滋賀の仏像

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インデックス
※湖北
01己高閣
02世代閣
03石道寺
04舎那院
05西野薬師堂
06正妙寺
07向源寺
08神照寺

※湖東
09金剛輪寺
10西明寺
11百済寺
12石馬寺

※湖南
13長命寺
14浄厳院
15願成就寺
16長寿寺
17常楽寺
18善水寺
19櫟野寺
20飯道寺
21ミホミュージア

22金勝寺
23梵釈寺

※大津
24延暦寺
25三井寺
26石山寺
27聖衆来迎寺
28盛安寺
29西教寺
30明王


己高閣(ここうかく)長浜市木之本町
799年最澄により再興された己高山
寺院群は中世には125の僧坊を有す
る大寺院となり浅井、豊臣の庇護を
受けたが衰退し、廃寺となる。その寺
宝の収蔵庫として建設。

01-1 平安前期
十一面観音 (1)
像高172cm、カヤ材の 一木造、彩
色仕上げ。内ぐりはない。両手・両
足などは後補になる。廃寺となった
鶏足寺の本尊で己高閣に収蔵展示

01-2 平安前期
十一面観音(2)
目鼻を顔の中心にあつめ、 両肩を
はる。鋭さを欠くとはいえ衣文に翻
波式をのこす。

01-3 平安前期
兜跋毘沙門天
像高171cm、ケヤキの一木造、彩色
仕上げ。「無眼」の像で目は彫られて
おらず色彩で目を描いたか。顔が異
国風で、渡来仏との説もある。

世代閣(よしろかく)長浜市木之本町
行基がかつてこの地に創建したという
世代山戸岩寺の寺宝保存のために
1989年に建設された。 元々は、己高
山の法華寺の旧本尊と考えられる薬
師如来立像を中心に保管展示する。

02-1 平安前期
薬師如来立像(1)
像高 181cm、一木造、内刳を施し背
板をあてる。薄い木屎漆の表面処理
は初期木彫仏の特徴。唐招提寺木
彫群に共通する。

02-2 平安前期
胸や腹から脚にかけての量感、 紐
状の衣文は、天平の銅造仏に類似
する。螺髪が失われ 頭部が小さく
見えるが、鼻筋が通り、頬には張り
があり、大陸的な風貌である。

02-3 天平末期
十二神将立像3体
像高90cm前後、木心乾漆・彩色仕上
げ。腕は取れ、表面の乾漆もかなり
剥落しているが、天平の造形を受け
継ぐ。四天王像との可能性もある

02-4 平安前期
魚藍観音像
像高約160cm、一木造、漆箔仕上
げ、背ぐりを施す。魚藍観音と伝えら
れるが、頭上面に挿したあとがあり、
十一面観音の可能性もある。

石道寺長浜市木之本町石道
山岳信仰の聖地であった己高山(こだ
かみやま)の寺院。14世紀末に山下に
移転するが 災害により 仁王門と庫裏
を失う。1914年に観音堂を合併し本堂
を改築。現在、地区で管理する

03-1 平安後期
十一面観音(1)
像高173cm、ケヤキの一木造
彩色仕上げ。 井上靖の『星と
祭』に登場する。

03-2 平安後期
石道寺・十一面観音(2)
左手に水瓶を持ち、右手は垂下す
る。極彩色に彩られていた名残りか
口元に紅色が残る。

03-3 平安後期
持国天
像高182.7cm、欅の一木造。 後補の
玉眼を嵌入。閉口して右手は腰に当
て、左手は戟を持つ。

03-4 平安後期
石道寺・多聞天
像高182.7cm、欅の一木造。後補の
玉眼を嵌入。開口して左手に宝塔、
右手に宝棒をもつ。

舎那院長浜市宮前町
元々、長浜八幡宮の新放生寺。長
浜城主の秀吉の保護を受けたが、
神仏分離令により舎那院に統合。
同院には 廃された寺院の仏像等
が集められ現在に至る。

04-1 平安後期
阿弥陀如来
像高は89cm、ヒノキ材の寄木造、漆
箔、彫眼仕上げ。頭部がやや過大と
なって地方色が見られる。

04-2 鎌倉
愛染明王
像高49.4cm、桧材の寄木造、玉眼
を嵌入、彩色仕上げ、。 本堂本尊
で、秘仏とされている。

西野薬師堂長浜市高月町西野
天台宗泉明寺が前身。最澄が 薬師
如来と十一面観音を刻み、この寺に
納めたという。西野家澄は 菩提寺と
して護持するが、1518年の兵火で堂
宇は消失。仏像は、薬師堂に安置。

05-1 平安前期
十一面観音
像高166.7cm、桧の一木造。堂々
たる体躯で股間には渦文、下肢に
は太い翻波式の襞が作られる。

05-2 平安中期
伝薬師如来
像高159.4cm 、ケヤキの一木造、肉
髻は高く、上半身の衣文はY字を作り
裙の襞は大きな波を作る。

正妙寺観音堂長浜市高月町西野
11世紀初頭に建立。 堂は 兵火で焼
失し1871年になり再建され、 千手千
足観音を安置。千頭は過去千仏 千
眼は現在千仏 千足は未来千仏を表
す。 三世の諸仏を集約した菩薩。

06-1 江戸(平安仏の後補も)
千手千足観音(1)
像高 42.1cm、 桧の寄木造、漆箔
仕上げ、玉眼嵌入。髪は青色、口
は朱色、歯は白色に彩色。類例の
ない千本の足を持つ観音。

06-2 江戸(平安仏の後補も)
千手千足観音(2)
上半身は裸形で腰布を着し、両脚
は膝頭を出して直立。脇足は左右
各十九本を扇状に半肉彫。

向源寺長浜市高月町渡岸寺
736年、聖武天皇は疱瘡の病魔退散
のため泰澄命じて十一面観音を彫り
真言宗光眼寺を建立。その後、浄土
真宗に改宗し向源寺に改称。宗旨の
都合上 観音は、飛地仏堂に移管。

07-1 平安前期
国宝:十一面観音立像(1)
像高194cm、檜材の一木造。頭上面
の配置、耳飾りにインドや西域の作
風。腰を左側にひねった体の線は実
に美しく最大の特徴となる。

07-2 平安前期
国宝:十一面観音立像(2)
頭上に7、耳後ろに2、後頭部に1の
計10 の大きな面を配置するが、像
全体を見ると均整を保つ。正面の小
阿弥陀立像は化仏で面ではない。

07-3 平安前期
十一面観音(3)頂上面は他の十一面
観音像では螺髪をもつ如来形とする
のが一般的であるが、本像の頂上面
は髻を結い、化仏を五つ付けた五智
宝冠を戴く菩薩形となる。

07-4 平安前期
十一面観音(4)本面の左右に瞋怒面
と狗牙上出面を大きく表し、天冠台上
には菩薩面、瞋怒面、狗牙上出面を
各2面、背面に大笑面を表す。像の周
りを一周でき後ろ側が見られる。

07-5 平安後期
大日如来
像高149cm、両耳うしろをむすぶ線
で前後に二材を矧ぎ、内刳を施し、
割首とする。 法界定印を結ぶ胎蔵
界の大日如来像は珍しい。


















神照寺長浜市新庄寺町
895年本覚が 宇多天皇の勅願に
によって創建。往時は、七伽藍に
3千余の坊舎を構えた大寺院。本
堂内陣には 千手観音、不動明王
毘沙門天立像が 配置される。

08-1 平安後期
半肉彫千手観音立像(1)
像高53.5cm 、漆箔像。ヒノキの厚い
一枚板からの半肉彫り。裏は平板の
まま仕上げる。

08-2 平安後期
半肉彫千手観音立像(2)
半肉彫りの技法は、石造品・石仏等
には多く見られるが、木彫像では極
めて珍しい。

金剛輪寺湖東三山)滋賀県愛荘町
741年、聖武天皇の勅願により 行
基が、開山した。 大悲閣本堂は、
檜皮葺 入母屋作り。鎌倉期を代表
する和様建造物で国宝に指定。堂
内に重文の仏像14体を安置。


09-1 天平期
本尊聖観世音菩薩(1)
行基が上半身の粗彫りを終え、腰
のあたりにノミを入ると木肌から赤
い血が一筋流れた。


09-2 天平期
本尊聖観世音菩薩(2)
直ちにノミを折り粗彫りのまま本尊
として祀る。後世に「生身の観音」と
信心される。

09-3 平安前期
大黒天半跏像
像高55.6p、檜の一木造材。武装形
をした古式の大黒天では日本最古の
もの。右手に金袋、左手に金棒を持
つ。

09-4 平安後期
十一面観音立像
像高172.4p、檜材一木造りの素地
仕上げ。後頭部にはノミ跡を顕著に
残す。伏し目がちの面容。

09-5 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高約140cm、割矧ぎ造。定印を
結ぶ。衣の襞は省略気味で 左足
は衣に包れる。体の厚みもある。

09-6 鎌倉
持国天
像高は155.2p、ヒノキの割矧ぎ造で
彩色仕上げ。目鼻を中央に集め、そ
のまわりに筋肉を隆起させる。

09-7 鎌倉
多聞天
像高は153.8p、面長で眉をつりあ
げて、険しい目つき。口は閉ざして
やや腰高だが正面を向く。

09-8 鎌倉
慈恵大師坐像(1) 東博寄託
像高約80cm、ヒノキの寄木造、玉
眼。慈恵大師は 天台宗中興の祖。
観音の化身といわれる。

09-9 鎌倉
慈恵大師坐像(2)
1288年に妙蓮が父母の往生極楽
を願い 観音三十三身の倍数66体
の慈恵大師像を造立。現存する2
体うちの一つ。

09-10 鎌倉
不動明王立像・
像高は162.3cm、ヒノキ材の一木造
体部背面を割放ち、割首とし、頭部
も前後矧とする。


09-11 鎌倉
毘沙門天立像
像高は171.2cm、ヒノキ材の一木造。
前後に割矧ぐ。彩色はほどこさない。
瞋目し、口を閉ざす。


09-12 鎌倉
阿弥陀如来坐像
像高約140cm、割矧ぎ造。来迎印を
結ぶ。銘文があり、1226年の経円の
作造。


西明寺(湖東三山)滋賀県甲良町
平安初期に創建。 兵火を免れた
た鎌倉時代の本堂、 三重塔は国
宝に指定。三重塔内部には 鎌倉
時代の壁画が残る。紅葉の名所で
名勝庭園もある。


10-1 平安後期
薬師如来
像高161.4cm 、カヤ材の一木割矧造
素地仕上げで彩色がない。開帳は住
職一代に一回。

10-2 平安後期
二天王・多聞天
像高117,6cm、一木割矧ぎ造、素地
仕上げ。北方の守護神である。

10-3 平安後期
二天王・広目天
像高118,8cm、西方の守護神で
ある。 大げさな表現のない質素
な姿態甲冑は豪華造りである。

10-4 鎌倉
阿弥陀三尊
寄木造で、玉眼を嵌入する。金泥
や截金を巧みに使う表面仕上げな
ど安阿弥様式の典型である。

10-5 鎌倉
不動三尊 (不動明王)
像高85.7cm、檜一木造、彫眼。不動
明王は大日如来の使者といわれる。

10-6 鎌倉
二童子像
像高88cm矜羯羅は、蓮の枝を持つ
温和な顔つき。 84cm制タ迦は眉間
に皴を寄せ身構える。

10-7 鎌倉
清涼寺式釈迦如来
像高134,8cm、桧材造、彩色仕上
げ。腿部の衣文のシワが、唐草文
様か勾玉のような造形。

10-8 鎌倉
日光菩薩立像
像高月光菩薩144cm、日光菩薩
141cm。本尊薬師如来の脇侍仏
それぞれ日輪、月輪を持つ。

10-9 鎌倉
月光菩薩立像
高い肉髻、装飾的に表された天冠台
髪際の表現、腰布結び紐のうねりに
は宋代の影響がみられる。

百済寺(湖東三山)東近江市百済寺町
聖徳太子が百済人のために創建し
た湖東三山の一つ。 ルイス・フロイ
スが地上の天国 一千坊と絶賛。織田
信長の焼討ちに会い消滅。江戸初期
に本堂、仁王門などが再建される。

11-1 天平
十一面観音(1)
像高2.49cm、一木造、漆箔仕上げ。
滋賀県最古の木造仏で奈良時代の
木造仏では二番目の大きさ。

11-2 天平
十一面観音(2)
長身ながらも頭部が小さい特異な
姿をし、正面の彫り具合は浅く、立
体感が少ない。

11-3 天平
十一面観音(3) 植木観音・
聖徳太子が百済の寺の仏像用に運
び出さる杉の大木の根が 付いた下
半分に観音像を刻んだという。

石馬寺東近江市五個荘
聖徳太子が 当地を訪れ、山麓の松
の木に馬をつなぎ、霊地を探して山
上に登り、もどるとその馬は 石にな
って池に沈んでいた。 これに霊異を
感じた太子が開基したと伝えられる

12-1 平安中期
十一面観音立像(大)
像高179.7cm、木造。内刳りをする
衣文線は 浅く処理するが、脚部の
量感が強調される。

12-2 平安中期
十一面観音立像(小)
像高は167.8cm、木造内刳りは無
い。 衣文線は大きく翻波式を刻み
渦文を配して、弾力感を持つ。

12-3 平安中期
二天王立像(多聞天) 
像高151.2cm、木造、彩色仕上げ。
右手を腰に当て金剛杵を持ち 左手
は掌を上に向けて多宝塔を載せる。

12-4 平安中期
二天王立像(持国天)
像高159.2cm、 木造、彩色。やや簡
略な表現、別の二天像とは微妙にこ
となる作風 。

12-5 平安中期
二天王立像(持国天) 
像高204.8cm、木造彩色。右手を振
り上げ剣を持ち、左手は腰に当て身
体を大きく捻る。

12-6 平安中期
二天王立像(増長天)
像高203.6cm、木造彩色。 右手
に金剛棒を、左手は三叉戟を持
つ。2組の中で巨像のグループ。

12-7 平安中期
阿弥陀如来坐像(1) 
像高274.0cm 、寄木造、漆箔仕上
げ。定朝様の丈六仏。脚部と根幹部
の隙間から内刳りが見える。

12-8 平安中期
阿弥陀如来坐像(2)
全体の量感が平坦であり胴体部が
上方に伸びる。衣文線は細く浅く間
隔をあけて彫りだす。

12-9 平安中期
大威徳明王
像高117.0cm、桧一木造、彩色仕
上げ。頭体幹部は一材で彫り、水
牛は上下に二材を矧いで造る。

12-10 鎌倉
役行者
像高112.5cm、寄木造。 下駄を
履き朽木の中に倚座。顔の皺や
痩せた身体を筋肉で表現してい
る。

12-11 鎌倉
前鬼・後鬼
像高約 45cm。役行者が 従えていた
夫婦鬼、前鬼が夫で後鬼が妻。陰陽
師が使役する式神でもあった。


浄厳院近江八幡市安土町
織田信長が創建、境内には入母屋造
の楼門、近江八幡から移設の本堂、
釈迦堂、鐘楼などが 立ち並ぶ。信長
の命により浄土宗と法華宗の間で行
われた安土宗論の寺としても有名。


13-1 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高273cm、寄木造、漆箔仕上げ。
三大阿弥陀如来(平等院、法界寺、
法金剛寺)と比べて遜色ない。


13-2 鎌倉
銀造阿弥陀如来立像
像高は7.8cm、銀製仏像としては
稀有。 螺旋状の頭髪、衣文が精
巧に造形されている。


長命寺近江八幡市長命寺町
聖徳太子が老翁のお告げで刻んだ
千手観音等の仏像が当寺の秘仏本
尊という。平安以降に守護佐々木氏
が本堂、三重塔等を建立し栄えた。
現在の社殿は室町後期に再建された。


14-1 平安中期
十一面観音立像
像高53.8cm、千手観音より古い 千
年前後の作と推定。 最初の本尊の
可能性もある。


14-2 平安後期
千手観音
像高91.8cm、一木割矧造、素地截
金仕上げ。千手・十一面・聖観音の
三尊を本尊している。


14-3 鎌倉
聖観音立像
像高67.4cm。 本尊の三観音像
は厳重な秘仏とされ平素は公開
されていない。


14-4 鎌倉
地蔵菩薩立像
像高96.4p、彩色・截金仕上げ。快慶
の弟子栄快の作像。現在は奈良博物
館に寄託。 


願成就寺近江八幡市小船木町
推古天皇の勅命により 近江に48ヵ
寺を建立した聖徳太子が 最後にこ
の寺を建てたとされる。願いが成就
したことで寺名になった。


15-1 平安後期
十一面観音
像高106.7cm、カヤ材の一木彫、素
地。内刳りは無い。やや荒彫りに近
いノミ目を残す。


15-2 鎌倉
地蔵菩薩
像高161.0cm、寄木造、玉眼嵌入
渡来木の中程を用いて刻まれ「木
の中地蔵」と呼ばれる。


長寿寺湖南市東寺
良弁が紫香楽宮の鬼門を封じるため
に七堂伽藍を建立。平安時代には阿
星山五千坊と呼ばれる天台仏教圏を
形成した。源頼朝、足利将軍家が 祈
願所として諸堂を造改修する。


16-1 平安後期
釈迦如来坐像(小)
像高160.0cm、桧の寄木造、彫眼
漆箔仕上げ。 定朝の様式を踏襲
した正統的な作品。 


16-2 平安後期
阿弥陀如来坐像(大)
像高285.5cm、寄木造、彫眼、漆箔
仕上げ。


16-3 鎌倉
阿弥陀如来坐像
像高142.5cm、桧の寄木造 、彫
眼漆箔仕上げ。台座と光背は造
立当時のもので大変貴重。


常楽寺湖南市西寺
和銅年間(708〜715)元明天皇の勅
命よにり、良弁僧正が開基。 阿星寺
五千坊の中心寺院として栄えた。1360
年に火災で全焼するが 本堂は翌年
に三重塔は40年後に再建された。


17-4 鎌倉
二十六部衆(2)
製作は、像の胎内墨書銘から1308年
から1314年にかけて行われた。本堂
本尊厨子の左右脇壇に、風神雷神の
二体を加え30体が、安置されている


17-1 平安後期
釈迦如来
像高139.1cm、寄木造。髪・眼・唇
に彩色、体躯は漆箔仕上げ。内刳
りし布を貼り黒漆を塗る。



17-2 南北朝時代
千手観音坐像 
像高63.1cm 、寄木造、素地仕上
げ。本堂再建時に本尊として造像。
非公開の秘仏。



17-3 鎌倉
二十六部衆(1)
像高76.6〜100.5cm、木造、玉眼、 彩
色仕上げ。全体的に穏やかな動きのも
のが多いが、中には迦楼羅や、東方
天、沙羯羅王などに激しい動きがある。


善水寺湖南市岩根
平安初期に最澄が入山し建物を整
える。桓武天皇が、病に伏すと、最
澄が薬師法による霊水を献上。病
の治癒により寺号の善水寺を賜る。
比叡山焼討ちでは本堂は焼け残る


18-1 天平
金銅誕生釈迦仏
像高23.2cm、鋳銅・鍍金仕上げ。肉
髻相螺髪や肉髻を鋳出しタガネで輪
郭線を明瞭にあらわす。


18-2 平安中期
薬師如来(1)
像高は 102.5cm、桧の 一木造、漆
箔。秘仏本尊で、 像内納入品の文
書から993年の造像とわかる。


18-3 平安中期
薬師如来(2)
大振りの螺髪、明快な目鼻だち 太
い古様な衣文線などに平安中期の
特徴が見られる。


18-4 平安中期
梵天
像高161.7cm、ヒノキの一木造
彩色仕上げ。 長方形に背刳を
ほどこす。


18-5 平安中期
帝釈天
像高162.8cm、頭 体の左右に竪木二
材をよせる。右手は袖をふくめて一材
を寄せる寄木造的な手法。


18-6 平安中期
兜跋毘沙門天立
像高163.0cm、一木造 彩色、漆箔
仕上げ。西域風の甲胃、八方冠。
東寺像に比較すると形式化が進む。


18-7 平安中期
広目天
像高150.6cm、一木造 彫眼 彩色
仕上げ。腹部の帯は帯喰いで装飾。
腰部に市松と花文が残る。


18-8 平安中期
不動明王
像高73.1cm、カヤ材のー木造
彫眼、古色仕上げ。 頭頂の莎
髻は欠失している。 彩色は ほ
とんど剥落。


18-9 平安後期
持国天
像高152.5cm 、寄木造、彫眼、彩色
仕上げ。右手は腹前に出して拳を結
び左手は三叉戟を執る。


18-10 平安後期
増長天
像高145.5cm、寄木造、彫眼、彩色
仕上げ。両肩の獅噛は鼻が長く特徴
的。顔や鎧に彩色が残る。


18-11 平安後期
僧形文殊坐像
像高78.8cm、一木造、彫眼、彩色。
老僧の姿。衲衣の上に袈裟を着け、
左手に錫杖を執る。


櫟野寺甲賀市甲賀町
792年に最澄が 延暦寺根本中堂
の用材を求めてこの地を訪れ 十
一面観音を安置。806年、坂上田
村麻呂が 七堂伽藍を建立。往時
は、広大な境内地を有した。


19-1 平安中期
十一面観音坐像(1)
像高312cm、桧の一木造、漆箔・彩色
仕上げ。重文の十一面観音坐像とし
ては日本最大。


19-2 平安中期
十一面観音坐像(2)
頭部から体幹までヒノキの一木で造
られている。寺伝ではイチイの木の
一木造とされている。


19-3 平安中期
地蔵菩薩立像
像高97.1cm 、一木造、漆箔・彩色。
襟を立てる着衣から僧侶の姿に表
した神像との見解もある。


19-4 平安後期
梵天
像高161.7cm、ヒノキの一木造
彩色仕上げ。 長方形に背刳を
ほどこす。


19-5 平安後期
薬師如来坐像
像高約222cm、寄木造、漆箔仕上げ。
丸みのある小顔 、なで肩の定朝様。
甲賀三大仏の一つ。


19-6 平安後期
毘沙門天
像高176cm、一木造、素地。坂上田
村麻呂が自身の分身として彫ったと
伝わる等身大の像。


19-7 平安後期
地蔵菩薩坐像
像高110.8cm、一木造、漆箔仕上
げ。腹部に帯が見え、安産の地蔵
として信仰されている。


19-8 南北朝時代
弥勤菩薩坐像 
像高87.6cm、ケヤキー木造、素地。
膝裏の銘で作造は1340年と判明。
南北朝の基準作。


飯道寺甲賀市水口町
もとは南都との山岳寺院として飯道山
山上に成立。中世から近世にかけては
有力修験寺院であったが、廃仏棄釈で
廃寺となる。1892年、天台宗本覚院が
寺号と法燈を継承して飯道寺となる。


20-1 平安後期
阿弥陀如来坐像
像高86cm、桧材寄木造り、彫眼。
定印を組み結跏趺坐する。村内の
常福寺から移したもの。


20-2 平安後期
十一面観音立像
像高 98cm、檜材の一木割矧造
古色仕上げ。腰を左にひねり右
足を前に出す。


20-3 鎌倉
地蔵菩薩立像
像高97.6cm、檜材寄木造、彩色
仕上げ。境内の隣にある日吉神
社の本地仏として祀られていた。


MIHO MUSEUM甲賀市信楽町
1997年11月に神慈秀明会が設立した
私立美術館。 日本美術、エジプト、西
アジア、中国、ペルシャなどの 古代美
術品三千件以上の収集品を展示。美
術館に向かうアプローチロードが有名。


21-1 鎌倉
四天王:持国天立像(1)
像高170.7cm 、桧材の寄木造、彩色
仕上げ。 頭部等に後世の補修が少
なくないが、重厚感に富む体形で左手
で戟を握り、怒りの表情をする。


21-2 鎌倉
四天王:持国天立像(2)
興福寺伝来の四天王の一具。他3
体は下記にて収蔵展示する。
広目天:興福寺
増長天、多聞天:奈良博物館


21-3 鎌倉
地蔵菩薩
像高73.5cm、木造、着色、戴金
仕上げ。顎の張った面相に見開
きの強い目をした意志的な面貌。


金勝寺栗東市荒張
733年に聖武天皇の勅願により良弁が
開基。 山上に伽藍を建立し勅願寺とな
る。 時の有力者が帰依し 湖南仏教文
化の中心となった。1549年の大火災以
後は衰退し現在は寂しく山中に佇む。


22-4 平安後期
毘沙門天
像高は167.6cm 、木造、彩色仕上げ。
右手の戟か宝棒、左手の宝塔は忘失。
踏まれる邪鬼がいない。


22-1 平安後期
軍荼利明王
像高は360.5cm、ヒノキの一木造。
裳や天衣に渦巻き文が刻まれるが
膝下や天衣は後補。 


梵釈寺 東近江市蒲生 
桓武天皇の勅命により 創建と伝え
る。火災により一度途絶えたが 江
戸時代初期に晦翁和尚により現在
の地に再興され黄檗山万福寺の末
寺になった。

22-2 平安後期
釈迦如来坐像
像高は約220cm、檜の寄せ木造
り。定朝様の仏像で本堂の本尊。
金箔彩色は剥落し黒漆のみ残る。


23-1 平安前期
宝冠阿弥陀如来
像高120cm、桧材の一木造、内ぐり
はない。 上半身は大きく、たくましい
如来形だが螺髪とせずに結い上げ、
衣は通肩、手は定印を結ぶ。

22-3 平安後期
虚空蔵菩薩像
像高約194cm、桧の割矧ぎ造。
彫りの浅い衣文に翻波式の名
残が見られる。半跏踏下げ像。




延暦寺大津市坂本本町
788年 比叡山に最澄が一乗止観院
を建立。 平安京の鬼門を守る鎮護
国家の道場、 天台密教の拠点とし
て法然、親鸞など多くの高僧たちを
輩出する。


国宝殿外観
延暦寺の宝物の管理保管と歴史
紹介を目的に1992年に開館した。


国宝殿内部
国宝・重要文化財を含む寺宝数
百点の中から適宣入替えながら
展示している。


24-1 平安前期
千手観音立像 (1)
像高 51cm、イヌガヤ材。蓮肉まで
含めて根幹部は一木造。比叡山延
暦寺の中で最古のもの。


24-2 平安前期
千手観音立像(2)
髪に群青、唇に朱を施し、全身に
黄色の彩色の檀像。 切れ長の目
に尖った鼻、口を深く彫り込む。


24-3 平安前期
維摩居士
像高は34.8cm、一木造で彩色仕
上げ。インドの資産家で、在家の
まま大乗仏教を極め釈迦の弟子
を論破。


24-4 平安中期
薬師如来
像高約125cm、クスノキの一木造。
螺髪は大きく、肉髻は高く地髪部
から立ち上がる。


24-5 鎌倉
大黒天(1)
像高83.3cm、一木造り、彫眼、素
地仕上げ。右手に鍵を持ち 光定
大師像ともよばれる。


 24-9 鎌倉
五大明王(不動明王二童子像) 
像高67cm 、桧材の寄木造、玉眼、彩
色 仕上げ。左眼は瞋眼、左手に羂索
をもち、右手に剣をとる。肉身は群青
彩とした青不動である。 無動寺伝来


24-6 鎌倉
大黒天(2)
本来は大黒天であったが、 信仰
上の理由から最澄の高弟である
光定大師として崇められる。


24-10 鎌倉
五大明王(降三世・軍荼利)
像高80.7cm降三世 84.1cm軍荼利 、
 桧材の寄木造、玉眼、彩色 仕上げ。
降三世は足下に大自在天と烏摩をふ
みつける。軍荼利 は蛇が巻き付く。


24-7 鎌倉
不動明王二童子像
像高は不動明王が50.9p、矜羯羅
童子24.5cm、制タ迦童子は24.8cm。
左手を向く明王を二童子が見詰める。
玉蓮院蔵。


24-11 鎌倉
五大明王(大威徳・金剛夜叉)
像高73.1cm大威徳86.8cm金剛夜叉
桧材の寄木造、玉眼、彩色 仕上げ。
大威徳は六足で水牛に乗る。金剛夜
叉は金剛杵と金剛鈴をとる。


24-8 平安中期
不動明王二童子像 
像高85.4cm、頭体の一木造。直毛で
両眼を見開き、下歯で上唇を噛み、
牙を上出させる。真言系の大師様を
取り入れた古式の作造。 伊崎寺蔵。


三井寺(園城寺)大津市園城寺町
7世紀に大友氏が氏寺として創設。
9世紀に唐から帰国した円珍によっ
て再興され天台寺門派の総本山と
なる。天智・天武・持統天皇の産湯と
なる霊泉があり三井寺と言われる。


三井寺唐院大師堂
1598年に創建。正面三間、側面二間
宝形造で桧皮葺。 堂内には、二体の
智証大師像と黄不動 尊立像の 三体
が安置される。


25-1 平安中期
国宝:智証大師円珍坐像(1)
像高は84.3cm、ヒノキの寄木造、彩
色仕上げ。秘仏のためか彩色もすぐ
れてよく残る。


25-2 平安中期
国宝:智証大師円珍坐像(2)
中尊大師は円珍派の本尊で大師堂
の中心に坐す。円珍の100回忌の法
要を機会に作られた。


25-3 平安中期
国宝:智証大師(御骨大師) (1)
像高86.3cm、ヒノキの寄木造彩色。
大師入滅後、その姿を模刻し像内
に遺骨を納める。


25-4 平安中期
国宝:智証大師・御骨大師(2)
右ひざが下がるなど人間的な特徴を
忠実に表現する。円珍が亡くなった
891年に、御骨大師は作られた。


25-6 平安中期
国宝:新羅明神(2)
新羅明神は、円珍が唐からの帰途
船中に現れ教法加護を約する。


25-5 鎌倉
不動明王立像(黄不動)
像高159.8cm、木造、彩色仕上げ。智
証大師が洞窟で修行中に金色の不動
明王を感得し、描き留めた黄不動像を
忠実に模刻。


三井寺文化財収蔵庫
智証大師生誕1200年記念事業として
2014年に開館。狩野光信による勧学
院客殿障壁画をはじめ十一面観音立
像、訶梨帝母倚像などの重要文化財
が収蔵、公開されている。


三井寺新羅善神堂
切妻造平入りの屋根に反りを付し
その前流れを長くして 向拝とする
流造の代表的遺構 。


25-7 平安前期
 十一面観音立像
像高81.8cm、桧材の一木造。裳は
朱彩され、截金による花文が残され
ている。眉や唇、衣文の彫りは鋭く
快で、衣には渦文が見える。


25-10 平安中期
如意輪観音 
像高91.6cm、桧材の寄木造、彫眼、
表面は後補の漆箔仕上げ。丸頭に目
鼻や口をバランスよく配し、胸から腹
部にかけてのくびれをカーブさせる。


25-5 平安中期
国宝:新羅明神 (1)
像高78cm 、一木造、彩色、截金。
頭髪に細かな毛筋を刻み、着衣に
は彩色と金銀截金で文様を配す。


25-8 鎌倉
智証大師坐像
像高39.0p、彩色仕上げ。優美な彩
色が施され、唐院大師堂の像に比べ
衣が厚く彫られる。像底には納入品
を入れた円錐形状の刳り込みがある


25-11 平安後期
愛染明王坐像
像高92.1cm、桧材の寄木造、彩色仕
上げ。体形は細身に造られ、衣文の
彫りは浅く穏やかな表現で、総じて温
和な作風を示す。


25-9 鎌倉初期
吉祥天立像
像高67.6cm、 桧材の寄木造 、玉
眼、彩色仕上げ。誇張のないごく自
然な彫り口で、衣文の表現も巧みで
写実性に富んだ気品がある。


三井寺観音堂
南院札所伽藍の中心建築で、後三条
天皇の病気平癒を祈願して1072年に
創建される。その後、現在地への移
築と焼失を経て、1689年に再建され
た。本尊は如意輪観音。


三井寺護法善神堂
1727年に創建。円珍(智証大師)の
護法神として篤い信仰を集める。鬼
子母神を祀る。


25-12 平安後期
護法善神立像(1)
像高159cm、檜の一木造。鬼子母神
の千人の子を千個の団子で供養する
千団子祭が行われる。善神堂の本尊。


25-13 平安後期
護法善神立像(2)
円珍が5歳の時に降臨した女神を彫
刻した像と伝えられる。


25-14 鎌倉
鬼子母神
像高は43.9cm、ヒノキの寄木造、彩
色、玉眼、截金仕上げ。鮮やかな色
彩がよく残る。


石山寺正門
聖武天皇の夢告を受け、良弁僧正を
開基とし本尊の秘仏如意輪観音像を
祀って開かれた。奈良時代からの観
音霊地とされる。


多宝塔
平安時代に観音信仰が盛んになると
朝廷や摂関貴族などから多くの崇敬
を集めた。1194年に建立した多宝塔
は現存最古のもの。


26-1 平安後期
如意輪観音半跏像(1) 
像高293.9cm、檜寄木造り、漆箔、
泥文様。1096年頃の作造。右手に
宝珠をのせた蓮華を持つ。左手は
与願印。


26-2 平安後期
如意輪観音半跏像(2) 
日本で唯一の勅封秘仏。33年に1
度開帳。一般的な六臂、輪王坐の
如意輪観音と異なり二臂、遊戯坐。


26-3 鎌倉
大日如来坐像(1)
像高102cm、寄せ木造。張りがある
端正な面相は、目じりが上がる意思
的な表情を示す。


26-4 鎌倉
大日如来坐像(2)
1194年に源頼朝が寄進した多宝塔に
に安置。 頭部内の墨書アン阿弥陀仏
から快慶の作品と判明。


聖衆来迎寺大津市比叡辻
最澄が創建後 源信が念仏の道場
として再興。旧坂本城から移築した
表門がある。当寺は織田信長に仕
えた森蘭丸の父森可成の墓所であ
ったため比叡焼打ちの難を逃れた。


27-1 天平
銅造薬師如来立像
像高約40cm 金銅の立像。口元に
微笑みを浮かべ直立する。衣の襞
はしっかりと刻む。


27-2 平安後期
十一面観音
像高は 約170cm、ヒノキの一木造、
内刳りが有る。丸顔で均整の取れた
体形である。菅公作と言われる。


27-3 鎌倉
釈迦如来
像高約70cm、ヒノキ寄木造、玉眼。
衣文の深く太い線条、鋭いつり目な
ど鎌倉慶派の特徴を示す。


27-4 鎌倉
地蔵菩薩
像高は約65cm、小振りな立像。足
ほぞに銘があり、 鎌倉最末期に院
芸と言う仏師が作造。


27-5 室町
日光菩薩
像高は108.cm、ヒノキ寄木造。元々
京都の国清寺に伝来した。鎌倉期
に頼弁という仏師が造立。


盛安寺大津市坂本
越前朝倉氏の家臣である 杉若盛安
が再興。桃山御殿の異名をとる荘厳
な客殿、聖衆来迎図を表したという
江戸期の庭園、穴太衆による城郭の
ような石垣などが残る。


28-1 平安中期
十一面観音(1)
像高は約180cm、桧の一木造。4本
腕の中央手は合掌し、脇手2本は蓮
華と錫杖を持つ。


28-2 平安中期
十一面観音(2)
ふくよかな容貌、太く力強い線状や
渦文が刻まれる衣文など平安前期
彫刻の要素を含む。


西教寺大津市坂本
聖徳太子が 高麗僧慧慈のために
創建。室町期に真盛上人が入山し
不断念仏の道場とする。以来、天
台真盛宗の総本山となる。比叡山
焼き討ちで焼失。明智光秀が復興。


29-1 平安後期
阿弥陀如来像
像高278cm、寄木造、彫眼。手は定
印を結ぶ。台座は後補だが、光背は
当初部分が多い。


29-2 平安後期
薬師如来
像高は88cm、寄木造、漆箔仕上げ。
漆箔は剥がれ黒ずんだ肌となる。左
手に薬壺をもち そこに右手を寄せる
珍しい印相。京都法勝寺伝来の秘仏。


明王院大津市葛川坊村町
平安初期に延暦寺の相応が 回峰
行の道場として創建した。境内には
伽藍が立ち並ぶ。相応が滝壺に飛
び込んで霊木を引き上て 不動明王
を自ら刻んだという三の滝がある。


30-1 平安後期
千手観音
千手観音を中心に左右に不動明王
と毘沙門天を 脇痔とする三尊形式
は天台宗に独特のもの。


30-2 平安後期
毘沙門天
円仁が唐からの帰国時に船が嵐に
遭い、観音菩薩に安全を祈ったとこ
ろ毘沙門天が現れて船を守った。


30-3 平安後期
不動明王
帰国後に横川に聖観音と毘沙門天
を安置する。のちに良源がそこに
不動明王を加えた。



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