東大寺
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東大寺
 聖武天皇の勅願により建立。752年に
 大仏開眼供養が 盛大に営まれた。
 その後、1180年の平重衡の南都焼き
 討ちで 大半の堂塔を焼失。鎌倉時代
 に重源上人の勧進で復興。 567年に
 松永久秀の兵火で 再度被災したが
 江戸前期に公慶上人らの勧進で再興
 した。

法華堂内陣
 当初の安置仏は不空羂索観音像、ミ
 ュージアムの日光菩薩、 月光菩薩像
 戒壇院の四天王像、執金剛神像の 8
 体とと考えられる。

01-1 天平
国宝:不空羂索観音立像
 天平時代を代表する彫刻。脱活乾漆
 造で像高は362cm 、一面三目八臂。
 額に縦に第三の眼を有する。

法華堂
 前身寺院である金鍾寺の遺構で東大
 寺に現存する奈良時代の建築の1つ。
 建物の北側の正堂が天平期、南側の
 礼堂は 鎌倉期のもの。 正堂と安置さ
 れる仏像群は天平盛期の文化を伝え
 る。

01-2 天平
国宝:不空羂索観音立像(2)
 中央手の2本は胸前で合掌し両掌の間
 に水晶珠を挟む。左肩から腕にかかる
 布状のものは 鹿革を表わす。

01-3 天平
国宝:不空羂索観音立像(3)
 高さ 88cmの宝冠には鍍金した銀製の
 枠型に翡翠・真珠・水晶・琥珀等2万数
 千個の宝玉を嵌め込む。

01-4 天平
国宝:伝帝釈天(梵天)
 脱活乾漆造、像高は401.5cm。堂内で
 最も大きい。不空羂索観音の右脇侍と
 して配置。

01-5 天平
国宝:伝帝釈天(2)
 表面の彩色はほとんど後補のもの。

01-6 天平
国宝:伝梵天(帝釈天)
 脱活乾漆造、像高は403.0cm。 戦闘神
 の帝釈天は鎧を着けるが、梵天はの衣
 下に鎧を着けない。

01-7 天平
国宝:伝梵天(2)
 梵天は左手に経巻を持つが、帝釈天に
 は持物はない。不空羂索観音の左脇侍
 として配置。

01-8. 天平
国宝:金剛力士立像・阿形
 像高326.4cmの脱活乾漆造。口を大き
く開き、目を見開いた憤怒相。大陸風の
 鎧を着ける。

01-9 天平
国宝:金剛力士立像・阿形(2)
 髪を逆立て、右手を振り上げ、金剛
 杵(亡失)を構える。甲などに造像時
 の彩色が比較的よく残る。

01-10 天平
国宝:金剛力士立像吽形
 像高306.0cm。口をつぐみ頬骨が張る
 険しい表情で力強い意思を示す。

01-11 天平
国宝:金剛力士立像吽形(2)
 右手に金剛杵を握り胸前に構える。
 吽形像は密迹力士とも呼ばれる。

01-12 天平
国宝:執金剛力士立像
 像高170.4cmの塑像。
 執金剛神像とは金剛杵を手に執って
 仏法を守護する神のこと。

01-13 天平
国宝:執金剛力士立像(2)
 普段は不空羂索観音像背後の厨子
 内に収められている秘仏。長年の厨
 子入りで当初の色彩が鮮明に残る。

02-1 天平
国宝:四天王・持国天
 像高 3.1m。目を見開き、口を開ける憤
 怒相。右足を上げ右手で三叉戟を支え
 左手を腰に当てる。

02-3 天平
国宝:四天王・増長天
 像高 3.0m。1人だけ兜を被る。目を
 細めて睨む。右足を上げ、手と右左
 手で三叉戟を支える。

法華堂・四天王
 脱活乾漆造、像高は 304-310cm。
 脱活乾漆造の仏像は少ない。国宝
 指定されている 四天王像 としては
 他に当麻寺の四天王像がある。
 甲などの各所に当初の彩色文様が
 残る。
 

02-2 天平
国宝:四天王・持国天(2)
口を開き、目を大きく見張り、怒りの表
情をあらわにして仏敵を威嚇する。

02-5 天平
国宝:四天王・広目天
 像高3.1m。目を見開き、口を閉じ右手に
 筆(亡失)を持ち、左手に巻物を持つ。

02-7 天平
国宝:四天王・多聞天
 像高 3.1m。 目をやや細目、口を閉じ
 右手で三叉戟を支え、左手は宝塔(亡
 失)を掌にのせ差し出す。

02-4 天平
国宝:四天王・増長天(2)


02-6 天平
国宝:四天王・広目天(2)


戒壇堂
 754年に渡来した鑑真和上は大仏殿の
 前の戒壇で聖武天皇以下 四百人に戒
 を授けた。その後戒壇院が建立された。
 現在の戒壇堂は1733年江戸霊雲寺の
 恵光により再建。
 天平彫刻の傑作 四天王像(国宝)が安
 置されている。

戒壇堂・四天王
 4体とも塑像で像高 160cmほどである。
 当初の鮮やかな彩色の一部が表面に
 残る。本像は 塑像彫刻の技術が頂点
 に達した完成形としても貴重な作品。
 武神らしく怒りの表情を浮かべるが 典
 雅な雰囲気を併せ持つ。

02-8 天平
国宝:四天王・多聞天(2)


戒壇堂内陣
堂内には高くて広い壇が築かれている。
壇の中央には 多宝塔が置かれ、四隅
に四天王像が安置される。 

03-1 天平
国宝:四天王・持国天
 目に黒石をはめる。目を剥き、口を
 閉じ、左足で邪鬼を踏む。兜をかぶ
 り右手で刀を握る。

03-3 天平
国宝:四天王・増長天
 目に黒石をはめる。目を剥き口を 開き
 右足で邪鬼を踏み、右手で三叉戟を支
 支える。

03-2 天平
国宝:四天王・持国天(2)
口を「へ」の字に結び、目を大きく見張り、
怒りの表情をあらわにして仏敵を威嚇す
る。

03-4 天平
国宝:四天王・増長天(2)
脱活乾漆造の中の木組みがずれて下
半身のバランスがおかしくなっていると
の指摘がある。

03-5 天平
国宝:四天王・広目天
 黒目の部分に石。目を細めた静かな
 怒りの形相で、右手で筆、左手で 経
 巻をもつ。

03-7 天平
国宝:四天王・多聞天
 黒目の部分に石。目を細めた静かな
 怒りの形相で、左手で宝棒を握り 右
 手で宝塔を掲げる。

03-6 天平
国宝:四天王・広目天(2)
射すくめるまなざしは『衆生の行いを観察
する』という務めを表現。 巻物と筆で衆生
の行いを記録し、帝釈天に報告する。

03-8 天平
国宝:四天王・多聞天(2)
瞳は石を用いており、これが像に一層
の生命力を与えている。

ミュージアム
 2011年10月に開館した東大寺の寺宝
を保管・展示する施設。 館内では国宝
日光・月光菩薩立像、重文千手観音立
像、誕生釈迦仏、菩薩半跏像、持国天
立像、多聞天立像など 彫刻や書跡 工
芸品を時代別に展示。
 

ミュージアム内部

04-1 天平
国宝:月光菩薩
塑造の彩色仕上げ。像高は206.8cm。
薄手の衣をまとい、袖の襞も左右対称
で、腰に結んで前に垂れる帯が端正さ
を強調。

04-2 天平
国宝:月光菩薩(2)
 薬師如来の脇侍である 日光・月光菩
 薩ではなく、本来の像名は梵天・帝釈
 天とする説がある。

04-3 天平
国宝:日光菩薩
像高2mほど。 衣の裾に緑色が鮮やか
に残り、そこには細く切った金箔を貼り
つけた截金が見られる。

04-5 天平
吉祥天
 塑像、像高は202cm。かつては法華
 堂に安置。 日本最古級の吉祥天像
 として貴重 。

04-4 天平
国宝:日光菩薩(2)
穏やかな笑み、ゆったりとした体躯、腕に
掛けた袈裟、前面に深く刻まれた 衣の襞
など、自然で調和が取れている。

04-6 天平
吉祥天(2)
インドの女神であったが、仏教に取り
入れられ毘沙門天妃として 五穀豊穣
招福の神となった。

04-7 天平
弁才天立像
 像高2.2mの塑造仏。2臂像の弁才天
 は後世造られたが 8臂の立像珍しい
 弁財天像では最も古い作例。

04-8 天平
国宝:誕生釈迦仏立像
 釈迦は生誕直後に7歩あるき右手で天
 を左手で地を指して天上天下唯我独尊
 と唱えた。

04-9 天平
国宝:誕生釈迦仏立像(2)
 像高47.5cm、銅造鍍金の誕生釈迦は
 大仏開眼時の灌仏会のために造られ
 た。

04-10 平安前期
国宝:弥勒如来坐像
 像高39cmでカヤ材の一木造。像底
 を浅く削る以外に内刳なし。 容貌は
 異国風で独特な表現 。

04-12 平安前期
千手観音立像
 9世紀頃の作造で、像高2.5m、ヒノキ材の
 一本造。彩色もよく残されている。重厚感
 あふれる像である。。
 

04-11 平安前期
国宝:弥勒如来坐像(2)
 大仏試作のための 「試みの大仏」とも
 よばれる。時期的には大仏建立よりも
 後の9世紀の作である。

04-13 平安前期
千手観音立像(2)
 40の脇手は正面で合掌する両手と同じ
 太さと長さがある。 一般的に脇手は合
 掌手より細く作る。

04-14 平安後期
多聞天
 元々天理の内山永久寺で安置。廃仏
 毀釈で東大寺に移管。12世紀頃の作
 造でヒノキの寄木造。像高は201cm。

04-15 平安後期
持国天
 像高186.5cm、 多聞天とも鮮やかで動
 きがあるが、作風・構造共に異なり2躰
 は一具での作造ではない。

04-16 平安後期
阿弥陀如来坐像
 像高88.5cm、ヒノキ材の寄木造。典型
 的な定印を結すんで坐した定朝様式の
 阿弥陀像。

04-17 平安後期
阿弥陀如来(2)
 像表面は漆箔仕上げ。伏目がちの表
 情細かい螺髪、 平行線状に整えられ
 た衣文は典型的な定朝様式。

04-18 平安後期
青面金剛
 像高は169.4cm。カヤの一木造で背
 刳りを施す。 忿怒形で腕や脚に蛇を
巻く。
 11世紀の青面金剛では最古。

05-3 天平
大仏・連弁線刻蓮華蔵世界図
上下2段からなり、 上段には説法図の
 如来像を大きく刻み その左右に十一
 一体の菩薩像が描かれる。

大仏殿
 752年に完成した大仏殿は 1180年と
 1567年の兵火により2回焼失する。
 鎌倉時代に重源、 江戸時代には公慶
 によって再建された。現在の大仏殿は
 正面9間(約57m)、奥行き約50m、 高
 さ約48mの 世界最大級の木造建築。

05-1 天平
国宝:盧舎那仏
 聖武天皇の発願により752年に開眼供
 養会が行われた。像高は約15m、顔の
 幅約3.2m、手の大きさは約2.5m。

05-2 桃山・江戸
大仏・頭部上半身
 頭部は江戸期、体部は大部分が室町
 期の補修である。

05-7 天平
八角灯籠浮彫音声菩薩
 総高464cm、金銅製としては最大最古
 の燈籠。 火袋の羽目板八面の四面は
 獅子、他の四面は音声菩薩の浮彫。

05-5 天平
大仏・連弁線刻蓮華蔵世界図(4)
 如来を左右に囲む十一体の菩薩像。

05-6 天平
大仏・連弁線刻蓮華蔵世界図(3)
 下段には26本の界線が 横に引かれ
 て小仏や宮殿が点在する。下方には
 請花と反花で一対の蓮弁がある。

05-4 天平
大仏・連弁線刻蓮華蔵世界図(2)
 上段の説法図の如来像を大きく描く。

05-8 江戸期
大仏三尊右脇侍・虚空蔵菩薩
 木造 、像高710.0cm、1752年に完成。
 大仏の右脇侍で、左手を上げている。

05-9 江戸期
大仏三尊左脇侍・如意輪観音
 木造、像高722.5cm。1730年に像立。
 大仏の左脇で、右手を上げている。

05-10 南北朝
賓頭盧椅像
 釈迦の弟子のひとり。おびんずるさん
 と呼ばれる。 体の悪いところと同じ部
 分を撫でると治ると伝承。

開山堂
 秘仏である良弁僧正像(国宝)が安置
 されている。 良弁僧正はわが国に華
 厳経の教えをひろめ、 東大寺建立に
 力を尽くした高僧。

06-1 平安前期
国宝:良弁僧正坐像
 ヒノキ材一木造、 両肩の外側、腰部
 脚部、手先などは 別材の矧ぎ接ぎ。
 像高92cm 平安期肖像彫刻の名品。

勧進所(阿弥陀堂・公慶堂等)
 江戸時代 に大仏・大仏殿等 の復興に
 尽力した公慶上人が 復興事業の拠点
 とした場所。この勧進所には僧形八幡
 神坐像の八幡殿、 五刧思惟阿弥陀如
 来の阿弥陀堂、 公慶上人坐像の公慶
 堂などの堂宇が点在する。

07-1 鎌倉
阿弥陀堂:五劫思惟阿弥陀
 ヒノキの寄木造、像高106cm。 阿弥
 陀が 修行中に五劫という長い時間
 を考え続け頭髪が伸びた像。

07-2 鎌倉
国宝:八幡殿・僧形八幡神坐像
 像高は87.1cm。もとは東大寺鎮守の
 八幡宮(現・手向山八幡宮) の神体と
 して祀られていた。

07-3 鎌倉
公慶堂:地蔵菩薩立像
 像高は89.8cm。東大寺に伝わる快慶
 作の仏像の一つ。いわゆる僧形地蔵
 の典型的な姿をしている。

07-4 鎌倉
公慶堂:地蔵菩薩立像(2)
 目は彫眼、表面は彩色と切金文様仕上
 げ。胸飾や腕釧などは銅製鍍金の装飾

09-1 鎌倉
国宝:金剛力士立像・阿形
 運慶や快慶が1203年に造立。南大
 門内に安置された二体の木造金剛
 力士立像。

南大門
 現在の門は、 鎌倉時代に東大寺を復
 興した重源上人が再建したもの。
 入り母屋造り、高さ25m 屋根裏まで達
 する柱18本は21m 、わが 国最大の門
 であり、国宝にも指定されている。

09-2 鎌倉
国宝:金剛力士立像・阿形(2)
 寄木造の大作、高さ8cmを超える2体
 の木像の制作は、わずか69日間で終
 わっている。

09-3 鎌倉
国宝:金剛力士立像・吽形
 向かって左に阿形、右に吽形が配置さ
 れており一般的な仁王像の安置形式と
 は左右逆である。

09-4 鎌倉
国宝:金剛力士立像・吽形(2)
 一般に 仁王像は正面向きに安置する
 が 本像は門の中央通路の方を向いて
 阿形像と吽形像が向かいあう。

俊乗堂
 1704年に公慶が 鎌倉時代に東大寺
 の大仏と大仏殿の再興を果たした重
 源の遺徳を讃えて建立した。

10-1 鎌倉
国宝:俊乗房重源上人坐像
 像高80cm強、ヒノキの寄木造、彫眼。
 興福寺の無著世親像と作風が類似し
 ており運慶一門 による作品と思われ
 る。

10-2 鎌倉
国宝:俊乗房重源上人坐像(2)
 俊乗坊重源上人の菩提を弔うために
 弟子らが造立。 晩年の姿を刻し意志
 の強い表情をしている。

10-3 鎌倉
俊乗堂:阿弥陀如来
 重源上人が 仏師快慶に作らせた阿
 弥陀如来立像。像高約1m、 像内に
 は五輪塔などが納入されている。

10-4 鎌倉
俊乗堂:阿弥陀如来(2)
 親鸞聖人が この像を気に入り京都
 に持ち帰ろうとしたので東大寺僧侶
 が足に釘を打ち込み妨害した。

11-1 江戸朝
中門:兜跋毘沙門天
 1719年に造立。三面立という冠を被り、
 金鎖甲という複雑に編み込まれた鎧を
 着ている。

11-2 江戸朝
中門:持国天
 通常、持国天と多聞天の2天が祀られ
 るが 多聞天を兜跋毘沙門天に変える
 る例は大変珍しい形式である。

中門
 1716年頃の建立、大仏殿の正面に建
 つ比較的大きな楼門。 大仏殿に参拝
 するために通る正式な参入門。

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