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勝常寺薬師堂福島県湯川町
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807年法相宗の学僧徳一により開
かれた東北を代表する古刹。創建
時は 七堂伽藍が備わった大寺院
であった。薬師堂は、1398年再建
で国宝、重要文化財12躯を有する |
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国宝:薬師三尊中尊(1)
像高137.5cm、ケヤキの木材から彫り出される。如来の相である眉間の白毫相を表さない。 |
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国宝:薬師三尊中尊(2)
胸板が厚く大腿部の量感を強調した肉
付け、額が狭く、厳しい表情の面
相に平安初期の様式 。 |
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国宝:薬師三尊月光菩薩
菩薩両像はほぼ左右対称で、柔らか
な表情、 七頭身のしなやかな姿態に
天平様式が残る。 |
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国宝:薬師三尊・日光菩薩
日光菩薩が169.4cm、月光菩薩が
173.9 cm、ケヤキの一木造、乾漆
併用で、背面から内刳り。 |
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勝常寺・聖観音
像高167cm、欅の一木造りで背面より
内刳りを施す。張りのある身体均衡が
とれている。 |
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勝常寺・持国天
像高120〜130cm、邪鬼まで欅の一
木造り。 首はほぼない。腰と右腕で
鋭い動きを表現。 |
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勝常寺・増長天
像高120〜130cm、邪鬼まで欅一木造
り。 顔は岩のように作り腰と右腕で鋭
い動きを表現。 |
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勝常寺・多聞天
顔は後世彫り直されており、見劣
りするが時代は下らない。 各像の
邪鬼には修理が施される。 |
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勝常寺・広目天
東京国立博物館に寄託の広目天は力
感がこもる。 動きの鋭さと力感表現を
極めた造形といえる。 |
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817年、坂上田村麻呂が東北鎮護の
ために行基菩薩の作といわれる千手
観音を安置したのが始まり。 境内に
は樹齢約300年の枝垂れ桜、稚児桜
がある |
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大蔵寺・千手観音
像高約4m、カヤの一木造。化仏を除
く頭部、胸部の一部、 両股間の渦文
の一部が旧態を保つ |
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大蔵寺・千手観音(2)
頭上、肩から先は後補。 昭和に
膝から下の痛みを修理。顔面は
近世の胡粉が厚く覆い尽す。 |
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大蔵寺・聖観音
頭部から足ほぞまで一木造。背面から二箇所に内刳。 両膝間に渦文、大腿、背面に翻波式。 |
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807年徳一大師が五薬師の1つとして
て開創。元禄年間に僧道安が現在地
に移し中興した。 上宇内薬師は会津
五薬師の一つである。 |
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上宇内薬師堂・薬師如来
像高183cm、ケヤキの一木造り胸板を厚くして体感部の量感をだすが、全体的に穏やかである。 |
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上宇内薬師堂・薬師如来(2)
勝常寺像より一回り大きく、作風は
影響を受ける。 悪病退散の薬師で
会津五薬師の西の薬師。 |
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恵隆寺・千手観音
像高は7.42cm、 ケヤキ材の一木造り
総高は8.50cmの大像。塔寺の立木観
音として親しまれている。 |
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808年空海の意を受けて坂上田村麻呂
が創建。又は 540年に中国僧・青岩が
高寺山に庵を結び、その後634年に僧
恵隆が恵隆寺と名付けたとも云われる |
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恵隆寺・千手観音(2)
関東一円に多い立木観音像より目鼻
立ちをはじめ 衣文の彫りなどが本格
的である。 |
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720年に 得道(徳道)によって創建さ
れ。 後に、徳一が再建した会津最古
級の寺。1780年の建立の三重塔は、
会津で現存する唯一のもの。 銅葺
屋根三層、全高は19mである。 |
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法用寺・金剛力士像
阿形224cm、吽形216cm、ケヤキの
一木造。 忿怒の形相や筋肉及び衣
文の表出には、力感があふれる |
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法用寺・金剛力士像
藤原時代の金剛力士像としては全
国的に類例が少ない。京都峯定寺
の像とともに逸品である。 |
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1055年の前九年の役に際し鎮守府将
軍源頼義が勧請する。拝殿「長床」は
平安時代の寝殿造りの建物。直径1尺
5寸の円柱44本が等間隔に5列並んで
おり 全部吹き抜けになっている。 |
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文殊菩薩騎獅像
総高287.4cm。獅子の腹下をくぐる
と頭が良くなると言われる。神仏習
合の熊野信仰を伝える遺品。
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1227年、法然の高弟である 隆寛律師
が開基したと伝えられる。1611年の慶
長三陸地震による震災で 現在の場所
に移転。 この際 会津松平家が、唯一
庇護した寺であると言われる。 |
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阿弥陀三尊
如来の男性的な造形は鎌倉前期の
特徴がよく表れている。両脇侍の跪
坐は三千院の形式を取り入れる。 |
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阿弥陀三尊
中尊241cm、寄木造。千体仏の舟形
光背、来迎印で、二重蓮台の上に結
跏趺座する。通称会津大仏。 |
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観音菩薩
観音は両手に蓮の台を捧げる。宝
冠に化仏がある。勢至は合掌する。
宝冠には宝瓶がついている。 |
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勢至菩薩
像高は観音菩薩128cm、勢至菩薩は
130cm。両脇侍は三千院の阿弥陀三
尊像と同様に跪坐・大和座りである。 |
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通称 山寺と呼ばれる天台宗の寺院
である。創建は860年天台座主慈覚
大師円仁によって建立される。約109
万平米もの敷地に大小30もの堂塔が
1015段の石段沿いに点在する。 |
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立石寺・薬師如来坐像
像高129.7 cmの半丈六の像 。桂の一木造で、木地仕上げ。根本中堂の本尊で秘仏。 |
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立石寺・薬師如来坐像
像の膝部裏から1205年の修理銘が
発見され、平安後期の作と判明。50
年に一度開帳される秘仏。 |
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立石寺・慈覚大師円仁頭部
全長22.1cm、ケヤキの一木造。入定
窟にある金箔の木棺の中に 5体の十
数片の骨と共に納める。 |
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普段は無住で、 大江町の西林寺が
管理。十一面観音像は、もと山形市
内の宝幢寺に伝わったが、宝幢寺が
廃仏棄釈で消滅後、本像はその関係
寺院であった宝積院に移る。 |
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746年に聖武天皇の勅命により インド
僧婆羅門によって開山された。以降は
代々の有力者から手厚く保護を受けて
いる。江戸時代に幕府から御朱印を受
けて東北随一の巨刹として栄えた。 |
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宝積院・十一面観音
像高は50p、カヤ材の一木造、木地
仕上げの代用檀像である。 彫技は洗
練され傑出した出来栄え。 |
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宝積院・十一面観音(2)
通常の十一面観音の頂上仏面は頭
部のみが乗るが、頭部から肩、手ま
での造形は珍しい。 |
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境内には、重要文化財の本堂をはじ
め 三重塔、薬師堂、山門、阿弥陀堂
釈迦堂、天台大師堂が、建ち並び 江
戸時代の姿がそのまま残る。 |
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慈恩寺・阿弥陀如来
像高52cm、ヒノキ寄木造、漆箔。元来は釈迦堂に安置されていた釈迦如来像。奈良仏師寛慶の作。 |
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慈恩寺・薬師三尊
本尊は、江戸期に支院の薬師寺から
脇侍二尊、十二神将 とともに慈恩寺
に移設されたもの。 |
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慈恩寺・薬師三尊・ 中尊
像高69.4cm、ヒノキの寄木造。玉眼。
肉身は金泥、衣は漆箔を施す。院保
が京都で作造。 |
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慈恩寺・脇侍日光・月光菩薩
像高109cm、一木造で前後に割矧
ぎ。体は金泥で着衣は漆箔仕上げ
京仏師により当地で作られる。 |
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慈恩寺・弥勒菩薩及び諸尊像
像高98.4cm、ヒメコマツ 材の素木造。頭髪に群青、眼球を墨描き、口唇に
朱を入れる。 |
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諸尊像 (降三世明王・釈迦如来)
像高は 降三世明王101.3cm、釈迦如
来52.0cm。両像ともヒメコマツ材の素
木造。同一仏師の作と見られる。 |
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諸尊像(地蔵菩薩・不動明王)
地蔵菩薩51.6cm、 不動明王94.7cm
弥勒菩薩を囲む5仏の構成は他に類
例がない。 |
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慈恩寺・聖徳太子立像
像高は 95.0p、頭部と体部は、それ
ぞれ前後別材ではぎ接ぎ。少年の姿
の聖徳太子像。 |
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慈恩寺・十二神将(子神)
薬師如来像を守る眷属。 鎌倉期の
慶派による作造。 辰・午・未・申の4
神は江戸期の後補。 |
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慈恩寺・十二神将(丑神)
像高は 90cm前後、 ヒノキの寄木
造または割矧ぎ造り。彩色仕上げ
玉眼嵌入 。 |
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慈恩寺・十二神将(寅神)
彩色は、入念に施されて 赤・緑・青系
の繧繝を多用し、所々に盛り上げ彩色を用いる賦彩。 |
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慈恩寺・十二神将(卯神)
右手をふりあげ、左手は拳をにぎ
り上半身を大胆にねじり筋肉の躍
動を表現する。評価が高い作品。 |
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慈恩寺・十二神将(辰神)
江戸期の後補。彫りは総体的に固
く動勢にも多少ぎこちなさが認めら
れる。 |
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慈恩寺・十二神将(巳神)
遠方を望む姿の巳神の評価が 高く
卯神とともに米国の展覧会に出品さ
された。 |
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慈恩寺・十二神将(午神)
江戸期の後補。十二神将が 1692年
の薬師堂再建時に支院より移設され
た際に欠損4神を補作。 |
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慈恩寺・十二神将(未神)
江戸期の後補。彫りは総体的に固
く、動勢にも多少ぎこちなさが 認め
られる。 |
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慈恩寺・十二神将(申神)
江戸期の後補。 元来の彩色は布を貼り、錆下地を施すが、表面を紙貼の白下地で彩色を行う。 |
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慈恩寺・十二神将(酉神)
彩色は布を貼り、錆下地を施し 黒漆
を塗り、白下地の上に切金を交える。
各工程は入念に施されている。 |
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慈恩寺・十二神将(戌神)
各像とも体躯に生き生きとした動きが
あり、忿怒の表情や、躍動する筋肉を 見事に描写。 |
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慈恩寺・十二神将(亥神)
頭上の十二支の造形により便宜上の
名前はあるが十二支は後の時代のも
ので正確な各像の名前は不明。 |
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双林寺・薬師如来
像高121.2cm、ケヤキ材の一木造
内刳りは施さない。 東北地方に多
い欅材彫刻でも最古級の一つ。 |
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双林寺・薬師如来(2)
がっしりした量感から平安初期の特
徴を示すが 上体や膝前に見る衣の
ひだが細やかになる 。 |
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双林寺・持国天
像高は119.4cm 、ケヤキ材の一木造
素地に彩色仕上げ。神将形の天部立
像である。材質感がよく表現される。 |
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760年医王山興福寺という天台宗寺院として創建。その後は衰退し、 1591年に再興された。境内には薬師如来を祀る瑠璃光殿があり「杉薬師」とも称される。 |
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双林寺・増長天
体躯から邪鬼までを一木で彫成してい
る。持国天は口を開いた阿形面で 増
長天は上下歯をみせた吽形。 |
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国宝:阿弥陀三尊(中央壇)
針葉樹 (ヒノキ、ヒバ)の寄木造、肉
厚に材を残し内ぐりを施こす。材が
東北地方では自生しないヒノキなら
中央から材が運ばれ現地で造像。 |
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阿弥陀堂ではあるが内部の須弥壇内
に藤原3代の遺体を安置する廟堂でも
ある。建物の内外が、総金箔張りから
金色堂の名がある。 |
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国宝:二天王(中央壇)
カツラ材で三尊像と一具でない。胴を
絞り、腰をひねる。袖は翻えり 激しい
躍動感を示す。 針葉樹材で出来た西
北壇の二天像と入れ替わったか。 |
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国宝:清衡壇(中央壇)
中央に阿弥陀如来、その両脇に観音
勢至両菩薩、外側に二天王と六地蔵
という11仏の構成になる。 |
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国宝:六地蔵(中央壇)
カツラ材の寄木造り。二天王と同様
に針葉樹材で出来た西北壇の六地
蔵と入れ替わったか。左手に宝珠を
右手は与願印を示す。 |
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850年に慈覚大師円仁が 創建した
天台宗東北大本山。後には藤原氏
初代清衡が再興し、大伽藍を造営。
多くは火災で焼失した。現存する金
色堂は1124年に清衡が建立した。 |
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国宝:中尊(中央壇)
腹前で両手を組む阿弥陀定印を結
ぶ。逆V字に左右に振り分けられた
後頭部の螺髪や、右肩にかかる衣
に貼った別材に鎌倉時代の様式。 |
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国宝:阿弥陀如来・中尊(中央壇)
像高は 62.5cm、檜の一木から彫り出
す。割矧造により頭体は正中線で2分
割し内刳の後に2材を漆で矧ぐ。 |
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国宝:秀衡壇(西北壇)
阿弥陀如来像は、中央檀と同様に定
印を結ぶ。二天王像は穏健な印象で
元来は 中央檀のものと推測される。 |
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国宝:阿弥陀如来・中尊(西北壇)
漆箔を施した丸顔は典型的な定朝様
を示し、定朝から3代目の円勢などの
円派仏師の作風に通ずる。 |
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国宝:基衡壇(西南壇)
中尊の阿弥陀如来は、かなり小さい。
印相は来迎印である。他の2壇は定
印である。
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国宝:阿弥陀如来・中尊(西南壇)
大きさや様式の点からみて、後世に
他所から持ち込まれたものと推測さ
れる。 |
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国宝:金銅迦陵頻伽文華鬘
金銅製の華鬘(かまん)は花輪をか
たどり、金色堂内を荘厳するの堂内
具 。 宝相華の透彫りの地の左右に
迦陵頻伽があしらわれている。 |
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讃衛蔵・渡海文殊五尊像
像高は文殊菩薩像が約65cm、4眷属
は 約60〜75cmである。 ヒノキ材の割
矧造。彩色は後世の厚塗り。 |
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讃衛蔵・渡海文殊菩薩
右足を下し、左足を横に向ける半伽
椅座で坐す。 右手では如意(後補)を
胸元で握り、左手で支える。 |
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729年、行基の開基と云われる。東光
山薬師寺と称していたが 782〜806年
間に蝦夷征伐による兵火により焼失。
807年に坂上田村麻呂が再建。849年
に円仁が妙見山黒石寺と改号する。 |
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讃衡蔵 ・一字金輪佛頂尊
像高76cm、桂材寄木造り。前面のみ
作造し、背面は光背に密着。 人膚の
大日如来として知られる。 |
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讃衡蔵 ・一字金輪佛頂尊
一字は梵字呪文を、金輪は転輪聖王
の金輪王を、仏頂は如来の肉髻を意
味し独立した仏として神格化した。 |
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黒石寺・薬師如来坐像
像高126cm、桂材の一木造り、像底
と背部から内刳を施す。 頭部などに
は乾漆を併用する。 |
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黒石寺・薬師如来坐像(2)
像内膝裏には 貞観4年(862年)の墨
書銘が残されている。 木像の造像銘
では、日本最古のもの。 |
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黒石寺・僧形坐像(伝・慈覚大師)
像高67cm、カツラ材の一木造で両
膝部は別材を矧ぎ付ける。 両膝の
矧面に永承2年1047年の銘。 |
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黒石寺・持国天・増長天
像高160cm、 ケヤキの一木造。背面
下半身に方形の背刳り。 小顔で上半
身細く、下半身太い 。 |
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黒石寺・広目天・多聞天
像高160〜170cm、カツラ材の一木
造。 広目天の胸甲や肩当に繧繝に
よる花文が見える。 |
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藤里毘沙門堂・兜率毘沙門天
総高約230cm、トチノキの一木造で
素木仕上げ。 全身に横縞をつけた
鉈彫の代表例。 |
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明治の神仏分離令で成島寺が廃寺と
なった際に 同寺の境内にある毘沙門
堂と三熊野神社が独立し今日に至る。毘沙門堂は坂上田村麻呂の建立ある
るいは慈覚大師草創と伝えられる。 |
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成島毘沙門堂・兜率毘沙門天
像高359cm、総高473cmケヤキ材
の一木造。日本一の高さの毘沙門
天といわれる。 唐風の甲を身につ
ける。 |
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元は吉祥山智福寺の毘沙門堂であっ
た。排仏毀釈後は藤里智福愛宕神社
に改められる。 仏像は境内にある藤
里毘沙門堂の収蔵庫に保管されてい
る。 |
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成島毘沙門堂・兜率毘沙門天(2)
欅材の一木造で重量がある巨像の軽
量化の為に 頭部、体部、地天にそれ
ぞれ内刳りが施されている。 |
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成島毘沙門堂・伝吉祥天
像高 約180cm、ケヤキ材の一木造。
両手を胸の辺まで上げ、 頭上に2つ
の象頭を乗せる異容をもつ。 |
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成島毘沙門堂・伝吉祥天(2)
肘や肩にほぞ穴が 多数有り、同数の
脇手を持っていた。 来迎印の両前腕
は江戸期の後補で別木の取り付ける。 |
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坂上田村麻呂が創建し 857年に準
官寺の極楽寺(現在発掘調査中)の
の北谷の坊として建立された。
現在は 集落の中にお堂と収蔵庫が
残る。 |
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立花毘沙門堂・毘沙門天立像
像高102cm、クスの一木造。 下半身
には 鉈彫りの横縞が見えるが、その
線は浅く、目立たない。 |
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立花毘沙門堂・持国天
像高163cm、カツラ材の寄木造り。
増長天と仁王を構成。仁王に倣い
吽形。藤原基衛が寄進する。 |
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立花毘沙門堂・増長天
像高151cm、漆金箔仕上げ。持国天
と仁王を構成。 仁王に倣い阿形。腹
部に獅噛の装飾がほどこされる。 |
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728年 聖武天皇の勅命を受けた行
基が開山したと伝えられる。東北屈
指の古刹で、仏教文化の中心地とし
て歴史を刻む。 参道入口の桂清水
は霊水として信仰される。 |
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天台寺・聖観音菩薩立像
像高117.2cm、桂材の一木造、素地
仕上げ。 表面を規則的なノミ痕を残
す鉈彫の傑作と言われる。 |
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