関東・東海の仏像

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 ※東京
01深大寺
02静嘉堂文庫
03大倉集古館
04半蔵門
  ミュージアム
 ※横須賀
05浄楽寺
06満願寺
07満昌寺
08清雲寺
09曹源寺
 ※横浜
10弘明寺
11称名寺
12金沢文庫
13真福寺
14證菩提寺
 ※藤沢
15養命寺
16江島神社
 ※伊勢原
17日向薬師
  宝城坊本堂
18大山寺
 ※神奈川
19影向寺

20金剛寺
21宝生寺
22龍峰寺
23箱根神社
 ※山梨
24甲斐善光寺
25大善寺
26放光寺
27願成寺
28古長禅寺
 ※岐阜
29円鏡寺
30乙津寺
31願興寺
32長瀧寺
33飛騨国分寺
34養老寺
35横蔵寺
 ※静岡
36願成就院
37摩訶耶寺
 ※愛知
38滝山寺
39尾張国分寺
40普門寺
41安楽寺

深大寺調布市深大寺元町
玄奘三蔵が インドへ旅した際、砂
漠で玄奘を守護したと 伝えられる
深沙大将に由来。733年の創建で
東京都では、浅草寺に次ぐ古刹で
ある。

01-1 白鳳
国宝:釈迦如来椅像 (1)
1909年に元三大師堂の壇の下から
発見された。白鳳時代の作品。

01-2 白鳳
国宝:釈迦如来椅像(2)
像高83.9p、重量53s。蝋型鋳造
による一鋳で、像内は 空洞。銅厚
は1p内外とほぼ均一。


静嘉堂文庫美術館港区丸の内
三菱の創業者、岩崎弥太郎の弟彌
之助と 4代目社長小彌太の父子二
代によって設立された。国宝7点、重
要文化財84点を含む6500点の東洋
古美術品を収蔵している。

02-1 鎌倉
西方天(広目天)眷属
像高約32cm、玉眼 、彩色仕上げ。
西方天に従い仏法護持。下記一具。
東方・南方天眷属:東博
北方天眷属:MOA美術館

02-2 鎌倉
十二神将
浄瑠璃寺伝来の十二神将立像の
うち7体を所蔵する。 像高70.3 p
〜81.0 p 玉眼を用いる。亥神像
は冑を別に造り、頭に被せる。

02-3鎌倉
十二神将
近年 亥神の頭部内から安貞2年
(1228)の記述が発見された。 運
慶の没後5年に当たり、運慶作品
との可能性は低下。東博5体保管

大倉集古館東京都港区虎ノ門
大倉喜八郎設立による 日本初の
私立美術館。 日本の近代絵画を
中心に国宝3件、重要文化財13件
重要美術品44件を含む 約 2500
件を収蔵。

03-1 平安後期
国宝:普賢菩薩騎象像(1)
像高55.2cmの寄木造 。緑や赤系
統の彩色が全体に残り、截金も部
分的に見える。

03-2 平安後期
国宝:普賢菩薩騎象像(2)
像の背に据えられた蓮華座の上に
結跏装坐で座し、 穏やかな表情で
合掌する。

半蔵門ミュージアム千代田区一番町
2018年真如苑が所蔵する仏教美術
品を一般に公開。運慶作と言われて
いる大日如来坐像や、ガンダーラの
仏伝図浮彫りなどを常設展示する。

04-1 鎌倉
大日如来坐像 (1)
1193年足利義兼が足利の鑁阿寺
に造った仏像と推定。像高は約66
cm、割矧ぎ造りで玉眼。

04-2 鎌倉
大日如来坐像 (2)
運慶の技法で上げ底式内刳りが
見られる。2008年のオークション
で、真如苑が14億円で落札。

浄楽寺横須賀市芦名
1189年鎌倉幕府初代侍所別当和
田義盛が 奥州征伐の戦勝を祈願
して建立。 のちに、鎌倉光明寺の
僧寂恵が中興し、今に至る。

05-01 阿弥陀三尊像
1959年 に毘沙門天の体内から発見
された銘札から阿弥陀三尊像、毘沙
門天立像、不動明王立像は運慶とそ
の弟子による作品と判明。

05-02 鎌倉
阿弥陀三尊中尊(1)
像高140.0cm、ヒノキの寄木造、彫
眼。 親指と人差し指を捻る上生の
来迎印を結ぶ。

05-03 鎌倉
阿弥陀三尊像中尊(2)
頭部は 四材の矧木で首の根を体
部に差し込む。体部も四材の矧木
寄木造。全体に施されている漆箔
は後補。

05-04 鎌倉
阿弥陀三尊観音菩薩
像高178.0cm、ヒノキの寄木造、彫
眼。 左手で蓮華を掲げる。宝冠装
身具などは江戸期の後補。

05-05 鎌倉
阿弥陀三尊勢至菩薩
像高は178.0cm 、ヒノキの寄木造
彫眼。来迎印を結び、右手で蓮華
を掲げる。

05-06 鎌倉
不動明王 (1)
像高 138cm、前後ヒノキの寄木造
玉眼。 頭髪は巻毛とし、右牙を上
向き、左牙を下向きに出す。

05-07 鎌倉
不動明王(2)
左眼はすがめて下方に、右目は
上方に視線を向ける。右手に宝
剣、左手には羂索を持つ。

05-08 鎌倉
毘沙門天 (1)
像高139.5cm、 ヒノキの寄木造、玉眼。 両眼を見開いて正面をにらみ、腰をひねる。

05-9 鎌倉
浄楽寺・毘沙門天(2)
右手に鉾を握り、左手には五輪塔
を乗せ、両足の下に邪気を踏みつ
ける。

満願寺横須賀市岩戸
1194年、三浦半島一帯を治める三
浦一族の佐原義連が開基。義連は
佐原城を居城とし佐原氏を称する。
当初は、現在の数十倍の広さを誇
る大伽藍であった。

06-1 鎌倉
木造菩薩立像
像高は226.5cm、檜材の寄木造り
玉眼嵌入。佐原義連が 平氏追討
に際し、仏師に彫らせる。

06-2 鎌倉
木造地蔵菩薩立像
像高203cm、檜材の寄木造り、玉
眼嵌入。 左足を後ろに引き、顔を
斜め左方へ向ける。

満昌寺横須賀市大矢部
1194年 源頼朝が、鎌倉幕府の礎と
なった老将 三浦義明の追善のため
義明を開基として創建。1180年 三浦
義明は挙兵した頼朝軍との合流に失
敗し 、衣笠城に籠城し討死した。

07 鎌倉末期
木造三浦義明坐像
像高97.5cm、寄木造、玉眼。長い顎
ひげの顔は、気迫のこもった老武将
の表情を巧みに表現。

清雲寺横須賀市大矢部
1104年三浦義継が父為継の供養
にに建立。三浦氏の祖為通、為継
義継と三代の廟所がある。現在の
本尊は 南宋渡来の滝見観音である。

08-1 南宋時代(1127〜1247年)
木造観音菩薩坐像
像高約60cm、桜桃の寄木造、玉眼
嵌入。毛髪、瓔珞は 中国独特の練
物。瀧見観音と呼ばれる。

08-2 鎌倉
毘沙門天立像
像高約70cm、寄木造、玉眼。和田
義盛の反乱に際して北条側の矢を
受け止めた像との伝説。

曹源寺横須賀市公郷町
奈良時代に行基が 開基した宗元寺
が起源。1192年、源頼朝が 北条政
子の御産加持を命じた 相模国の神
社仏閣 27ヶ所の一つ。後世に曹洞
宗「曹源寺」として再興。

09-1 鎌倉
十二神将立像子神
巳神が最高の91cm、 他は像高
60から80cmの像。ヒノキ材の寄
木造、玉眼入り。

09-2 鎌倉
十二神将立像丑神
鎌倉時代初期に、運慶派の仏師に
よって創作されたとされる。

09-3 鎌倉
十二神将立像寅神
後世の彩色と損傷のため、全体に
当初のおもむきを損じている。

09-4 鎌倉
木造十二神将立像卯神
法量は小さいが、軽快な動勢のあ
る姿体をたくみに表現している。

09-5 鎌倉
十二神将立像辰神
個性的な面部の表情などは いき
いきとして力感があり、 優れた彫
技を示す。

09-6 鎌倉
十二神将立像巳神
巳神のみ明らかに大きく丁寧に仕
上げられている。頬や下あごの張
りを強調した勇ましい顔つき。

09-7 鎌倉
十二神将立像午神
巳刻に生まれた源実朝の安産祈願
を行った曹源寺で、その守護神とし
て製作されたという。

09-8 鎌倉
十二神将立像未神
端正な容貌に成人後の実朝がある
べき理想的な武将像が重ねられて
いるという説がある。

09-9 鎌倉
十二神将立像申神
12体全てが完存し、その保存状態
は良い。東国鎌倉彫刻の中では重
要な作品である。

09-10 鎌倉
十二神将立像酉神
図像的に東国の十二神将像の起
点となる。

09-11 鎌倉
十二神将立像戌神
1300年の修理で戌神に残された墨
銘に建久年間(1190〜1199年) に
作造された記載がある。

09-12 鎌倉
十二神将立像亥神
源頼朝が創建の永福寺(廃寺)にあ
った十二神将を御家人の三浦氏の
依頼で縮小、模刻したという。

弘明寺横浜市南区弘明寺町
721 年 インドから渡来した善無畏
三蔵法師が 開創、聖武天皇の勅
命により737年行基菩薩が観音像
を安置して伽藍を造営。1044年に
瓦葺き本堂が建立される。

弘明寺内陣
鎌倉時代には源家累代の祈願所と
して、後年、小田原北條氏よりも崇
敬を受けた。 江戸時代には寺領五
石の御朱印状を拝領した。

10-1 平安後期
鉈彫十一面観音 (1)
像高181.7cm、 ハルニレの一木造
彩色仕上げ。唇に紅の塗り跡が眉
目、ヒゲに墨が残る。

10-2 平安後期
鉈彫十一面観音(2)
横列にノミ目を残すことで 表面を際
立たせる鉈彫の代表作。顔面にもノ
ミ目がみられる。

称名寺横浜市金沢区金沢町
1258年頃に北条実時が創建。 金
沢北条氏の菩提寺として栄えたが
鎌倉幕府滅亡後、寺運も衰退。江
戸期に堂宇を再建。本堂の前の浄
土式庭園は1987年に復元された。

11-1 鎌倉
光明院・大威徳明王
塔頭の光明院が所蔵する大威徳
明王像は 源実朝の養育係だっと
いう大弐局の発願で運慶が造立。

11-2 鎌倉
光明院・大威徳明王(2)
現存高20cmの小像。破損が甚大
で、6本あった腕の大部分と6足の
すべてが失われている。

県立金沢文庫横浜市金沢区
1930年に昭和天皇御大典記念事業
の一環として整備された。1990年に
移設。 称名寺の文化財を中心に古
文書、彫刻、美術工芸等の約2万点
の宝物を展示。

12-1 鎌倉
釈迦如来立像
像高 160cm、檜の寄木造、金泥
切金文様、玉眼。 清涼寺式釈迦
如来立像。院保、院吉の作造。
※称名寺から寄託。

12-2 鎌倉
弥勒菩薩
像高 194.5cm、彩色、切金仕上げ。
北条実時発願の弥勒菩薩で称名寺
本堂に本尊として安置。
※金沢文庫複製保管。

12-3 鎌倉
厨子入金銅製愛染明王像
銅造、鍍金、銀象嵌。像高わずか
6cm余りの念持仏。極めて精巧な
つくりの像。
※称名寺から寄託。

真福寺横浜市青葉区荏田町
江戸時代中期に創建。老朽化によ
り廃寺となり 1921年観音堂のあっ
た当地に釈迦堂を移し 真福寺とし
て再建。

13 鎌倉後期
釈迦如来立像
像高 162cm、カヤ材の寄木造。
渦巻状の頭髪、同円状の衣文な
どに清涼寺式の特徴を備える。

證菩提寺横浜市栄区上郷町
1189年の石橋山の戦いで源頼朝の
の身代わりとなって戦死した佐奈田
与一義忠 (三浦義明の弟岡崎義実
の息子)の菩提を弔うため、頼朝が
建立。

14-1 平安後期
阿弥陀三尊本尊
像高 112cm、 桧の寄木造 、彫眼。
丸顔で、螺髪はは細かく、整然と並ぶ。安定感がある。

14-2 平安後期
阿弥陀三尊両脇侍像
像高105cm、桧の寄木造、彫眼仕
上げ。裙を大きく折り返し、襞を浅
く刻む。わずかに腰をかがめる。

養命寺藤沢市城南
1517年に宗賢院の第三世暁堂元
龍によって創建された。 本尊は、
1197年の銘をもつ薬師如来坐像。
源頼朝に仕えた大庭景義の子景
兼の 守護仏であったと伝えられる。

15-1 鎌倉
薬師如来坐像
像高90.5cm、檜材寄木造、漆箔
玉眼仕上げ。。 建久8年(1197)
の銘が胎内に残る。

江島神社藤沢市江の島 
552年に創建。源頼朝が御窟に大弁
才天を勧請。八臂弁財天は、厳島神
社、竹生島と共に日本三弁天と 称さ
される。江戸期では、江島明神と称し
勝運の神として信心された。

16-1 鎌倉
八臂弁才天坐像
像高 58.9cm、頭上に蛇身の宇賀
神をいただく宇賀弁才天の最古の
遺品。

16-2 鎌倉中期
妙音弁財天
裸弁財天ともいわれ、琵琶を抱え
たた全裸の坐像。 芸事の上達を
願う人々より信仰を集める。

日向薬師伊勢原市日向
日向山霊山寺は 716年に行基によ
り開創された。かつては大寺院であ
あったが 廃仏毀釈で多くの堂 舎を
失う。現在、霊山寺の別当坊であっ
た宝城坊が寺籍を継ぐ。

日向薬師宝城坊宝物殿
平安から鎌倉にかけて造立された
重要文化財の仏像等を納める。

17-1 平安中期
薬師三尊中尊(1)
像高 116.7cm カツラ材の鉈彫り
様式。左手に薬壺を持つ 右手は
上げて施無畏印を結ぶ。

17-2 平安中期
薬師三尊中尊(2)
面相部は入念に仕上がるが、 髪
際の線がゆがみ、鼻梁の線が 額
の中央まで伸びるなど、大らかな
作風。

17-3 平安中期
薬師三尊左脇侍日光菩薩
像高は日光菩薩 123.3cm、月光菩
薩123.9cm。カツラ材の一木造で鉈
彫り。衣文線は明確に表現。

17-4 平安中期
薬師三尊右脇侍月光菩薩
表面のノミ痕は、薬師像よりも入念
に整えられる。 彫口が光の加減に
よって様々な表情を見せる。

大山寺伊勢原市大山
755年、良弁の開創。華厳・真言天
台宗の修験道場として栄えた。また
江戸期には 関東三大不動として大
山不動詣が 盛んに行われた。明治
の神仏分離により現在地に移転。

18 鎌倉
不動明王
像高97.9cm、鉄造、水晶玉眼嵌
入。鉄仏の中で最も優れた作例。
鉄仏は、100例程が残る。

影向寺川崎市宮前区野川
740年に 聖武天皇の命を受けた僧
行基により 開創。 出土した古瓦の
様式から7世紀末頃には創建。 往
時には 数多くの末寺を擁した本寺
格の寺院であった。

19-1 平安後期
木造薬師三尊中尊
像高139cm、ケヤキの一木造。が
っしりした体形だが、 表情は柔和
で、衣文の彫りは浅い。

19-2 平安後期
日光・月光菩薩
像高171cm、桜材の一木造。すらり
りと直立する。髻は低く、肉付けや
衣文は、穏やかな造形。

金剛寺厚木市飯山
807年に弘法大師が建立。鎌倉時
代には、華厳学研究の律宗寺院と
して栄えた。 南北朝の混乱により
衰退していたが、16世紀中頃に曹
洞宗に改宗して再興される。

20-1 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高139.3cm、檜材の寄木造。全体
的な容姿や衣の線など、関東に残る
定朝様の代表作。

宝生寺茅ヶ崎市西久保
鎌倉時代、善光寺信仰が 全国的に
広まり、 善光寺の本尊 阿弥陀三尊
が模刻される。阿弥陀堂の模刻阿弥陀三尊は 1195年の造立で、大庭景義の持仏といわれる。

21 鎌倉
阿弥陀如来三尊
像高中尊58.3cm、脇侍30cm。銅造
の善光寺式三尊像。火災で勢至菩
薩は後ろに反返る。

龍峰寺海老名市国分北
鎌倉の建長寺の末寺として室町時
代初期に創設。昭和初期に末寺の
清水寺の観音堂をはじめに遺構を
受け継ぐ。清水寺は明治の廃仏毀
釈により寺名が廃止された。

22-1 鎌倉初期
千手観音立像(1)
像高192cm、一木造。 面部を仮面
状に矧ぎ、玉眼嵌入。2手を頭上で
組む清水寺式千手観音。

22-2 鎌倉初期
千手観音立像(2)
天衣の太い線は平安初期の翻波式
の技法。面貌、玉眼嵌入は 鎌倉時
代のもの。各々の特徴がみられる。

箱根神社足柄下郡元箱根
757年、万巻上人が、箱根大神の御
神託を授かり社殿を建立。武将の心
願成就、勝負の神として名を馳せる
その後、東海道中 の無事の祈願や
安産祈願など多くの方に崇敬される。

23-1 平安後期
男神坐像
像高67.5cm、檜の一木造。 面貌
は鼻すじが高く神々しい威厳に満
ちた表情で彩色もよく残る。

23-2 平安後期
女神坐像
像高 60cm、檜を用い脚部や手首
を矧ぐ。彩色もよく残り、面貌はや
や伏し目の穏やかな表情。

23-3 平安前期
木造万巻上人坐像
像高85cm カヤ一木造、内ぐりは
施さない。衣の襞の翻波式など平
安前期の特色を備える。

甲斐善光寺 甲府市善光寺
武田信玄が川中島合戦の際に信濃
善光寺の本尊や宝物類を 避難させ
たことに始まる。金堂は、山門ととも
に江戸中期を代表する建造物として
国指定の重要文化財となっている。

24-1 平安後期
銅造阿弥陀如来及両脇侍立像
像高・阿弥陀147cm、観音95.5cm、
勢至95.1cm。銅造鍍金。中尊の重
量は242kgで堂々たる威容を誇る。 

24-2 平安後期
木造阿弥陀如来及両脇侍像
像高・阿弥陀140cm、観音139cm、
勢至139cm。桧材の寄木造、彫眼
漆箔仕上げ。藤原仏の構造を有し
本格的な定朝様式を伝える。

大善寺甲州市勝沼町
718年、行基の開創と伝承。 聖武
天皇より寺号と勅額を賜る。鎌倉
幕府の祈願所として繁栄し、現在
の本堂は 北条貞時の勧進を得て
1290年に落成を見た。

25-1 平安前期
薬師如来
像高85.4cm、サクラ材の頭部から体
までの一木造。 均整の取れた、まと
まった造形に加えて特徴的な指の長
さや手の形状が見られる。

25-2 鎌倉
日光・月光菩薩立像
像高・日光菩薩248cm、月光菩薩
247cm、桧材の寄木造、水晶製の
玉眼 嵌入。像内は内刳りを施し、
割首とする。

25-3 鎌倉
十二神将立像
像高145.9〜138.2cm、桧材の一木
造及び寄木造、玉眼嵌入。各像は、
がっしりとした体躯に甲冑を着け様
々に武器を執る。

25-4 鎌倉
十二神将立像(2)
大きく口を開くもの、固く口を引き
結ぶもの、目を思い切り 見開くも
のなど、それぞれに独特の表情を
持つ。

放光寺 甲州市塩山藤木
安田義定が 一ノ谷の戦いの戦勝を
記念して建立。武田信玄の祈願寺と
して繁栄したが、織田信長の兵火に
より焼失した。 その後、江戸初期に
徳川家の保護により再興した。

26-1 平安後期
大日如来坐像
像高95.4cm、檜材の寄木造。頭体
幹部を左右に二材矧、割首して内
刳り。部分的に布張錆下地漆箔仕
上げ。宝冠は銅製渡金である。

26-2 平安後期
不動明王立像
像高148.4cm、檜材の一木造、内刳
がある。部分的に布張りの彩色仕上
げ。衣文線は浅い。忿怒の相の中に
もおだやかな表情が覗かれる。

26-3 平安後期
愛染明王坐像
像高89.1cm、檜材の寄木造、彩色
仕上げ。彩色ほとんど剥落。弓と矢
をつがえた天弓愛染は少なく、
神童寺、金剛峯寺が知られている。

26-4 鎌倉
金剛力士立像
総高・阿形263.0cm、吽形264.0cm、
体の赤い色は、元禄時代の修復時
に塗りなおされた。 両体とも鬢だけ
を剃り残して髻を結いあげる。 

願成寺 韮崎市神山町鍋山
平安末期に武田氏始祖の武田信義
が菩提所とし開祖する。武田氏滅亡
後、火災で寺宝を消失。その後、江
戸初期になり赫山和尚が 再興に着
手し庫裏、本堂などを随時再建した。

27-1 鎌倉
阿弥陀如来及び両脇侍像
像高・中尊86cm、観音菩薩89cm、
勢至菩薩102cm、桧材の寄木造。
衣文線の彫りは浅いが 流麗である。
頬のふくよかさに鎌倉の特徴を見る。

古長禅寺 南アルプス市鮎沢
夢窓疎石が1316年に長禅寺を創
建。武田信玄の母堂が菩提寺とし
た。後に信玄が容易に母の供養が
出来るように甲府にも長禅寺を開
創。故に古長禅寺と呼ばれる。

28-1 鎌倉
夢窓疎石坐像
像高82.5cm、桧材の寄木造、挿首、
玉眼嵌入、彩色仕上げ。 中年期の
姿で、椅子の上で禅定印を結ぶ。
衲衣の上に袈裟をまとう。

円鏡寺本巣郡北方町
811年、嵯峨天皇の勅命により空海
の創建と伝承。一条天皇より円鏡寺
の名を授かる。 江戸期に焼失の観
音堂は 1741年に再建された。歴代
権力者から寺領寄進を受けている。

29-1 平安後期
聖観音立像
像高166.7cm。寄木彫眼、皆金色。
宝髻は 低く宝冠台は 外に開いて眼
は伏目。衣文は平行線を描いて美し
く表現。

29-2 平安後期
不動明王立像
像高182.7cm、寄木造、彫眼、彩
色仕上げ。形相は不動十九観の
約束に従っているが、誇張に陥ら
ず穏で写実的な作風。

29-3 鎌倉
金剛力士立像
像高各230.3cm、寄木造、玉眼。口
を開く阿形、口を閉じる吽形の対で
金剛力士と呼ばれる。 筋肉表現に
誇張もなく、表情は温和な造り。

乙津寺 岐阜市鏡島
738年、行基により草庵が つくられ
後ちに空海が、寺院とした。鏡島や
梅寺の由来は 空海の奇瑞による。
弘法大師信仰が 厚いが、1549年
の再興に際し、臨済宗に転じた。 

30-1 平安後期
千手観音
像高109.4cm、樟材の一木造。やや
面長で口をへの字に結び 厳めしい
表情である。 体形は細く、ほぼ直立
する。衣文線の彫りは浅い。

30-2 平安後期
毘沙門天立像
像高160.6cm、大きく見える像で、
髪は低く結い、憤怒の表情や体
勢は控えめである。腕 腰は太く、
逞しい。安定感がある。

30-3 鎌倉
韋駄天立像
像高78.8cm、木造、玉眼、彩色仕上
げ。鼻、口が顔の中央に寄る。兜は
着脱できる。衣は自在に波打ち、下
半身右足を横に開く。

願興寺 岐阜県御嵩町 
815年、最澄が施楽院を開創との伝
承。一条天皇の勅願により、伽藍が
整備される。蟹に乗った蟹薬師とし
て信仰を集めた。兵火で焼失するが
歴代の領主により再建される。

31-1 平安後期
薬師三尊(中尊)
像高163cm、素地仕上げ。半丈六
のどっしりした坐像で 衣文線もくっ
きりとしている。

31-2 平安後期
脇侍(日光・月光菩薩)
像高共に約200cm、日光菩薩は
女性的、月光菩薩は男性的に表
現される。

31-3 平安後期
阿弥陀如来立像
像高164cm、玉眼、一木造。保存状
態はよい。穏やかな像だが、上げ底
式の像底や髪の表し方などに慶派の
特徴が見れる。

31-4 平安後期
四天王立像
像高242cm前後 、桧材の寄木造、
表面乾漆仕上げ。各像ともいたっ
て動きが少なく静かな姿を示 す。

31-5 平安後期
四天王立像(2)
増長天と多聞天は邪鬼を踏みつけ、
持国天と広目天は岩座の上に立っ
ている。巨像で、地方作らしく朴訥と
した造形に味わいがある。

31-6 平安後期
十二神将立像
像高114cm前後、頭に十二支の
標識をつけており、その年のえと
の像だけは 本堂に安置される。
他は霊宝殿に保管。

31-7 平安後期
十二神将立像(2)
薬師如来の12の大願に応じて、12の
方位、12の時刻を警護する。 この時
刻には 時間、日、月、年のすべてが
含まれる。

31-8 鎌倉
阿弥陀如来坐像
像高82cm、寄木造、玉眼嵌入。

31-9 鎌倉
釈迦三尊(中尊)
像高79.6cm、玉眼 、寄木造、漆箔
仕上げ。 胸前に手を構える説法印
を結ぶ釈迦如来像は、希少である。
他では鎌倉の極楽寺に見られる。

31-10 鎌倉
脇侍(文殊・勢至菩薩)
像高各45.0cm、普賢は 普遍の理
性を示し、文殊は 知恵を司る。通
例では文殊が、中尊の左手、普賢
は右手になるが、逆になっている。

長瀧寺 郡上市白鳥町
718年、勅命により泰澄が創建。郡
上郡に宗教勢力として君臨したが、
戦国時代以降、朝倉氏の侵攻で衰
退。明治の神仏分離で打撃を受け、
現在の堂宇は縮小再建されたもの。

32-1 鎌倉後期
釈迦三尊(中尊)
像高52cm、桧材の一木割矧造、玉
眼嵌入、内刳りを施す。表面は錆下
地の上に金泥仕上げ。衣部には細
かい切金文様を施す。

32-2 鎌倉
普賢・文殊菩薩(脇侍)
像高30cm 、文殊像は全身を金泥仕
上げ、普賢像は肉身は白肉色、衣を
金泥仕上げ。文殊像が袈裟を着ける
服制は宋代の様式。

32-3 鎌倉
四天王立像 、
像高101.5〜103.8cm、寄木造、玉
眼。 四体とも堂々と力強く、動勢の
把握も的確。着衣や甲に花文や鳥
獣や法具など多彩文様が見れる。

32-4 南宋
韋駄天立像
像高97.3cm、木心塑像。長い眉や
切れ長の目や太い鼻梁の鼻が 特
徴。 鎧の細部などは捻塑材で造る。
切金を交えた彩色が鮮やかに遺る。

32-5 南宋
善財童子立像
像高64.5cm、寄木造 。髪などは練
物と呼ばれる捻塑材で造られる。

飛騨国分寺 高山市
746年に行基が開基と伝承。歴代領
主から庇護され、中心寺院として栄える。造営された七堂伽藍は焼失、再
建を繰り返す。 大銀杏、三重塔、高
山城の鐘楼門などが現存する。

33-1 平安後期
薬師如来坐像
像高145.7cm、一木造。丸い穏や
かな顔面にくっきりした目鼻立ち。
肉髻は高く、螺髪は 小粒で整う。
 瞼と目の境に深い彫込みが入る。

33-2 平安後期
聖観音菩薩立像
像高204cm、一木造。丸顔で直立し
た姿勢、宝冠に化仏を付ける。下半
身の裳は大きく折り返す。衣の襞は
浅い。元々国分尼寺の像との伝承。

33-3 平安後期
阿弥陀如来
像高60cm、螺髪はやや大きく 胴体
は短?で首が太く、膝張りは短く厚み
がある。翻波式文様が はっきりと刻
まれており定朝様式の先駆をなす。

養老寺 岐阜県養老町
 奈良時代、元正天皇の御代に創建と
の伝承。 天平時代以降は七堂伽藍も
整う大寺院であったが 織田信長の兵
火で焼失。 その後、江戸初期に高須
藩の援助でが再建された。

34-1 鎌倉
千手観音
像高92cm、彫眼 、寄木造。やや
大顔で、優しい顔つきをしている。
なで肩で恰幅のある体形、浅いひ
だの流れ、脇手は 控えめである。

横蔵寺 岐阜県揖斐川岐町
最澄が 自作の薬師如来を安置して
創建。鎌倉時代には 38坊を有する
大寺院だったが、織田信長の兵火
で焼失。主要伽藍は江戸時代の復
興。即身仏寺 として知られる。

35-1 平安後期
大日如来坐像
像高約80cm、桧材の割矧ぎ造、玉
眼。顔は、やや下を向き眉は高々と
はあげず、目は細く切れ長、口・顎
は小さめにつくる。

35-2 平安後期
十二神将立像
像高・卯申の2神将は約85cm、他は
100cm余り寄木造、彫眼。 大きな姿
勢をとらず、控えめだが、おかしみ、
可愛らしさがある。

35-3 平安後期
深沙大将立像
像高175.5cm、樟材の一木造、彩
色仕上げ。角のような頭髪、飛び
出る眼、腕や足に巻き付いた蛇、
腹前に付けた面などが特異。

35-4 平安後期
板彫法華曼荼羅
縦18cm、横16cm、厚さ1.5cmの板に
法華経の世界を立体的に表現したも
の。中央には多宝塔、左右には普賢
文殊菩薩、四隅に四天王を配置。

35-5 鎌倉
薬師如来坐像 鎌倉
像高87.7cm、桧材の寄木造、玉眼、
漆箔仕上げ。左手に薬壷を乗せ、右
手を外に向ける。もと洛北にあった仏
像で、鎌倉彫刻の正統を継ぐ。

35-6 鎌倉
金剛力士立像
像高・両像約280cm、桧と桂材の寄木
造。忿怒の形相凄まじいが、誇張には
走らず、上品さを保つ。胎内銘文より
作者と作造年が判明。

願成就院 伊豆の国市寺家
1189年、源頼朝の奥州藤原攻め
に際し 北条時政が 戦勝を祈願し
建立。北条氏が 境内を整備し大
伽藍を誇ったが、兵火により堂宇
は焼滅。本堂は江戸期の再建。

願成就院大御堂内陣
国宝阿弥陀如来、不動明王及び二
童子、毘沙門天の各像は運慶が若
い頃の1186年に制作したもの。

36-1 鎌倉
国宝:阿弥陀如来坐像
像高142cm、ヒノキの寄木造。胸前
に両手を挙げる説法印の指は破損
する。30歳代の運慶の作。

36-2 鎌倉
国宝:阿弥陀如来坐像(2)
火災で顔に損傷を受け、 彫り直され
た形跡がある。目は彫眼だが、元々
は、玉眼であると思われる。

36-3 鎌倉
国宝:不動三尊像
像高は136.8cm、ヒノキの寄木造、
玉眼。胎内 の塔婆形名札に運慶
の名。

36-4 鎌倉
国宝:不動明王
肉付きのよい逞しい体躯、 左右対
称の面相で 正面を見据え、牙2本
は下向き、目に水晶の玉眼。

36-5 鎌倉
国宝:矜羯羅童子
像高は77.9cm、ヒノキの寄木造、玉
眼。童子の臆病で人の言うことを聞
く性格を巧みに表現。

36-6 鎌倉
国宝:制た迦童子
像高81.8cm、ヒノキの寄木造
玉眼。童子の活発で生意気な
性質を巧みに表現。

36-7 鎌倉
国宝:毘沙門天(1)
像高は 148.2cm、ヒノキの寄木造
玉眼。胎内 の塔婆形名札に運慶
の名がある。

36-8 鎌倉
国宝:毘沙門天(2)
玉眼で、眼光鋭く、鼻は大きく、口
はへの字に結び、足を肩幅よりや
や開いて邪鬼を踏みつける。

摩訶耶寺浜松市浜名区
726年行基によって開創された。平
安末期に一条天皇の勅願により現
在地に移る。国指定名勝である池
泉観賞・回遊式蓬莱庭園は壮大な
自然を表現する。

37-1 平安中期
千手観音立像
像高152.4cm、カヤ材の一木造、彩色
仕上げ。内刳りなし。唇と体幹部左側
面に朱色が残る。左脇手前列最下部
の掌に目が描かれた痕跡がある。

37-2 平安後期
不動明王立像
像高 95cm、檜材の寄木造、彫眼。
怒りの中に慈愛が覗く形相、左肩
に垂らした 巻き髪、上腕と手首の
飾りに平安後期の特徴が見える。

滝山寺岡崎市滝町
1122年 創建と伝えられる天台宗の
古刹。 境内の滝山東照宮は 三代
将軍 徳川家光の命により勧進され
れたもの。 日光、久能山とともに日
本三東照宮のひとつ。

38-1 鎌倉
運慶仏
縁起によれば源頼朝の三回忌にあ
たる1201年に頼朝追善のため仏師
運慶・湛慶父子が作像。

38-2 鎌倉
聖観音(1)
像高174.4cm 、桧の寄木造、彫眼。蓮華を持つ左手に右手を添え蓮華
座の上に立つ。

38-3 鎌倉
聖観音(2)
髷を高く結い、丸顔、高貴な眼差し
で、源頼朝と等身である。像内には
頼朝のひげや歯を納める。

38-4 鎌倉
梵天(1)
像高106.5cm 、桧の寄木造、彫眼
仕上げ。 四面四臂、各面の額にも
う一つの目を持つ三眼。

38-5 鎌倉
梵天(2)
左手の一手に蓮華を持ち、右の一
手は軽く拳をつくり、蓮華座の上に
立つ。

38-6 鎌倉
帝釈天(1)
像高104.9cm 、桧の寄木造、彫眼
仕上げ。一面三眼で、条帛の下に
胸甲を着ける。

38-7 鎌倉
帝釈天(2)
右手に独鈷杵を執り、右足をやや
踏み出して蓮の葉の 荷葉座の上
に立つ。

尾張国分寺 稲沢市矢合町
元々は円興寺で鎌倉末期に開創さ
れた。17世紀初頭に尾張国分寺跡
より国分寺堂を現在地に移す。 現
在の国分寺は 1886年に円興寺が
改称したもの。

39-1 鎌倉
釈迦如来坐像
像高103.1cm、桧材の寄木造、玉眼
嵌入。八方宝冠(後補)をいただき定
印を結ぶ。衲衣のかたちは中国宋代
以降の仏像によくみられる。

39-2 鎌倉
釈迦如来坐像
像高60.7cm、檜材の寄木造、玉眼嵌
入。宝冠をいただき、定印を結ぶ。宝
冠は、天冠台を波形につくり、上縁の
間に唐草を透彫りにする。

39-3 鎌倉
伝覚山和尚坐像
像高84cm、桧材の寄木造、玉眼を
嵌入。まなじりの下った両眼は瞼に
抑揚をつけ、 固く結んだ唇と相まっ
て、意志の強さを表現。

39-4 鎌倉
伝熱田大宮司夫妻坐像
像高・男子像60.7cm女子像60.9cm
桧材の寄木造。男子像は衲衣の上
に袈裟をかけ、婦人像は 垂髪を両
肩に、衣上に袈裟をかける。

普門寺 豊橋市雲谷町
727年に行基により 創建されたと伝
承。その後、源頼朝の保護を受け大
いに繁栄した。戦国時代の兵火によ
り焼失したが、今川氏により再興。
江戸期には徳川家の保護を受ける。

40-1 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高約140cm、桧材の割矧ぎ造、漆
箔 仕上げ。 手を膝の上で組んで 定
印を結ぶ。大きい顔に細い首。 衲衣
や裙の浅い衣文線が映える。

40-2 平安後期
釈迦如来坐像
像高約140cm、 カヤ材の割矧ぎ造
漆箔 仕上げ。施無畏、与願印を結
ぶ。螺髪は小ぶりで背筋はよく伸び
両膝は左右に張るなど定朝様式。

40-3 平安後期
四天王立像
像高171〜177cm、桧材の一木造、
彩色仕上げ。下半身は、前からは
中肉に見えるが、側面は量感があ
る。

40-4 平安後期
四天王立像(2)
増長天は、口を開いて威嚇する。広
目天と持国天は刀を振りかざし、増
長天は三鈷戟、多聞天は 宝塔では
なく宝珠を持つ。

安楽寺 稲沢市船橋町
かつては天台宗の寺院で観音寺と
称し、国分寺の一支院であったが、
南北朝の頃、臨済宗に改宗して寺
名を安楽寺と改称した。

41-1 平安後期
十一面観音立像
像高97.8cm、榧材の一木造。頭上
面は鎌倉未頃の補作。天冠台が低
く、目鼻だちが童顔で、衣文の彫り
口が浅い。

41-2 平安後期
釈迦如来坐像
像高142cm、桧材の寄木造、彫眼。
左手は、膝上で掌を仰ぎ与願印を結
ぶ。右手は掌を前にして施無畏印を
結ぶ。面長で下ぶくれの面相。

41-3 鎌倉
阿弥陀如来坐像
像高70cm、桧材の寄木造、玉眼嵌
入、内刳りあり。定印を結ぶ。肉髻
の形が低平で、螺髪の粒は上方は
大きく、下方部は徐々に細く整える。


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