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行基によって開基。799年最澄により
再興された己高山寺院群は中世には
125の僧坊を有する大寺院となり浅井
豊臣の庇護を受けたが衰退し、廃寺と
なる。その寺宝の収蔵庫として建設。 |
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薬師如来立像(1)
像高 181cm、一木造、内刳を施し背
板をあてる。薄い木屎漆の表面処理
は初期木彫仏の特徴。世代山岩戸寺
の本尊で世代閣に収蔵展示。 |
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薬師如来立像(2)
厳めしい顔、胸や腹から脚に か
けての量感、 紐状の衣文は、天
平の銅造仏に類似する |
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十一面観音 (1)
像高172cm、カヤ材の 一木造、彩色
仕上げ。内ぐりはない。両手・両足な
どは後補になる。廃寺となった鶏足寺
の本尊で己高閣に収蔵展示。 |
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十一面観音(2)
目鼻を顔の中心にあつめ、 両肩を
はる。鋭さを欠くとはいえ衣文に翻
波式をのこす。 |
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天台系山岳信仰の聖地であった己高
山(こだかみやま)の寺院。14世紀末に山
下に移転するが 災害により 仁王門と
庫裏を失う。1914年に観音堂を合併し
本堂を改築。現在、地区で管理する。 |
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十一面観音(1)
像高173cm、ケヤキの一木造
彩色仕上げ。 井上靖の『星と
祭』に登場する。 |
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石道寺・十一面観音(2)
左手に水瓶を持ち、右手は垂下する。極彩色に彩られていた名残りか口元
に紅色が残る。 |
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持国天
像高182.7cm、欅の一木造。 後補の
玉眼を嵌入。閉口して右手は腰に当
て、左手は戟を持つ。 |
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石道寺・多聞天
像高182.7cm、欅の一木造。後補の
玉眼を嵌入。開口して左手に宝塔、
右手に宝棒をもつ。 |
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元々、長浜八幡宮の新放生寺。長
浜城主の秀吉の保護を受けたが、
神仏分離令により舎那院に統合。
同院には 廃された寺院の仏像等
が集められ現在に至る。 |
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阿弥陀如来
像高は89cm、ヒノキ材の寄木造、漆
箔、彫眼仕上げ。頭部がやや過大と
なって地方色が見られる。 |
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愛染明王
像高49.4cm、桧材の寄木造、玉眼
を嵌入、彩色仕上げ、。 本堂本尊
で、秘仏とされている。 |
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天台宗泉明寺が前身。最澄が 薬師
如来と十一面観音を刻み、この寺に
納めたという。西野家澄は 菩提寺と
して護持するが、1518年の兵火で堂
宇は消失。仏像は、薬師堂に安置。 |
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十一面観音
像高166.7cm、桧の一木造。堂々
たる体躯で股間には渦文、下肢に
は太い翻波式の襞が作られる。 |
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伝薬師如来
像高159.4cm 、ケヤキの一木造、肉
髻は高く、上半身の衣文はY字を作り
裙の襞は大きな波を作る。 |
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11世紀初頭に建立。 堂は 兵火で焼
失し1871年になり再建され、 千手千
足観音を安置。千頭は過去千仏 千
眼は現在千仏 千足は未来千仏を表
す。 三世の諸仏を集約した菩薩。 |
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千手千足観音(1)
像高 42.1cm、 桧の寄木造、漆箔仕
上げ、玉眼嵌入。髪は青色、口は朱
色、歯は白色に彩色。類例のない千
本の足を持つ観音。 |
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千手千足観音(2)
上半身は裸形で腰布を着し、両脚
は膝頭を出して直立。脇足は左右
各十九本を扇状に半肉彫。 |
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736年、聖武天皇は疱瘡の病魔退散の
ために僧泰澄命じて十一面観音を彫り
真言宗光眼寺を建立。その後、浄土真
宗に改宗し向源寺に改称。宗旨の都合
上 観音は、飛地仏堂に移管。 |
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国宝:十一面観音立像(1)
像高194cm、檜材の一木造。腰をひ
ねった肢体、頭上面の配置、耳飾り
にインドや西域の作風。 |
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国宝:十一面観音立像(2)
頭上に7、耳後ろに2、後頭部に1の
計10 の大きな面を配置するが、像
全体を見ると均整を保つ。 |
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895年本覚が 宇多天皇の勅願に
によって創建。往時は、七伽藍に
3千余の坊舎を構えた大寺院。本
堂内陣には 千手観音、不動明王
毘沙門天立像が 配置される。 |
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半肉彫千手観音立像(1)
像高53.5cm 、漆箔像。ヒノキの厚い
一枚板からの半肉彫り。裏は平板の
まま仕上げる。 |
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半肉彫千手観音立像(2)
半肉彫りの技法は、石造品・石仏等
には多く見られるが、木彫像では極
めて珍しい。 |
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741年、聖武天皇の勅願により 行基
が、開山した天台の巨刹。 大悲閣本
堂は、檜皮葺 入母屋作り。鎌倉期を
代表する和様建造物で国宝に指定。
堂内に国重文の仏像14体を安置。 |
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本尊聖観世音菩薩(1)
行基が上半身の粗彫りを終え、腰
のあたりにノミを入ると木肌から赤
い血が一筋流れた。 |
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08-5 平安後期 |
阿弥陀如来坐像
像高約140cm、割矧ぎ造。定印を
結ぶ。衣の襞は省略気味で 左足
は衣に包れる。体の厚みもある。 |
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本尊聖観世音菩薩(2)
直ちにノミを折り粗彫りのまま本尊として祀る。後世に「生身の観音」と信心される。 |
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大黒天半跏像
像高55.6p、檜の一木造材。武装形
をした古式の大黒天では日本最古の
もの。 |
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十一面観音立像
像高172.4p、檜材一木造りの素地
仕上げ。後頭部にはノミ跡を顕著に
残す。伏し目がちの面容。 |
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持国天
像高は155.2p、ヒノキの割矧ぎ造で
彩色仕上げ。目鼻を中央に集め、そ
のまわりに筋肉を隆起させる。 |
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多聞天
像高は153.8p、面長で眉をつりあ
げて、険しい目つき。口は閉ざして
やや腰高だが正面を向く。 |
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慈恵大師坐像(1) 東博寄託
像高約80cm、ヒノキの寄木造、玉眼
慈恵大師は 天台宗中興の祖。 観音
の化身といわれる。 |
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慈恵大師坐像(2)
1288年に妙蓮が父母の往生極楽
を願い 観音三十三身の倍数66体
の慈恵大師像を造立。現存する2
体うちの一つ。 |
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不動明王立像・
像高は162.3cm、ヒノキ材の一木造
体部背面を割放ち、割首とし、頭部
も前後矧とする。 |
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毘沙門天立像
像高は171.2cm、ヒノキ材の一木造。
前後に割矧ぐ。彩色はほどこさない。
瞋目し、口を閉ざす。 |
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阿弥陀如来坐像
像高約140cm、割矧ぎ造。来迎印を
結ぶ。銘文があり、1226年の経円の
作造。 |
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平安初期に創建。 兵火を免れた
た鎌倉時代の本堂、 三重塔は国
宝に指定。三重塔内部には 鎌倉
時代の壁画が残る。紅葉の名所で
名勝庭園もある。 |
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薬師如来
像高161.4cm 、カヤ材の一木割矧造
素地仕上げで彩色がない。開帳は住
職一代に一回。 |
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二天王・多聞天
像高117,6cm、一木割矧ぎ造、素地
仕上げ。北方の守護神である。 |
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二天王・広目天
像高118,8cm、西方の守護神で
ある。 大げさな表現のない質素
な姿態甲冑は豪華造りである。 |
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阿弥陀三尊
寄木造で、玉眼を嵌入する。金泥
や截金を巧みに使う表面仕上げな
ど安阿弥様式の典型である。 |
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不動明王
像高85.7cm、檜一木造、彫眼。不動
明王は大日如来の使者といわれる。 |
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二童子像
像高88cm矜羯羅は、蓮の枝を持つ
温和な顔つき。 84cm制タ迦は眉間
に皴を寄せ身構える。 |
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清涼寺式釈迦如来
像高134,8cm、桧材造、彩色仕上
げ。腿部の衣文のシワが、唐草文
様か勾玉のような造形。 |
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日光菩薩立像
像高月光菩薩144cm、日光菩薩
141cm。本尊薬師如来の脇侍仏
それぞれ日輪、月輪を持つ。 |
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月光菩薩立像
高い肉髻、装飾的に表された天冠台
髪際の表現、腰布結び紐のうねりに
は宋代の影響がみられる。 |
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聖徳太子が百済人のために創建し
た湖東三山の一つ。 ルイス・フロイ
スが地上の天国 一千坊と絶賛。織田信長の焼討ちに会い消滅。江戸初期に本堂、仁王門などが再建される。 |
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十一面観音(1)
像高2.49cm、一木造、漆箔仕上げ。
滋賀県最古の木造仏で奈良時代の
木造仏では二番目の大きさ。 |
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十一面観音(2)
長身ながらも頭部が小さい特異な
姿をし、正面の彫り具合は浅く、立
体感が少ない。 |
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十一面観音(3) 植木観音・
聖徳太子が百済の寺の仏像用に運
び出さる杉の大木の根が 付いた下
半分に観音像を刻んだという。 |
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聖徳太子が 当地を訪れ、山麓の松
の木に馬をつなぎ、霊地を探して山
上に登り、もどるとその馬は 石にな
って池に沈んでいた。 これに霊異を
感じた太子が開基したと伝えられる |
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十一面観音立像(大)
像高179.7cm、木造。内刳りをする
衣文線は 浅く処理するが、脚部の
量感が強調される。 |
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十一面観音立像(小)
像高は167.8cm、木造内刳りは無
い。 衣文線は大きく翻波式を刻み
渦文を配して、弾力感を持つ。 |
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二天王立像(多聞天)
像高151.2cm、木造、彩色仕上げ。
右手を腰に当て金剛杵を持ち 左手
は掌を上に向けて多宝塔を載せる。 |
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二天王立像(持国天)
像高159.2cm、 木造、彩色。やや簡
略な表現、別の二天像とは微妙にこ
となる作風 。 |
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二天王立像(持国天)
像高204.8cm、木造彩色。右手を振
り上げ剣を持ち、左手は腰に当て身
体を大きく捻る。 |
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二天王立像(増長天)
像高203.6cm、木造彩色。 右手
に金剛棒を、左手は三叉戟を持
つ。2組の中で巨像のグループ。 |
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阿弥陀如来坐像(1)
像高274.0cm 、寄木造、漆箔仕上げ。
定朝様の丈六仏。脚部と根幹部の隙
間から内刳りが見える。 |
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阿弥陀如来坐像(2)
全体の量感が平坦であり胴体部が
上方に伸びる。衣文線は細く浅く間
隔をあけて彫りだす。 |
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大威徳明王
像高117.0cm、桧一木造、彩色仕上
げ。頭体幹部は一材で彫り、水牛は
上下に二材を矧いで造る。 |
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役行者
像高112.5cm、寄木造。 下駄を
履き朽木の中に倚座。顔の皺や
痩せた身体を筋肉で表現してい
る。 |
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前鬼・後鬼
像高約 45cm。役行者が 従えていた
夫婦鬼、前鬼が夫で後鬼が妻。陰陽
師が使役する式神でもあった。 |
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織田信長が創建、境内には入母屋造
の楼門、近江八幡から移設の本堂、
釈迦堂、鐘楼などが 立ち並ぶ。信長
の命により浄土宗と法華宗の間で行
われた安土宗論の寺としても有名。 |
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阿弥陀如来坐像
像高273cm、寄木造、漆箔仕上げ。
三大阿弥陀如来(平等院、法界寺、
法金剛寺)と比べて遜色ない。 |
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銀造阿弥陀如来立像
像高は7.8cm、銀製仏像としては
稀有。 螺旋状の頭髪、衣文が精
巧に造形されている。 |
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聖徳太子が、老翁のお告げで刻んだ
千手観音等の仏像が当寺の秘仏本尊
という。平安以降に守護佐々木氏が本
堂、三重塔等を建立し栄えた。現在の
社殿は室町後期に再建された。 |
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十一面観音立像
像高53.8cm、千手観音より古い 千
年前後の作と推定。 最初の本尊の
可能性もある。 |
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千手観音
像高91.8cm、一木割矧造、素地截
金仕上げ。千手・十一面・聖観音の
三尊を本尊している。 |
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聖観音立像
像高67.4cm。 本尊の三観音像
は厳重な秘仏とされ平素は公開
されていない。 |
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推古天皇の勅命により 近江に48ヵ
寺を建立した聖徳太子が 最後にこ
の寺を建てたとされる。願いが成就
したことで寺名になった。 |
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地蔵菩薩立像
像高96.4p、彩色・截金仕上げ。快慶
の弟子栄快の作像。現在は奈良博物
館に寄託。 |
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十一面観音
像高106.7cm、カヤ材の一木彫、素
地。内刳りは無い。やや荒彫りに近
いノミ目を残す。 |
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地蔵菩薩
像高161.0cm、寄木造、玉眼嵌入
渡来木の中程を用いて刻まれ「木
の中地蔵」と呼ばれる。 |
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良弁が紫香楽宮の鬼門を封じるため
に七堂伽藍を建立。平安時代には阿
星山五千坊と呼ばれる天台仏教圏を
形成した。源頼朝、足利将軍家が 祈
願所として諸堂を造改修する。 |
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釈迦如来坐像(小)
像高160.0cm、桧の寄木造、彫眼
漆箔仕上げ。 定朝の様式を踏襲
した正統的な作品。 |
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阿弥陀如来坐像
像高142.5cm、桧の寄木造 、彫
眼漆箔仕上げ。台座と光背は造
立当時のもので大変貴重。 |
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阿弥陀如来坐像(大)
像高285.5cm、寄木造、彫眼、漆箔
仕上げ。 |
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和銅年間(708〜715)元明天皇の勅命
よにり、良弁僧正が開基。 阿星寺五千
坊の中心寺院として栄えた。1360年に
火災で全焼するが 本堂は翌年に 三重
塔は40年後に再建された。 |
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釈迦如来
像高139.1cm、寄木造。髪・眼・唇
に彩色、体躯は漆箔仕上げ。内刳
りし布を貼り黒漆を塗る。 |
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千手観音坐像
像高63.1cm 、寄木造、素地仕上げ。
本堂再建時に本尊として造像。非公
開の秘仏。 |
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平安初期に最澄が入山し建物を整
える。桓武天皇が、病に伏すと、最
澄が薬師法による霊水を献上。病
の治癒により寺号の善水寺を賜る。
比叡山焼討ちでは本堂は焼け残る |
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金銅誕生釈迦仏
像高23.2cm、鋳銅・鍍金仕上げ。肉
髻相螺髪や肉髻を鋳出しタガネで輪
郭線を明瞭にあらわす。 |
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薬師如来(1)
像高は 102.5cm、桧の 一木造、漆
箔。秘仏本尊で、 像内納入品の文
書から993年の造像とわかる。 |
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薬師如来(2)
大振りの螺髪、明快な目鼻だち 太
い古様な衣文線などに平安中期の
特徴が見られる。 |
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梵天
像高161.7cm、ヒノキの一木造
彩色仕上げ。 長方形に背刳を
ほどこす。 |
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帝釈天
像高162.8cm、頭 体の左右に竪木二
材をよせる。右手は袖をふくめて一材
を寄せる寄木造的な手法。 |
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兜跋毘沙門天立
像高163.0cm、一木造 彩色、漆箔
仕上げ。西域風の甲胃、八方冠。
東寺像に比較すると形式化が進む。 |
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広目天
像高150.6cm、一木造 彫眼 彩色
仕上げ。腹部の帯は帯喰いで装飾。腰部に市松と花文が残る。 |
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不動明王
像高73.1cm、カヤ材のー木造
彫眼、古色仕上げ。 頭頂の莎
髻は欠失している。 彩色は ほ
とんど剥落。 |
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持国天
像高152.5cm 、寄木造、彫眼、彩色
仕上げ。右手は腹前に出して拳を結
び左手は三叉戟を執る。 |
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増長天
像高145.5cm、寄木造、彫眼、彩色
仕上げ。両肩の獅噛は鼻が長く特徴
的。顔や鎧に彩色が残る。 |
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僧形文殊坐像
像高78.8cm、一木造、彫眼、彩色。
老僧の姿。衲衣の上に袈裟を着け、
左手に錫杖を執る。 |
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792年に最澄が 延暦寺根本中堂
の用材を求めてこの地を訪れ 十
一面観音を安置。806年、坂上田
村麻呂が 七堂伽藍を建立。往時
は、広大な境内地を有した。 |
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十一面観音坐像(1)
像高312cm、桧の一木造、漆箔・彩色仕上げ。重文の十一面観音坐像としては日本最大。 |
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十一面観音坐像(2)
頭部から体幹までヒノキの一木で造られている。寺伝ではイチイの木の一木造とされている。 |
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地蔵菩薩立像
像高97.1cm 、一木造、漆箔・彩色。
襟を立てる着衣から僧侶の姿に表し
た神像との見解もある。 |
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観音菩薩立像
像高 170.3cm、桧の一木造、彩色
仕上げ。目尻を吊り上げた険しい
顔つきで、細身の長身。 |
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薬師如来坐像
像高約222cm、寄木造、漆箔仕上げ。
丸みのある小顔 、なで肩の定朝様。
甲賀三大仏の一つ。 |
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毘沙門天
像高176cm、一木造、素地。坂上田村麻呂が自身の分身として彫ったと伝わる等身大の像。 |
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地蔵菩薩坐像
像高110.8cm、一木造、漆箔仕上げ。
腹部に帯が見え、安産の地蔵として
信仰されている。 |
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弥勤菩薩坐像
像高87.6cm、ケヤキー木造、素地。
膝裏の銘で作造は1340年と判明。
南北朝の基準作。 |
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もとは南都との山岳寺院として飯道山
山上に成立。中世から近世にかけては
有力修験寺院であったが、廃仏棄釈で
廃寺となる。1892年、天台宗本覚院が
寺号と法燈を継承して飯道寺となる。 |
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阿弥陀如来坐像
像高86cm、桧材寄木造り、彫眼。
定印を組み結跏趺坐する。村内の
常福寺から移したもの。 |
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十一面観音立像
像高 98cm、檜材の一木割矧造
古色仕上げ。腰を左にひねり右
足を前に出す。 |
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地蔵菩薩立像
像高97.6cm、檜材寄木造、彩色
仕上げ。境内の隣にある日吉神
社の本地仏として祀られていた。 |
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1997年11月に神慈秀明会が設立した
私立美術館。 日本美術、エジプト、西
アジア、中国、ペルシャなどの 古代美
術品三千件以上の収集品を展示。美
術館に向かうアプローチロードが有名。 |
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四天王:持国天立像(1)
像高は170.7cm、 ヒノキの寄木造
彩色 、玉眼嵌入、彩色仕上げ。
東方の守護神で肌は 本来、緑青
色を呈していた。 |
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四天王:持国天立像(2)
興福寺伝来の四天王の一具。他3
体は下記にて収蔵展示する。
※広目天:興福寺
※増長天、多聞天:奈良博物館 |
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地蔵菩薩
像高73.5cm、木造、着色、戴金
仕上げ。顎の張った面相に見開
きの強い目をした意志的な面貌。 |
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733年に聖武天皇の勅願により良弁が
開基。 山上に伽藍を建立し勅願寺とな
る。 時の有力者が帰依し 湖南仏教文
化の中心となった。1549年の大火災以
後は衰退し現在は寂しく山中に佇む。 |
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軍荼利明王
像高は360.5cm、ヒノキの一木造。
裳や天衣に渦巻き文が刻まれるが
膝下や天衣は後補。 |
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釈迦如来坐像
像高は約220cm、檜の寄せ木造
り。定朝様の仏像で本堂の本尊。
金箔彩色は剥落し黒漆のみ残る。 |
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虚空蔵菩薩像
像高約194cm、桧の割矧ぎ造。
彫りの浅い衣文に翻波式の名
残が見られる。半跏踏下げ像。 |
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毘沙門天
像高は167.6cm 、木造、彩色仕上げ。
右手の戟か宝棒、左手の宝塔は忘失。踏まれる邪鬼がいない。 |
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788年 比叡山に最澄が一乗止観院
を建立。 平安京の鬼門を守る鎮護
国家の道場、 天台密教の拠点とし
て法然、親鸞など多くの高僧たちを
輩出する。 |
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国宝・重要文化財を含む寺宝数
百点の中から適宣入替えながら
展示している。 |
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延暦寺の宝物の管理保管と歴史
紹介を目的に1992年に開館した。 |
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千手観音立像 (1)
像高 51cm、イヌガヤ材。蓮肉まで
含めて根幹部は一木造。比叡山延
暦寺の中で最古のもの。 |
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千手観音立像(2)
髪に群青、唇に朱を施し、全身に
黄色の彩色の檀像。 切れ長の目
に尖った鼻、口を深く彫り込む。 |
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維摩居士
像高は34.8cm、一木造で彩色仕
上げ。インドの資産家で、在家の
まま大乗仏教を極め釈迦の弟子
を論破。 |
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薬師如来
像高約125cm、クスノキの一木造。
螺髪は大きく、肉髻は高く地髪部
から立ち上がる。 |
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不動明王二童子像
像高は不動明王が50.9p、矜羯羅童
子24.5cm、制タ迦童子は24.8cm。左
手を向く明王を二童子が見詰める。 |
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大黒天(1)
像高83.3cm、一木造り、彫眼、素
地仕上げ。右手に鍵を持ち 光定
大師像ともよばれる。 |
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大黒天(2)
本来は大黒天であったが、 信仰
上の理由から最澄の高弟である
光定大師として崇められる。 |
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7世紀に大友氏が氏寺として創設。
9世紀に唐から帰国した円珍によっ
て再興され天台寺門派の総本山と
なる。天智・天武・持統天皇の産湯となる霊泉があり三井寺と言われる |
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1598年に創建。正面三間、側面二間
宝形造で桧皮葺。 堂内には、二体の
智証大師像と黄不動 尊立像の 三体
が安置される。 |
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国宝:智証大師円珍坐像(1)
像高は84.3cm、ヒノキの寄木造、彩
色仕上げ。秘仏のためか彩色もすぐ
れてよく残る。 |
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国宝:智証大師円珍坐像(2)
中尊大師は円珍派の本尊で大師堂
の中心に坐す。円珍の100回忌の法
要を機会に作られた。 |
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国宝:智証大師(御骨大師) (1)
像高86.3cm、ヒノキの寄木造彩色。
大師入滅後、その姿を模刻し像内
に遺骨を納める。 |
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国宝:智証大師・御骨大師(2)
右ひざが下がるなど人間的な特徴を
忠実に表現する。円珍が亡くなった
891年に、御骨大師は作られた。 |
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国宝:新羅明神 (1)
像高78cm 、一木造、彩色、截金。
頭髪に細かな毛筋を刻み、着衣に
は彩色と金銀截金で文様を配す。 |
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国宝:新羅明神(2)
新羅明神は、円珍が唐からの帰途
船中に現れ教法加護を約する。 |
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切妻造平入りの屋根に反りを付し
その前流れを長くして 向拝とする
流造の代表的遺構 。 |
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護法善神立像(1)
像高159cm、檜の一木造。鬼子母神
の千人の子を千個の団子で供養する
千団子祭が行われる。善神堂の本尊。 |
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鬼子母神
像高は43.9cm、ヒノキの寄木造、彩
色、玉眼、截金仕上げ。鮮やかな色
彩がよく残る。 |
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1727年に創建。円珍(智証大師)の護
法神として篤い信仰を集める。鬼子母
神を祀る。 |
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護法善神立像(2)
円珍が5歳の時に降臨した女神を彫刻した像と伝えられる。 |
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聖武天皇の夢告を受け、良弁僧正を
開基とし本尊の秘仏如意輪観音像を
祀って開かれた。奈良時代からの観
音霊地とされる。 |
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平安時代に観音信仰が盛んになると
朝廷や摂関貴族などから多くの崇敬
を集めた。1194年に建立した多宝塔
は現存最古のもの。 |
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如意輪観音半跏像(1)
像高293.9cm、檜寄木造り、漆箔、泥
文様。1096年頃の作造。右手に宝珠
をのせた蓮華を持つ。左手は与願印。 |
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如意輪観音半跏像(2)
日本で唯一の勅封秘仏。33年に1
度開帳。一般的な六臂、輪王坐の
如意輪観音と異なり二臂、遊戯坐。 |
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大日如来坐像(1)
像高102cm、寄せ木造。張りがある端正な面相は、目じりが上がる意思的な表情を示す。 |
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大日如来坐像(2)
1194年に源頼朝が寄進した多宝塔に
に安置。 頭部内の墨書アン阿弥陀仏
から快慶の作品と判明。 |
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最澄が創建後 源信が念仏教化の道
場として再興。旧坂本城から移築した
表門がある。当寺は織田信長に仕え
た森蘭丸の父森可成の墓所であった
ため比叡焼打ちの難を逃れた。 |
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銅造薬師如来立像
像高約40cm 金銅の立像。口元に
微笑みを浮かべ直立する。衣の襞
はしっかりと刻む。 |
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十一面観音
像高は 約170cm、ヒノキの一木造、内
刳りが有る。丸顔で均整の取れた体形
である。菅公作と言われる。 |
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釈迦如来
像高約70cm、ヒノキ寄木造、玉眼。
衣文の深く太い線条、鋭いつり目な
ど鎌倉慶派の特徴を示す。 |
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地蔵菩薩
像高は約65cm、小振りな立像。足ほ
ぞに銘があり、 鎌倉最末期に院芸と
言う仏師が作造。 |
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日光菩薩
像高は108.cm、ヒノキ寄木造。元々
京都の国清寺に伝来した。鎌倉期
に頼弁という仏師が造立。 |
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十一面観音(1)
像高は約180cm、桧の一木造。4本腕
の中央手は合掌し、脇手2本は蓮華と
錫杖を持つ。 |
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十一面観音(2)
ふくよかな容貌、太く力強い線状や渦
文が刻まれる衣文など平安前期彫刻
の要素を含む。 |
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聖徳太子が 高麗僧慧慈のために
創建。室町期に真盛上人が入山し
不断念仏の道場とする。以来、天
台真盛宗の総本山となる。比叡山
焼き討ちで焼失。明智光秀が復興。 |
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越前朝倉氏の家臣である 杉若盛安が
再興。桃山御殿の異名をとる荘厳な客
殿、聖衆来迎図を表したという 江戸期
の庭園、穴太衆による城郭のような石
垣などが残る。 |
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阿弥陀如来像
像高278cm、寄木造、彫眼。手は定印を結ぶ。台座は後補だが、光背は当初部分が多い。 |
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薬師如来
像高は88cm、寄木造、漆箔仕上げ。
漆箔は剥がれ黒ずんだ肌となる。左
手に薬壺をもち そこに右手を寄せる
珍しい印相。京都法勝寺伝来の秘仏。 |
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平安初期に延暦寺の僧相応が 回峰
行の道場として創建した。 境内には
伽藍が立ち並ぶ。相応が滝壺に飛び
込んで霊木を引き上て 不動明王を
自ら刻んだという三の滝がある。 |
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千手観音
千手観音を中心に左右に不動明王
と毘沙門天を 脇痔とする三尊形式
は天台宗に独特のもの。 |
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毘沙門天
円仁が唐からの帰国時に船が嵐に
遭い、観音菩薩に安全を祈ったとこ
ろ毘沙門天が現れて船を守った。 |
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不動明王
帰国後に横川に聖観音と毘沙門天
を安置する。のちに良源がそこに
不動明王を加えた。 |
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