近畿・中国の仏像
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 ※大阪
01観心寺
02孝恩寺
03道明寺本堂
04葛井寺
05獅子窟寺
06野中寺
07金剛寺
08大阪・東大寺
09四天王寺

 ※和歌山
10道成寺
11慈尊院
12熊野速玉大社

 ※兵庫
13浄土寺
14鶴林寺
15一乗寺
16円教寺
17温泉寺
18神呪寺
19大乗寺
20達身寺
21中山寺
 ※三重
22金剛證寺
23慈恩寺

 ※鳥取
24三仏寺
25大山寺

 ※島根
26鰐淵寺

 ※岡山
27安養寺
28余慶寺

 ※広島 
29耕三寺
30西國寺
31尾道浄土寺
32西堤寺
33大願寺

 ※山口
34阿弥陀寺
35周防国分寺
36龍蔵寺

観心寺 河内長野市寺元
701年役行者によって開創される。
815年空海が真言宗の道場として再
建し如意輪観音を刻んで本尊とする。
国宝金堂は和様、禅宗様、大仏様を
折衷する。


観心寺中院
中院は楠木正成の菩提寺で正成は
少年期期をここで仏道修行を行う。
湊川戦で敗れた正成の首級が楠公
首塚として祀られている。

01-1 平安前期
国宝:如意輪観音坐像 (1)
像高109.4cm、カヤの一木造。全身
に鮮やかな色が残り、衣には細かな
文様が描かれている。

01-2 平安前期
国宝:如意輪観音坐像(2)
右膝を立て、顔をやや右に傾ける。
手に持つ如意宝珠で願いを叶え、
法輪で煩悩を破壊する。

01-3 平安後期
四天王
像高150cm前後、 一木造、内ぐりの
ない古様。体をひねり、足を上げ、腕
を振うが、躍動感に欠ける。 顔付は
やや柔和で衣文の彫りは浅い。

観心寺霊宝館
地蔵菩薩、宝生如来、弥勒菩薩、
如意輪観音、伝薬師如来など平安
時代の木彫像12体がガラスケース
に納められている。白鳳期の金銅
仏数体も保管されている。

01-4 平安前期
地蔵菩薩
像高約165cm、桧の一木造、彩色
仕上げ。右手は与願印、左手に宝
珠を持つ古式。 体躯は厚く、衣文
は線条が少なく、茶杓文がみえる。

01-5 平安前期
宝生如来
像高110cm、頭体は一木造、乾漆
で仕上げ。漆箔は後補。 大きな髻
厚みのある胸、太い衣文線 などが
特徴。建掛塔内四仏の一仏。

01-6 平安前期
弥勒如来
像高110cm、頭体は桧材の一木造
乾漆仕上げ。禅定印を結ぶ。太い
脚部や存在感のある髻、厚い胸は
平安前期の特徴。建掛塔内四仏。

01-7 平安中期
釈迦如来
像高約80cm、内ぐりもない古様な
一木造。右手は上げた施無畏印 、
左手は下げた与願印を結ぶ。量
感に富み、衣文の線もやや太い。

01-8 平安後期
薬師如来
像高約90cm、割矧ぎ造。右手は施
無畏印、左手首は損失する。 顔面
は穏やかで、膝の衣の線刻が 浅い
定朝様。

01-9 平安後期
如意輪観音
像高60cm、桂材の割矧ぎ造。本尊
を作成する前に 空海が試みにつく
ったとの伝承。 実際は本尊の前立
ちとして 本尊より後に作像。

孝恩寺 貝塚市木積
1655年に孝恩上人によって創建。
国宝の観音堂と諸仏は 明治期に廃
寺となった観音寺から孝恩寺が吸収
したもの。 堂は釘を使わずに建てら
れており釘無堂と呼ばれる。

02-1 平安前期
弥勒菩薩坐像
像高 85.7cm、頭体部は榧の一木
材造、膝部分と手先のみ別材。黄
土彩仕上げ。胸前で説法印を結
び、阿弥陀如来と考えられる。

02-2 平安前期
弥勒菩薩坐像(2)
後頭部と背中には 内刳りを施し
蓋 板を充てる。怪異な顔面、量
感豊かな体部、彫りが 粗くかつ
深い衣文様など重厚な印象。

02-3 平安前期
跋難陀龍王像
像高約170cm、カヤの一木造、彫
眼 素地仕上げ。内ぐりはない。極
立つ目鼻、堂々たる体部、翻波式
衣文に平安前期の特徴を見る。

 道明寺 藤井寺市道明寺 
7世紀中葉に菅原氏の祖、土師氏
の氏寺である 土師寺を起源とする
尼寺。菅原道真が、太宰府下向に
際し伯母の覚寿尼を訪れている。

03-1 平安前期
国宝:十一面観音立像(1)
像高100cm、、檜の一本造、彩色を
施さない素地仕上げ。檀像様作品と
しては最高峰の一つ。

03-2 平安前期
国宝:十一面観音立像(2)
瞳に黒石の珠、左右に垂れる髪、胸
の飾りなどに、檀像彫刻の技巧の妙
が見られる。

葛井寺 藤井寺市藤井寺
百済系王仁氏の子孫である葛井連
の氏寺として7世紀後半に建立され
た。平安後期から観音霊場として知
られる。

葛井寺内陣

04-1 天平
国宝:千手観音坐像(1)
本尊の国宝乾漆千手観音坐像は寺
伝によると 725年に行基によって開
眼法要が営まれたとされる。

04-2天平
国宝:千手観音坐像(2)
千手観音としては 最古のもので実
際に1043本の手を持つ。通常は42
本が基本となる。

04-3 天平
国宝:千手観音坐像(3)
像高150cm、半丈六の脱活乾漆造。
保存状態は良好で、大阪府下唯一
の天平仏である。

 獅子窟寺 交野市私市 
聖武天皇の勅命により行基が創建。
境内の岩が獅子の吼口に似て獅子
窟寺と名付ける。薬師如来に祈願し
て病気が平癒した亀山上皇が再興
したが大坂の陣で伽藍は全て焼失。

05-1 平安初期
国宝:薬師如来坐像(1)
行基菩薩が刻まれた榧の一木造。
像高92cm、眉、切目、口唇、衣文
の翻波様式に平安初期の特徴。

05-2 平安初期
国宝:薬師如来坐像(2)
左手先および右手肘より先が後補
で、像容から元は 胸前に説法印を
結ぶ阿弥陀像とも思われる。

 野中寺 羽曳野市野々上
聖徳太子が蘇我馬子の助力を得て
建立したと伝えられる。創建時の堂
塔は南北朝時代の兵火を受けて全
て焼失。境内には中門跡・金堂跡・
塔跡などを示す礎石を残す。

06-1 白鳳
弥勒半跏像
1918年に偶然発見された弥勒半跏
思惟像は天智5年(666)の刻銘があ
り白鳳時代の基準作例。

06-2 白鳳
弥勒半跏像(2)
像高18.5cm、総高で約30cm、いわ
ゆる小金銅仏。 三面宝冠を被る頭
部は大きい。腰部は絞っている。

金剛寺 河内長野市天野町
天平年間に聖武天皇の勅願で行基
が開創。後に空海が修行したと伝え
られる。八条女院が 弘法大師御影
を安置し女性が、大師と縁を結べる
寺として女人高野と呼ばれる。

金剛寺多宝塔
一辺5.77m総高17.1mのこけら葺。
上層が 円筒形で下層が方形の塔身
を持つ。下層の屋上には亀腹と呼ば
れる漆喰が残る。平安後期に創建。
桃山期に大修理を受ける。

07-1 鎌倉
国宝:大日如来明王三尊像
金堂本尊の大日如来三尊像は密教
の尊勝曼荼羅を 立体的に表現した
もので類例が少ない。

07-2 鎌倉
国宝:大日如来明王三尊中尊
像高は313.5cm、ヒノキの寄木造、漆
箔、玉眼。宝冠をつけて 智拳印を組
む。 光背に三十七尊が見える。

07-3 鎌倉
国宝:大日如来三尊・不動明王
像高は258cm、ヒノキの寄木造、彩
色、玉眼。右手に宝剣・左手に羂索
を持つ。像内の銘文から 1234年行
快が作造する。

07-4 鎌倉
国宝:大日三尊・降三世明王
像高は201.0cm、ヒノキの寄木造、彩
色、玉眼。冠をかぶる。 右手には五
鈷杵を持つ。降三世明王の一面二臂
の坐像は類例がない。

大阪・東大寺 大阪市住吉区万代
住吉大社の周辺に所在する東大寺に
は、荼吉尼天像が伝来している。
頭上に宇賀神をあらわす一面多臂像
である。 脇手や持物は失われている
が弁才天との習合像である。

08 室町
荼吉尼天
頭頂から足先まで約90cmと大きい。
制作年代は室町時代で荼吉尼天の
古例としても希少な像である。

四天王寺 大阪市天王寺区
593年に聖徳太子の建立と伝承。平
安以降 度々災害に遭い古い建造物
は少ない。広大な敷地に南大門・ 中
門・五重塔・金堂・講堂が、一直線に
並ぶ四天王寺式伽藍が林立する。

 09-1 白鳳
金銅観音菩薩半跏像
像高22.5cm、 右手指先を右頬に添
え、右足首を左腿に乗せ、左足を踏
み下げる半跏思惟像。太子が本尊
を造る際の試みの観音との伝承。

09-2 平安前期
阿弥陀三尊(中尊)
像高約50cm、カヤ材の一木造。厚み
のある上半身、立体的に表現される
衣文が特徴。螺髪は欠損、納衣を通
肩に着け施無畏印、与願印を結ぶ。

09-3 平安中期
阿弥陀三尊(脇侍)
像高60cm弱、桧材の一木造、彩色
仕上げ。上半身は豊満な肉体で片
足を後ろに蹴上げ、腰を大きく捻る。

道成寺 和歌山県日高川町
701年に文武天皇の勅願により義淵
僧正が、開山建立。本堂には秘仏北
向き本尊と同尊の胎内から発見され
た観音の二体を安置。本堂にあった
南向き観音は宝物殿に移管。

宝仏殿内陣
宝仏殿では、本尊の千手観音像を
はじめ、四天王像、毘沙門天像、十
一面観音像といった平安前期の仏
像を安置。

10-1 天平
本堂・千手観音・胎内仏(1)
北向き観音の胎内からバラバラで発
見され観音を復元修理。像高236cm
木心乾漆造。古式で頭上面がない。

10-2 天平
本堂・千手観音・胎内仏(2)
朽ちて欠落した前面の顔、胸、腹部
は復元。多数が残る後頭部からでん
部、両膝部と脇手と手首は再利用。

10-3 南北朝
本堂・秘仏北向き千手観音
像高約320cm、胎内仏を包むように
4枚の分厚いヒノキ材を彫り、その後
に頭部や手を取付けた。

10-4 平安前期
国宝:千手三尊像(中尊)
像高294.2cm、桧の一木造 漆箔・
彩色仕上げ。左右対称の直立姿
勢。厚い上半身、脚が長い。

10-5 平安前期
国宝:千手三尊像(中尊)
通例の千手観音と異なり、手が44本
ある。また類例のほとんどない「千手
三尊」像を構成する。

10-6 平安前期
国宝:千手三尊・日光菩薩
日光菩薩は像高252cm、ヒノキの
一木造。月光菩薩は像高242cm、
カヤの一木造。両像とも漆箔、彩
色仕上げ。

10-7 平安前期
国宝:千手三尊・月光菩薩
手には日輪・月輪を持つが 持物は
後補。当初から日光・月光菩薩とし
てつくられたかは不明。

慈尊院 和歌山県伊都郡九度山
高野山道の登り口にあり金剛峯寺の
運営を図る政所として創建。 空海の
母が讃岐より当地に移ったが女人禁
制の高野山に入山できない。空海は
1か月に九度も往復し母親と面会。

11-1 平安中期
国宝:弥勒仏坐像(1)
像高は91cm、桧の一木づくり、後頭
部、躰部に内刳りを施す。 右手を挙
げて施無畏印、左手を膝上に置き与
願印を結ぶ。結跏趺坐をとる。

11-2 平安中期
国宝:弥勒仏坐像(2)
下膨れの頭部、重々しい面相、量感
のある体躯、翻波式衣文などに平安
初期彫刻の特色が見れる。

神倉神社のゴトビキ岩 新宮市新宮
熊野本宮大社、熊野那智大社とと
もに熊野三山を構成する大社。
景行天皇の時代に神倉神社のゴト
ビキ岩に降臨した熊野権現を勧進
するため社殿を造営したと伝承。

熊野速玉大社
熊野速玉大神と熊野夫須美大神の
夫婦神を主祭神とし、十二柱の神々
が祀られている。
境内に平重盛手植えの巨大なナギ
の木がある。

12-1 平安後期
国宝:熊野速玉大神
像高1m超、桧の一木造、表面彩色
仕上げ。腹前で拱手、宝冠を被り、
あご髭をたくわえる。

12-2 平安後期
国宝:熊野夫須美大神
像高1m超、桧の一木造、表面彩色
仕上げ。 胸元で拱手、衣に髪は下
ろしているが、頭頂部に高い髻。

12-3 平安後期
国宝:国常立命
像高は等身大程度、破損が激しく、
頭部は残るが体部は全面が削げて
いる。

12-4 平安後期
国宝:家津御子大神
像高は等身大程度、キリリとした顔
立で、頭巾をかぶる。胸元で拱手し
て笏を持つ。

浄土寺 小野市浄谷町
重源上人が大仏再興事業の拠点とし
て全国に東大寺の7別所を創設した。
その一つ播磨別所に1194年浄土寺を
併設。1197年に本堂の薬師堂と浄土
堂が大仏様式で建立された。

13-1 鎌倉
国宝:阿弥陀三尊
像高530cmの巨像、阿弥陀如来は
快慶の代表作である。 蓮華座には
雲が描かれ 三像とも僅かに前傾し
ており阿弥陀来迎が表現される。

13-2 鎌倉
国宝:阿弥陀三尊中尊
像高5.3m、4本の檜の寄木造、漆
箔仕上げ。左手を胸の前に右手を
下げる逆手来迎印を結ぶ。

13-3 鎌倉
国宝:阿弥陀三尊・観音菩薩
像高3.7m、3本の檜の寄木造、漆箔
仕上げ。長い髻や長い爪など宋の仏
画を手本に作像する。

13-4 鎌倉
国宝:阿弥陀三尊・勢至菩薩
像高3.7m、3本の檜の寄木造、漆箔
仕上げ。 像の根幹材を堂の構造に
組み込む耐震構造。

鶴林寺 加古川市加古川町
589年聖徳太子が16才の時、秦河勝
に命じ、仏教広宣の道場として建てら
れた。釈迦三尊と四天王を祀り、 四
天王寺聖霊院と称された。播磨の法
隆寺とも呼ばれる。

鶴林寺宝物館内部
金銅聖観音や釈迦三尊像、聖徳太
子像などの重要文化財50点を含む
250点以上を収蔵、展示する。

14-1 白鳳
宝物館・観音菩薩立像(1)
泥棒が盗み出し壊そうとしたらアイタ
タという声が 聴こえたので驚き寺に
返還した逸話がある。


14-2 白鳳
宝物館・観音菩薩立像(2)
像高83cm、 銅造、 鍍金。三面宝冠
を着け、右手をあげて来迎印を結ぶ。
通称あいたた観音。


一乗寺 加西市坂本町
650年にインドから飛来した法道仙人
が孝徳天皇より寺領を与えられ開山
と伝承。中世、近世に何度か火災に
遭ったが、平安時代三重塔などの古
建築がよく保存されている。

15-1 白鳳
銅造観音菩薩立像
像高48.0cm。頭部を大きく、手足を
小さく造り、右腕は下げて手を握り、
左腕は水平に上げ手を握る。瓔珞
は首のまわりのみで腰部にはない。

15-2 鎌倉
法道仙人立像
像高148.6cm 、桧材の寄木造。 法
道仙人の姿を表現したもっとも古い
画像。手に宝棒と杖を持ち、粗末な
法衣をまとう。

圓教寺 姫路市書写
966年、性空上人によって創建され
た。上人の徳をしたって多く天皇や
法皇、貴族が 山を訪れた。その後
も多くの僧侶の修行の道場して 栄
え西の比叡山とも呼ばれる。

16-1 平安中期
釈迦如来三尊(中尊)
像高138cm、桧材の一木造 、肉身
は漆箔、衣は黒漆仕上げ。 体躯が
ひきしまり、両膝の間はせまいが高
く、衣文も力強く現されている。

16-2 平安中期
文殊・普賢菩薩 (脇侍)
像高156cm、桧材の一木造。体躯が
豊満で量感に富む。首、腰をわずか
に曲げる。 衣は流麗で、変化をつけ
る。下肢に翻波式衣文が見られる。 

16-3 平安中期
四天王立像
像高130cm、桧材の一木造。性空上
人の弟子であった感阿上人による作
造。四像は大講堂中央の須弥壇の
釈迦三尊を囲み配置されている。

16-4 平安中期
四天王立像(2)
四天王像は それぞれ個性的である。
金色の光背を背に、足元には渦巻く
雲のような形をした土台など、いくつ
か共通点がある。

16-5 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高250cm、桧材の寄木造。螺髪は
大粒の半球状をなし、白毫は水晶を
嵌装する。表情は穏やか、上半身は
高く、肘は張らず、膝は低い。

温泉寺 豊岡市城崎町
城崎温泉を開いた道智上人にが創
建。738年、聖武天皇から末代山温
泉寺の勅号を賜わる。 鎌倉期に隆
盛を極めたが 一時衰退。正徳年間
に伽藍の再興がなされた。

17-1 平安中期
十一面観音立像
像高約210cm、 桧の一木彫の鉈彫
り。 顔のノミ跡は丁寧に仕上げ、他
の部分は荒削りとなる。大きな頭部
膝まで伸びる太い腕が見える。

 17-2 平安後期
千手観音立像
像高145cm、桧材の一木造。ほぼ左
右対称形の造型で、広がる 834本の
腕も極自然に配置される。 衣がまと
わりつき両足が浮きあがる。

神呪寺 西宮市甲山町
 831年に創建された真言宗御室派の
寺院。織田信長の焼打ち、太閤検地
での寺領の没収で堂塔も寺領も失い
山を降りる。江戸中期に甲山への復
帰が叶い、諸堂が再興された。

18-1 平安中期
如意輪観音坐像
像高98.7cm、サクラ材の一木造、内
刳りを施す。 右脚を斜めにして左脚
の上に乗せる珍しい作例。元々は左
足を垂下させる半跏像と推測。

18-2 平安後期
聖観音立像
像高206cm、桧材の一木造、彩色仕
上げ。左側面に焼け跡がある。

18-3 鎌倉
不動明王坐像
像高88.6cm、桧材の寄木割矧ぎ造。
上半身や顔は充実した力強さがあ
る。平安前期に円珍が 唐より持ち
帰った図像に基づく。

18-4 鎌倉
弘法大師坐像
像高81.2cm、桧材の寄木造、玉眼
嵌入。 椅子(後補)の上に座る。大
師58歳の姿とされる。

大乗寺 兵庫県香美町 
745年、行基による開山。 江戸中期
に行われた客殿再建に際し、円山応
挙に襖絵の依頼。 現在、障壁画165
面が遺されている。客殿は西方浄土
を取入れ、西を正面に建設された。

19-1 平安後期
十一面観音立像
像高138cm、 桧材の寄木造 、彩色
仕上げ。左手には、水瓶を持ち、右
手は与願印を結ぶ。

19-2 平安後期
聖観音立像
像高103cm、一木造。 左手に蓮華を
持ち、左手は、ヒジを折り手のひらを
前方に向け施無畏印を結ぶ。右手足
は前に出す。頭部に宝冠を被る。

達身寺 丹波市氷上町
8世紀頃の創建と伝承。 中世の仏像
を80余り所蔵し丹波の正倉院と呼ば
れる。仏像は明智光秀の丹波攻め際
し避難した客仏説と 未完成品が数体
あることから工房説の2説がある。

20-1 鎌倉
阿弥陀如来坐像
像高約230cm、寄木造。丈六像であ
るが若干小さめ。定印を結ぶ。 顔は
まっすぐに前を向いて 厳しい表情を
する。 衣文の線が浅い。

20-2 鎌倉
十一面観音坐像
像高50cm、寄木造。まるまるとし
た顔つきで目を見開き、小鼻や口
、顎は小さい。

20-3 鎌倉
薬師如来坐像
像高約115cm、寄木造。伏し目がち
で、口もとを緩める。 像内に1192年
を指す銘があり、貴重な基準作例で
ある。

中山寺  宝塚市中山寺
聖徳太子が 創建した日本最初の観
音霊場と伝えられ る。皇室をはじめ
源頼朝、豊臣秀吉などの武家からも
篤く信仰を集める。又、古くから安産
祈願のお寺として知られる。

21-1 平安前期
十一面観音菩薩立像
像高151cm、カヤ材の一木造、素地
仕上げ。 瞳は鋲であらわし、長い体
躯、まゆと眼の曲線、衣文などに 異
国的な雰囲気がある。

金剛證寺 伊勢市朝熊町岳
 825年に空海が 真言密教の根本道
場を建てる。1392年、仏地禅師が入
山し再興に努めた。江戸期に入り数
度の火災で多くの堂宇が焼失する。
現存する本堂は1609年の建築。

22-1 平安後期
雨宝童子立像
像高102p、桧材の一木造。髪が長
く垂れて頭上に宝塔を置く。 左手は
上げ宝珠を持ち、右手で宝杖を垂下
突く。天照大神が日向に下生した姿。

22-2 鎌倉
地蔵菩薩立像
像高142p、桧材の寄木造。上半身
は裸体で下半身は 丈の短い裙を着
ける。実衣類を載せる裸形像。裸形
着装像は生身信仰と考えられる。

慈恩寺 亀山市野村
728年に聖武天皇の勅願により行基
が開き、忍山神宮の神宮寺として創
建。阿弥陀如来立像は9世紀初めの
代表作。 現在は 無住寺で亀山市が
管理している。

23-1 平安前期
阿弥陀如来坐像(1)
像高 162p、桧の一木造、漆箔仕
上げ。左手は与願印、右手は施無
畏印。納衣を偏袒右肩に着ける。

23-2 平安前期
阿弥陀如来坐像(2)
もとは忍山神宮寺の本尊。災禍を
経て、当初の薬師如来が 阿弥陀
如来立像に改作されたと 思われ
る。

三佛寺 鳥取県三朝町
849年、慈覚大師が、伽藍が建立。
三徳山を境内とする山岳修験者の
道場として栄えたが、 兵火で多くを
焼失。 絶壁の窪みに建てられた神
社本殿は投入堂として知られる。

24-1 平安後期
十一面観音
像高160.1cm 、一木造 、彫眼。頭
部に 小面を取り付けていた跡が残
る。 口に朱、眉、眼、口髭を墨書き
する。

24-2 平安後期
蔵王権現正(本尊)
像高116.4cm、桧の寄木造、漆箔仕
上げ。 悪魔を抑え、修験者を導く守
護神。 胎内納入文書より 康慶の作
品と判明。

24-3 平安後期:
蔵王権現(脇本尊) 6体
いずれも桧材の一木彫り。中央作り
の漆箔の正本尊とは違い、いかにも
地方の作品と 思わせる素朴な素木
の彫りである。

24-4 平安後期
蔵王権現立像(旧前立)
像高75cm、桧材の一木造。内刳なし
彫眼。近年の作として 本尊の御前立
として安置されていたが 年輪年代測
定の結果、1002年のものと判明 。

大山寺 鳥取県大山町
8世紀初頭に金蓮上人が創建。平安
後期以降は 多くの寺院と僧兵を擁し
比叡山に並ぶ 隆盛を極めた。 明治
の神仏分離で急激に衰退し、現在は
4つの参拝堂と10の支院を残す。

25-1 平安後期
阿弥陀如来
像高 279 cm、檜材の一木造、内刳
り、漆箔仕上げ。偏袒右肩に衲衣を
着け、上品上生に印を結ぶ。胎内の
墨書銘から1131年良円の作と判明 。

25-2 白鳳
銅造観音菩薩
像高27.3cm、銅造。三面宝冠を戴き
正面に化仏を付ける。垂下させた左
手に宝珠を持つ。 頭部が大きく、口
元がやや緩む。

鰐淵寺 出雲市別所町
594年に智春上人により創建。最盛
期には42坊を擁する大寺として大き
な影響力を持った。現在は 本坊のみ
が残るが、境内には 中世から変わら
ぬ姿が残されている。

26-1 白鳳
銅造観世音菩薩立像
像高94.6cm 、台座に692年に出雲
国の若倭部臣徳太理なる人物が造
立した旨の銘記があり、この時代の
基準作として重要 。

安養寺 倉敷市浅原
749年、報恩大師により開山された。
備中福山には 仏教聖地が広がり安
養寺は中心本坊として栄えた。南北
朝の兵乱により伽藍は、焼失し毘沙
門堂だけが残る。

27-1 平安後期
毘沙門天立像
像高約205cm 、檜材の一木造り。
彫眼。動きは少なく、邪鬼の上に立
つ。 体の厚みは薄く、彫りも全体に
浅い。

27-2 平安後期
吉祥天
像高約170cm、檜材の一木造り、彩
色仕上げ。彩色はほぼ剥落し、素地
が見える。毘沙門天同様に体の厚み
は薄く、彫りも全体に浅い。

餘慶寺 瀬戸内市邑久町 
749年、報恩大師の開基。12世紀の
源平の争乱により支院や三重塔を焼
失した。 後に、岡山藩の庇護を得て
7院13坊を擁する大伽藍となる。今日
でも恵亮院など6僧院が残る。

28-1 平安中期
薬師如来坐像
像高182cm、一木造で、背中から内
刳り。太造りで大きな肉髻、狭い額と
厚い膝、衣文に渦巻文、翻波式等の
平安前期の特徴を残す。

28-2 平安中期
聖観音立像
像高約170cm、一木造で内刳りはな
い。作風に薬師如来坐像と共通の特
徴が見られる。もとは薬師如来像の
脇侍であったとの指摘。

耕三寺 尾道市瀬戸田町
実業家の耕三寺耕三が 母の菩提寺
として建立。堂塔は 日光東照宮の陽
明門を再現した孝養門など国宝建造
物を手本に建てられた。内15棟は国
の有形文化財に指定されている。

29-1 平安前期
釈迦如来立像
像高135cm、本体・台座とも カヤの
一木彫り。 厳しい顔つき、重厚な体
躯、太く彫られた衣文線などの特徴。
元々は伊勢神宮の神宮寺に所在。

29-2 平安後期
釈迦如来坐像
像高230cm 、寄木造,漆箔 仕上げ。
温和な作風だが,頭部がやや大きめ
で頭の鉢が張っている。 元々興福寺
東金堂に安置されていた。

29-3 鎌倉
阿弥陀如来立像
像高60cm、寄木造,漆箔仕上げ。
小像であるが,漆箔の上に精緻な
截金を施した秀麗な安阿弥流の作
品胎内の空洞を金箔で貼りつめる。

29-4 鎌倉
阿弥陀如来坐像(宝冠阿弥陀)
像高74.0cm、檜の寄木造り、内刳、
漆箔 仕上げ。高く伸びた髻に唐草
文の冠を被る。快慶の作品。 元は
伊豆走湯山常行堂の本尊。

西國寺 尾道市西久保町
天平年間に行基が 建立。1108年に
白河上皇の勅願寺として発展、大寺
院となる。その後、火災により焼失し
たが、足利幕府の援助により現在の
伽藍が復興された。

30-1 平安後期
薬師如来坐像
像高91cm,膝張り71cm 重量感の
ある仏像で,螺髪は切付けで,彩色
のない素木仕上げ。 金堂内陣須弥
壇に安置されている。

30-2 鎌倉
釈迦如来立像
像高78cm 、寄木造、玉眼 、素木仕
上げ。 小柄ながらも秀麗な容貌と調
和のとれた彫りの深い衣文線に快慶
作との伝承がある

浄土寺 尾道市東久保町 
616年に聖徳太子が創建と伝承。 足
利尊氏が湊川の戦いに際し、戦勝祈
願をしている。 鎌倉期の本堂、多宝
塔は国宝、室町期の山門、阿弥陀堂
は重文。境内全域も国宝に指定。

31-1 平安後期
十一面観音立像
像高1.6m、檜材の一木造、漆箔 仕
上げ。右手は 施無畏印を左手に開
敷蓮華をもつ。面相、体部は豊満で
ある。

31-2 南北朝
聖徳太子三像
像高68〜135cm。南無仏像(二歳)は
お経を唱える。孝養像(十六歳)は用
明天皇の病気平癒を祈る。摂政像は
左手に柄香炉、右手に笏を持つ。

西堤寺 尾道市向東町
平安時代に創建され、江戸時代の
寛文年間に曹洞宗に改宗。 明治5
年に火災により焼失し、その後、再
建された。

32-1 平安中期
聖観音立像
像高178.0p、榧材の一木彫り、漆
箔仕上げ。頭上の宝髻が異様に大
きく、体形は豊満な量感を持つ。全
体的に衣文の彫りも穏やかで ある。

大願寺 廿日市市宮島町
創建時は不明で鎌倉時代の初めに
僧了海により再興される。明治の神
仏分離令までは、嚴島神社の普請奉
行として修理・造営を担う。筥崎宮や
宇佐八幡宮などの修理も行う。

33-1 鎌倉
薬師如来坐像
像高50cm、檜材の寄木、割矧ぎ造、
漆箔仕上げ。 肉髻は大きく、上半身
は高く、顔つきはあくまで穏やかな定
朝様の作風 。

33-2 鎌倉
釈迦如来坐像
像高約85cm、玉眼、寄木、割矧ぎ
造。 顔つきは平明、螺髪は小粒で
髪際は水平である。 上半身は高く、
膝は低め。厳島神社千畳閣の本尊。

阿弥陀寺 防府市大字牟礼上
東大寺再建や 宗教活動の拠点であ
る7別所のひとつとして、1187年に重
源上人によって建立。 多くの塔頭を
有していたが1484年に焼失。その後
大内氏の援助を受けて再興された。

34-1 鎌倉
金剛力士立像  
像高約270p、桧の寄木造り。堂々
とした体躯 力量感あふれる表現に
鎌倉初期彫刻の特徴をみる。 快慶
一門の作とされる。

34-2 鎌倉
重源坐像
像高約90cm、桧材の一木造り、中ぐ
り無し。東大寺、浄土寺にある重源の
肖像彫刻は晩年の姿で数珠を握る
が、この像は合掌する。

周防国分寺 防府市国分寺町 
741年に聖武天皇の勅願により建
てられた官寺のひとつ。1417年の火
災で多くの伽藍を焼失。その後は防
府の国主の保護を受け金堂、 仁王
門等が再建される。

35-1 平安中期
日光月光菩薩
像高約180cm、桧の一木造で内ぐり
はない。ほぼ直立し穏やかな顔であ
るが、衣の襞は硬い。面相、体形は
ほぼ同じ。

35-2 平安後期
阿弥陀如来
像高114cm、桧の寄木造り、漆箔仕
上げ。彫眼嵌入。上品下生印を結
ぶ。伏し目、柔和な表情、なだらかな
肩、流麗な衣文線は定朝様の特色。

35-3 平安後期
四天王立像
像高200cm超、桧の一木造、漆彩
色 。守護の役割を表わすために武
装憤怒形をしており、目が輝き、手・
腰のふりなど躍動感に富んでいる。

35-4 室町
薬師如来
像高218cm、桧の寄木造、玉眼嵌
入。顔は大きく、首は短い。 表情は
出さず、体は四角ばり、衣の襞はう
ねりを多用する。

龍蔵寺 山口市吉敷
698年に役小角が、吉敷の滝を発見
し、熊野権現を勧請し 護摩業を修し
た。741年に行基が千手観音像を彫
り七堂伽藍を建立。大内、毛利の時
代には守護寺として保護される。

36-1 平安後期
大日如来
像高95cm、桧の一木造、漆箔仕上
げ。法界定印を結ぶ。衣文の彫りが
浅く、膝の厚みは薄いが、豊かな面
相、肉付きの良い体部に特色。

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