-4 平安後期
不動明王
像高161.8cm、檜の一木造。本尊の
不動明王は 焼失したため、 羽賀寺
より譲り受けた。

羽賀寺(小浜八ヶ寺) 小浜市羽賀
716年、元正天皇の勅願で行基が 開
山。最盛期には子院18を数えたが天
災などで消失した。 現存する往時の
遺構は、室町中期の本堂のみ。十一
面観音、千手観音などを安置。

04-1 平安前期
十一面観音(1)
像高146.4cm、檜の一木造。5mmを
越える下地厚さにより当初の彩色が
ほぼ完全に残る。

04-2 平安前期
十一面観音(2)
瞑想的な眉目、膝に届く長い腕、翻
波式衣文などに 平安前期の古様を
留める。知名度が高い。

04-3 平安後期
千手観音立像(1)
像高135.4cm、檜の寄木造。内部は入念に内刳を施す。色彩を施さぬ素地仕上げ。

04-4 平安後期
千手観音立像(2)
浅い彫り口や温雅な目鼻立ちなどに
典型的な 藤原期の仏像の様式が見
られる。わずかに微笑を浮かべる。

04-5 平安後期
毘沙門天(1)
像高159cm、檜の一木造。頭部と
体部に内刳を施し、右手と足先を
割剥ぐ。

04-6 平安後期
毘沙門天(2)
憤怒相ながら、定朝様の極めて穏や
やかな表情。胎内に治承2年(1178)
の墨書銘。

圓照寺(小浜八ヶ寺) 小浜市尾崎
奈良時代に真言宗遠松寺として創
建されたと伝わる古刹。 室町中期
に現在の地へ移築し、1612年に臨
済宗の寺として・再建され、圓照寺
となる。

05-1 平安後期
大日如来(1)
像高251.5cm、檜材の 寄木造。江戸末期に金箔の張替。重文の大日如来では4番の大きさ。

05-2 平安後期
大日如来(2)
ほほ膨れた丸顔、伏目の両眼、細
い両腕、彫りの浅い 衣文の線状な
どに平安末の特色。

05-3 平安後期
不動明王(1)
像高158.7cm、桧材の寄木造。面相
は斜め左下を向き、左足を踏み出し
て、動きのある姿勢。

05-4 平安後期
不動明王(2)
全身の肉どりは太づくりで、しかも
胴部を引き締め、裳裾を巧みにま
とめる。力強い造型。

妙楽寺(小浜八ヶ寺) 小浜市野代
797年に空海が 諸国を廻っていたと
きに行基が彫った本尊を拝して堂舎
を建立したと言われる。 現在の本堂
は 鎌倉初期の建立で 若狭における
最古の建造物。

06-1 平安中期
千手観音(1)
像高176.3cm 、桧の一木造。42本の大手の間に多数の小手を表した真数千手像である。

06-2 平安中期
千手観音(2)
正面の本面と両側の大ぶりな脇面
で3面をもち、頭上の21面と合せて
24面を持つ千手観音像。

若狭神宮寺(小浜八ヶ寺) 小浜市神宮寺
714年に元正天皇の勅願により若狭
国一の宮として開創。本堂は 室町時
代に朝倉義景の寄進による。七堂伽
藍二十五坊を有していたが秀吉の寺
領没収や廃仏毀釈により衰退した。

07-1 南北朝時代
木造男神坐像
像高49.1cm、寄木造。漆下地の上
に彩色を施しており、彩色は後補。
古来服制の衣冠束帯。

07-2 南北朝時代
女神坐像
像高50.9cm、寄木造。漆下地の
上に彩色を施しているが、 彩色
は後補。小袿(こうちき) 姿。

多田寺(小浜八ヶ寺) 小浜市多田
749年に孝謙天皇の勅願により勝行
上人が創建。 最盛期には子院12を
数えた。本堂は1807年に再建。本尊
薬師如来は、多田薬師として 信仰を
集める。

08-1 平安前期
薬師三尊
須弥壇上の厨子に、本尊薬師如来
脇に日光月光の立ち位置で二躰の
菩薩像が安置されている。

08-2 平安前期
薬師如来(1)
像高は192.5cm、カヤの一木造。
三大薬師の一つとして主に眼病
祈願の参拝客が多い。

08-3 平安前期
薬師如来(2)
下半身部分のY字状の衣文の処
理は唐招提寺、神護寺の薬師如
来と共通する様式。

08-4 平安前期
十一面観音・伝日光菩薩(1)
像高154cm、カヤの一木造。本体と
共木から彫出す胸飾、 両足部の衣
文構成に天平の作風。若狭のモナリザとも呼ばれる。

08-5 平安前期
十一面観音・伝日光菩薩(2)
頭上に菩薩面を置く十一面観音で
あるが、当寺では薬師如来の脇侍
として日光菩薩と称する。

08-6 平安前期
菩薩立像・伝月光菩薩(1)
像高 144.2cm、カヤの一木造。薬師
如来の脇侍の月光菩薩としているが
本来名は不明。

08-7 平安前期
菩薩立像・伝月光菩薩(2)
垂髪や胸飾り、腰裳の上 に刻んだ
瓔珞、両脚の衣皺は平安初期の貞
観期に近い様式。

高成寺 小浜市青井
1339年に足利尊氏の命を受け諸国
に建立した若狭国 安国寺。1344年
に炎上したため、若狭守護であった
大高重成が高成寺として再興した。

09-1 平安前期
千手観音立像(1)
檜の一木造で 厚みのある太造りの
体形や衣に刻まれる 翻波式衣文な
どに、平安前期の特色。

09-2 平安前期
千手観音立像(2)
若狭姫神社の伝来と伝えられ神仏
習合に関わる像である可能性があ
る。

加茂神社為星寺 小浜市加茂
千手観音は、元々加茂神社背後の
山上にあった 為星寺の本尊であっ
た。為星寺の廃寺後は加茂神社の
境内にある収蔵庫に祀られる。

10 平安中期
千手観音
像高113.5cm、檜材の一木造。 内
刳はない。 薄く刻まれた衣文に翻
波式と渦巻が 見える。

谷田寺 小浜市谷田部
721年白山信仰の開祖・泰澄大師に
よって開創。鎌倉時代には若狭国分
寺に次いで 第2の御願所として栄え
る。 現在は、往時の隆盛を想像させ
せる広い境内に多くの仏像群が残る。

11-1 鎌倉
千手観音
像高 179.4p、榧材の寄木造、素地
仕上げの檀像様彫刻。頭・体幹部を
通して前後で矧ぐ。

11-2 鎌倉
不動明王
像高130.7p、桧材の寄木造。巻髪
天地眼、二牙上下交互の様式。

11-3 鎌倉
毘沙門天
像高は 135.5cm、ヒノキ材寄木造
玉眼嵌入。 全身の彩色は当初の
ものが良く残る。

竜前薬師堂(蓮華寺内) 小浜市竜前
元は若狭彦神社の本地仏。 神仏分
離により蓮華寺の薬師堂の本尊とし
て祀られていた。1968年蓮華寺の北
側に建てた収蔵庫に安置される。現
在は区長により管理されている。

12-1 鎌倉
銅造薬師如来立像(1)
像高50.9cm、本体部は一鋳で両手
首先は 別鋳を差し ほぞつぎとする
鎌倉初期を代表する基準作。

12-2 鎌倉
銅造薬師如来立像(2)
背面の銘「若狭国一宮本地宝治二
年(1248年)戊申六月日」 から鎌倉
初期を代表する基準作。

中山寺 高浜町中山
736年に聖武天皇の勅願よって創建
される。鎌倉時代に天台僧覚如が寺
名を一乗寺と改め、室町時代に中山
寺に改称。 南北朝時代建立の本堂
は本堂建築の遺構として大変貴重。

13-1 鎌倉
馬頭観音坐像 
像高79.3cm、檜材寄木造。秘仏で
開帳は33年に1度行われる。煩悩
や悪心を退治する馬頭観音。

13-2 鎌倉
金剛力士立像 阿形
像高282cm、檜材の寄木造。内刳り
を施し、玉眼を嵌入する。 運慶の子
湛慶の作とされる。

13-3 鎌倉
金剛力士立像 吽形
像高267cm、檜材の寄木造。 内刳
りを施し、玉眼を嵌入する。大英博
物館で一般公開された。

馬居寺 高浜町馬居寺
聖徳太子が馬のいななきと光明が
輝いた若狭の山に党塔を建立。馬
頭観音を安置。馬頭観音が居る寺
から馬居寺(まごじ)となった。

14 平安後期
馬頭観音
像高100.3cm、檜の一木割矧造。
内刳りを施す。 24年ごとの午年
に本開帳される秘仏。

長楽寺 おおい町大島
6世紀後半に創建された古寺。 室町
中期、僧賢海により 六坊を擁した大
寺となったが 戦国の兵火によりより
衰退。 江戸期に小浜藩により再興。
今は 阿弥陀堂と収蔵庫のみが残る。

15-1 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高215.7p、桧材寄木造、漆箔
彫眼。平等院鳳凰堂の本尊 阿弥
如来に最も近いと言われる。

15-2 平安後期
多聞天立像
像高167.3cm、桧材の寄木造、彩色
仕上げ。頭部二材矧ぎ、首ほぞを差
し体部前面一材で背面二材で矧ぐ。

清雲寺 おおい町大島
平安後期、自耕善公が 創建。 後に
衰退したが 室町後期に春江禅師が
再興。現在は 無住となっており仏像
は 近隣の世話役が管理する収蔵庫
に安置されている。

16-1 鎌倉
毘沙門天立像
像高100.9p、檜材の寄木造、彩色
玉眼。 吉祥天と善膩師童子の三尊
一具は全国に3例。京都の鞍馬寺
高知の雪渓寺

16-2 鎌倉
吉祥天立像
像高58cm、檜材の寄木造、前後
割矧ぎ、内刳り、割首、玉眼。

16-3 鎌倉
善膩師童子立像
像高47cm、檜材の寄木造、前後割
矧ぎ、内刳り、割首、玉眼仕上げ。

常禅寺 福井県おおい町大島
852年、智證大師円珍が一宇を建て
不動明王を刻んで 安置したと伝えら
れる。現在、無住のお寺で地元の人
達によって維持管理されている。

17-1 平安後期
不動明王坐像
像高 98cm、所々に彩色が残る。波
切不動と呼ばれ 海上安全の守護と
して厚く信仰されている。

安楽寺 若狭町無悪
828年、小野篁は 遣唐使の役目を
拒否したことで隠岐へ流された。12
年後許されて 京への帰路、若狭に
漂着。堂を築いて観音像を祀ったと
いう。

18-1 平安中期
聖観音立像
像高158cm、桧材の一木造、彫眼
彩色仕上げ。内刳りはない。 大波
と鎬の翻波衣文が覗く。

瑞龍寺仏殿 高岡市関本町
1614年に 前田利長の菩提を弔うた
め三代藩主前田利常が建立。曹洞
宗寺院で中国渡来の禅宗の形式を
如実に伝える。江戸初期の建築とし
て山門、仏殿、法堂が国宝に指定。

19-1 室町
瑞龍寺・烏枢沙摩明王(1)
室町以前の制作とされる 烏枢沙摩
明王は禅宗の寺では東司の守護神
として祀られている。

19-2 室町
瑞龍寺・烏枢沙摩明王
像高120cm。顔は斜め下を向き
不浄な振る舞いのあった猪頭の
亥子神を縛り上げ戒める。

牛伏寺 長野県松本市内田
755年、善光寺へ経典を積んだ牛が
倒れたことで寺名がある。 平安以降
豪族の信仰を得て、広大な寺域に堂
宇が建てられた。1612年の大火で全
焼したが 有力者の保護を受け再建。 

20-1 平安後期
十一面観音三尊(中尊)
像高152cm、桧材の一木割矧造、彩
色仕上げ。円みのあるなで肩の曲線
衣文の作風などに 平安末の特徴が
見られる。

20-2 平安後期
不動明王・毘沙門天(脇侍)
像高・不動明王98p、毘沙門天76p
檜材の寄木造、彩色仕上げ。動きの
少ない素朴な像である。

20-3 平安後期
釈迦三尊(中尊)
像高138p、桧材の寄木造、全身漆
箔仕上げ。頬の円味、なだらかな両
肩、流れるような薄い衣文線など 藤
原時代の特徴を示す。

20-4 平安後期
文殊菩薩・普賢菩薩(脇侍)
桧材の寄木造、彩色仕上げ。 獅子
の動的な形に文殊の両手が 合わさ
る。普賢乗る象は平板な鼻と牙など
から想像上の動物として造形。

20-5 平安後期
薬師如来坐像
像高148p、檜材の寄木造、漆箔仕
上げ。右手は施無畏の印相、左掌に
薬壷をのせる。本地垂迹説では薬師
如来は牛頭天王の本地仏となる。

20-6 平安後期
大威徳明王像
檜材の寄木造。牛に乗る大威徳明王
像単独の作品は珍しいが、牛に纏わ
る牛伏寺が特別に作造。信州唯一の
重文明王像。

善光寺 長野市元善町
644年に創建した 本田善光の名から
善光寺と命名。十数回火災に見舞わ
れたが、源頼朝、徳川家康など 権力
者の厚い保護を得て、復興を 成し遂
げた。本堂は江戸中期の再建。

21-1 鎌倉
金銅阿弥陀三尊(前立本尊)
像高・中尊42.4cm、観音30.5cm、勢
至 30.2cm。中尊は 衲衣をつけ、左
手で刀印を、右手は五指立る。菩薩
は宝冠を戴き、胸前で両手を重ねる。

21-2 鎌倉
銅造釈迦涅槃像
全長166cm。 頭を北に、西を向いて
 横たわり、右腕のひじを曲げて右手
で頭を支える。面貌や衣文に木彫り
の痕があり、木彫の原型から鋳造。

清水寺(保科) 長野市若穂保科
坂上田村麻呂が大同年間(806~810)
に建立したと 伝承。 往時は 堂塔伽
藍を備えた盛大な寺であった。 1916
年の火災で全焼の後、堂宇が再建さ
れ石位寺から多くの仏像が移された。

22-1 平安中期
薬師如来坐像
像高84.5p、一木造。内刳を施 し背
板をあてる。膝前の翻波式や裳先の
彫り口が粗い。頭部は綿帽子のよう
に肉髻部がはっきりしない。

22-3 平安後期
聖観音立像
像高177 cm、桧材の寄木造り、彩色
はほ とんどはげ落ちて素地が出てい
る。左手は曲げて蓮華を持ち、 右手
を下 げて与願印を取る。

22-4 平安後期
千手観音
像高139cm、頭・体とも 一木造、 背
部 にわずかな内刳 を施す。膝は厚
めで翻波式 衣文が見られるが、彫り
は浅い。顔がやや長 く、体部は筒形。

22-5 平安後期
地蔵菩薩像(脇侍)
像高159cm、寄木造、彩色仕上げ。
丸造りの像で、丸みのある顔と両肩
の曲線、左腕にかかる衲衣や 正面
の衣文は流れるように美しい。  

22-6平安後期
阿弥陀如来立像
像高161cm、桧材の寄木造、漆箔仕
上げ。こまかに均一に刻まれた螺髪
一文字の髪際、小粒な目鼻立ち、な
で肩で長身の体部は 奥行きが浅い。

22-7 平安後期
広目天・多聞天
像高・広目天152cm 多聞天150cm、
桧材の寄木割矧造、彫眼、漆箔、彩
色仕上げ。忿怒の表情は、抑えられ
体部は、ほぼ直立した姿態に近い。

清水寺(松代) 長野市松代町西条
803年に坂上田村麻呂の東北遠征戦
勝祈願のために開山。創建時の伽藍
は火災に遭い焼失したが、武田信玄
の供料で再建。江戸中期の大火災で
七堂伽藍を焼失。現在地に移転した。

23-1 平安中期
千手観音立像
像高179cm、桂材の一木造。内刳り
なし。 一木造りの手法や、翻波式衣
文から貞観様式が、みれるが量感を
欠き、武骨さがなく平安中頃に下る。

23-2 平安中期
観音菩薩立像
像高159cm、桂材の一木造。異国風
顔立ちで、高い天冠台、調和を 保ち
ながら、動勢を生み出す。胸は大きく
腹はぐっと突き出し腰は絞る。

23-3 平安中期
地蔵菩薩立像
像高157cm、観音菩薩と 同じ樹種、
構造であり、豊かな胸、いかり肩で
作風も共通、観音像と一具であっ
たと考えられる。衣文線に翻波式。

長雲寺 千曲市稲荷山荒町 
1184年、篠山中腹に開山と伝承。そ
の後、山火事で焼失。1589年に現在
地の荒町に再建。江戸中期に伽藍を
再興したが、江戸末の善光寺地震で
伽藍を焼失。本堂は明治の再建。

24-1 江戸時代
愛染明王坐像
像高 91.5cm、桧材の寄木造、彩色
仕上げ。忿怒相で開口して歯牙を表
わす。新しい仏像であるが、 鎌倉の
作風を持つ。京都の久七の作品。



トップへ
戻る