法隆寺
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01-1 飛鳥
国宝:天蓋
 釈迦三尊の中の間、 薬師如来の東
 の間 、阿弥陀三尊の西の間の三つ
 の空間に それぞれに人や鳳凰が舞
 う華麗な天蓋がつりさげられている。 

01-2 飛鳥
国宝:釈迦三尊
 623年聖徳太子の病気平癒を願っ
て鞍作止利が造立する。 像高87.5
cmの金銅像。

法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)
607年 聖徳太子により創建。 金堂
五重塔を中心とする 西院伽藍と夢
殿を中心とした、東院伽藍に分けら
れる。西院伽藍は、 現存する世界
最古の木造建築物群である。
 下図は西院伽藍。

金堂
 創建時の建物は 火災で焼失7世紀
 後半に再建。世界の木造建築の中
 でも最古。 全体の形はほぼ正方形
 に近い。
 二層の入母屋造りの上層の屋根は
 2方向に下層の屋根は 4方向へ勾
 配している。

01-3 飛鳥
国宝:釈迦三尊・中尊
 杏仁形の目、古代の微笑、長い耳朶
 に 孔を開けない、首に三道がない等
 中国南北朝風が顕著である。

01-4 飛鳥
国宝:釈迦三尊・中尊(2)
 僧祇支の上に大衣を通肩に着す。
 僧祇支の斜め線が胸前に紐の結
 び目が腹前に見える。

01-5 飛鳥
国宝:釈迦三尊左脇侍・薬王菩薩
 像高は約 90cm、顔つきは釈迦と
 類似する。大きな三山冠を被り地
 面に垂れた袖が特徴。

01-6 飛鳥
国宝:釈迦三尊右脇侍・薬上菩薩
 薬王薬上菩薩を釈迦の脇侍名と
 することは古代には例がなく後世
 の名称との説がある。

02-1 飛鳥
国宝:持国天
 最古の四天王像、 クスノキを用いた
  一木彫。光背、台座もクスノキ材製
 である。

02-2 飛鳥
国宝:持国天(2)
 持国天、増長天は、三叉戟と剣を持
 つ。 多聞天は宝塔を広目天は巻物
 と筆を持つ。

02-3 飛鳥
国宝:増長天
 像高は約130cm、 六朝風の甲を着
 ける。 天衣垂下部は広目天の右側
 以外は後補 。

02-4 飛鳥
国宝:増長天(2)
 躍動感あふれる平安以降の四天
 王像に比べ、飛鳥時代の像は 直
 立不動の姿勢が特徴とされる。

02-5 飛鳥
国宝:広目天
 広目天と多聞天の光背裏面 の刻銘
 から作者名と制作年代が判明。年代
 は650年頃と推定。

02-6 飛鳥
国宝:広目天(2)
 天衣の造形が百済観音像と類似し
 ており、この四天王像は 同年代に
 造立されたと考えられる。

02-7 飛鳥
国宝:多聞天
 広目天と多聞天の2躯は 外向きに
 安置。広目天は 西向き、多聞天は
 東向き。通常の四天王は正面を向
 く。

02-8 飛鳥
国宝:多聞天(2)
 邪鬼は 手かせ足かせで拘束され
 ており、暴れる心配がないので四
 天王も静かに直立している。

03-1 白鳳
国宝:薬師如来坐像
 作風・技法から実際の制作は7世紀
 後半に下る。像高は63.8cm。銅造、
 鍍金で仕上げる。

03-2 白鳳
国宝:薬師如来坐像(2)
 光背銘では 607年に法隆寺と薬師
 如来を創建とあるが 、様式や銘文
 書体から7世紀後半説が有力。

03-3 平安後
国宝:毘沙門天
 吉祥悔過の法要を金堂で行うため
 に1078年に毘沙門天・吉祥天両像
 を造立する。

03-4 平安後
国宝:毘沙門天(2)
 像高は123.2cm。檜材の割矧造。
 布貼り、 錆下地に彩色と截金で
 仕上げる。

金堂・阿弥陀三尊
金堂:銅造阿弥陀三尊
 大衣、裳懸座や光背などは飛鳥の
 様式を模しているが、面相は 写実
 的表現で鎌倉風である。

05-1 鎌倉
金堂:銅造阿弥陀三尊・中尊
 1097〜99年間に盗難にあった像
 を鎌倉時代の1232年に運慶の四
 男の康勝が再興。像高64.6cm。

03-5 平安後期
国宝:吉祥天
 木造彩色でヒノキ材、割矧造。一木か
 ら木取りし内刳を行う。

03-6 平安後期
国宝:吉祥天(2)
 像高116.7cm。布貼り、錆下地に
 彩色と截金で仕上げる。

05-2 鎌倉
金堂:阿弥陀三尊・勢至菩薩
 明治時代に不明となりギメ美術館の
 収蔵庫で発見された像を近年にコピ
 ーしたもの。

05-3 鎌倉
金堂:阿弥陀三尊・観音菩薩
 像高55.4cm、銅造鍍金。
 オリジナルは1097〜1098年に盗難
 紛失。1232年に康勝が新たに制作
 したと光背の銘文から判明。

05-4 鎌倉
金堂:阿弥陀三尊・観音菩薩(2)
 現在は大宝蔵院に安置されている
 薬師如来の脇侍とされた菩薩像を
 鎌倉期に模したもの。

宝蔵院
百済観音堂、東宝殿、 西宝殿の3棟
からなる建物で1998年に完成。百済
観音、九面観音、玉虫厨子などの寺
宝30数点を公開している。
金堂の火災の際難をまぬがれた 20
面の飛天図の一部も公開。

07-1 飛鳥
国宝:百済観音(1)
 かつては 金堂内、釈迦三尊像の
 背後に安置。飛鳥時代前期の作
 とみられる。

07-2 飛鳥
国宝:百済観音(2)
 像高 210.9cm、楠木材の一木造。
 作造後に 本体を前後に割り、内
 刳りを施す。

07-3 飛鳥
国宝:百済観音(3)
 百済観音という名称は1917年刊の
 『法隆寺大鏡』第40集が初出。

07-4 飛鳥
宝蔵院:銅造釈迦如来、脇侍像
像高は釈迦16.7cm、脇侍13.6cm。
一光三尊像で右脇侍は忘失。 止
利仏師作の金堂 釈迦三尊像と類
似する。

07-5 白鳳
国宝:夢違観音
 この像に祈念すると悪夢を吉夢に
 変えてくれる伝承がある。 通称は
 夢違観音と言われる。。

07-6 白鳳
国宝:夢違観音(2)
 像高 86.9cmの銅造。 眉の線が鼻
 梁に繋がる二重瞼などから飛鳥後
 期の作像。

07-7 白鳳
国宝:橘夫人阿弥陀念持仏
 光明皇后の母である橘夫人の念
 持仏と伝えられる。 像高は34cm
 金銅製浮彫。

07-8 白鳳
国宝:橘夫人阿弥陀念持仏(2)
 頭頂の肉髻が低い、手指の間に
 縵網相、頸部に三道が ないこと
 が特色 。

07-9 白鳳
国宝:九面観音立像
 中国唐時代の作品。像高は37.1cm。
 白蓮材の素地仕上げ。細密な彫技。

07-10 白鳳
国宝:九面観音立像(2)
 像容は十一面観音だが、本体の
 顔と頭上の小面を合計しても9面
 しかない。

09-01 白鳳
宝蔵院:六観音・文殊菩薩
像高は 85cm 楠材で、一木から彫
成し、内刳は行わない。 漆箔仕上
げ。 正面の三面頭飾は 半分欠損
している。

09-02 白鳳
宝蔵院:六観音・文殊菩薩(2)
天衣が 膝の辺りでX字状に交差
する。台座の連弁が 複弁である
等の形式が 勢至菩薩に類似。

09-03 白鳳
宝蔵院:六観音・勢至菩薩
像高は 86.cm、楠材で一木から彫成。
内刳は行わない。漆箔仕上げ。右手
に蓮華を入れた水瓶を持つ。

09-06 白鳳
宝蔵院:六観音・普賢菩薩
像高は 83.9cm、楠材で一木から彫
成し、内刳は行わない。漆箔仕上げ。
両肩に掛かる天衣は垂直に垂下す
る。

09-07 白鳳
宝蔵院:六観音・日光菩薩
像高は80.cm、楠材で、一木から彫
成し、内刳は行わない漆箔仕上げ。
顔は眠っているように見える。

09-04 白鳳
宝蔵院:六観音・勢至菩薩(2)
天衣が膝の辺りでX字状に交差する。
台座の連弁が複弁である等の形式
が文殊菩薩に近く、一具の可能性。

09-08 白鳳
宝蔵院:六観音・観音菩薩
像高は86.9cm、楠材で、一木から彫
成し、内刳は行わない。漆箔仕上げ。
左手に蓮華をもつ。

09-09 白鳳
宝蔵院:六観音・月光菩薩
像高は77.9cm、楠材で、一木から彫
成し、内刳は行わない。漆箔 仕上げ。
口を一文字に結ぶ。天衣は腰の高さ
でかさなる。

10-1 白鳳
観音菩薩(金堂薬師如来像旧脇侍)
かつて 金堂薬師如来の脇侍とされ
て置かれた菩薩像の一体。像高54
cm、金銅仏。

10-2 天平
宝蔵院:梵天
 もとは食堂本尊の右に安置され
 ていた。像高は110.2cm、クスノ
 キ材を芯とした塑像。

10-3 天平
宝蔵院:帝釈天
 もとは食堂本尊の左に安置され
 ていた。像高は109.5cm、クスノ
 キ材を芯とした塑像。

10-4 平安前
国宝:地蔵菩薩立像
 大神神社の大御輪寺に伝わった
 像で神仏分離の際に法隆寺に移
 された。以前は金堂に安置。

10-5 平安前
国宝:地蔵菩薩立像(2)
 像高173.0cm、カヤ材の一木造
 本体から台座まで一材で木取り
 する。内刳はない。 左手に宝珠
 を載せる。

中宮寺
 聖徳太子が母后のために創建した
 尼寺である。戦国時代の兵火で 建
 物が焼失、 現在地にある法隆寺の
 子院に避難。本堂は 1968年再建。
 本尊は如意輪観音(国宝)。 現存で
 は日本最古の刺繍天寿国繍帳を所
 蔵 。

11-1 白鳳
国宝:菩薩半跏像
 モナリザ、スフィンクスと並ぶ世界
 三大微笑像の一つ。 和辻哲郎が
 古寺巡礼で絶讃。

11-2 白鳳
国宝:菩薩半跏像(2)
 像高132.0cm、クスノキ材を矧ぎ
 合わせる寄木造。 7世紀後半の
 作。

五重塔
木造の五重塔では、世界最古のも
の。 裳階付きで、高さは 32.55m。
初重内陣には東西南北4面に塔本
四面具と呼ばれる塑造の群像を安
置。塔の心柱を支える地下1.5mの
深さに舎利容器などを納める。

12-1 天平
国宝:塔本塑像・北面(1)
 涅槃像土:中央に横たわる釈迦涅
 槃像を含め計34躯の塑像を配置し
 32躯が国宝。釈迦涅槃像の像長は
 98cm。

12-5 天平
国宝:塔本塑像・西面
 分舎利仏土:29躯と金棺1基、舎
 利塔1基が国宝。 金棺26cm、舎
 利塔37cm、像は17-40cm。

12-2 天平
国宝:塔本塑像・北面(2)
 釈迦の死を悼む羅漢の像。「法隆寺
 の泣き仏」とも呼ばれる。 像高は18
 から58cm。

12-3 天平
国宝:塔本塑像・北面(3)
 阿修羅像は著名な興福寺の同像
 より古い作例として注目される。

12-4 天平
国宝:塔本塑像・東面
 維摩詰像土:16躯が国宝。像高は
 維摩像45cm、文殊52cm、その他
 が 28-45cm。

12-6 天平
国宝:塔本塑像・南面
 弥勒仏浄土:弥勒仏が説法する浄土
 を描く。ほとんどの像が後補で、弥勒
 仏椅像1躯のみが国宝。中尊の倚像
 は少ない。類例は深大寺釈迦如来。

伝法堂
 750年頃に聖武天皇の橘夫人宅を
 施入したものと推定。 奈良時代の
 住宅遺構としても貴重。 堂内は中
 の間、東の間、西の間とに 天蓋で
 分けられる。それぞれに乾漆造阿
 弥陀三尊像が安置される。

13-1 天平
東の間:阿弥陀三尊・中尊
 像高87.7cmの木心乾漆像。転法
 輪印を結び右脚を上にして坐す。

伝法堂内陣
 天蓋で東の間、中の間、西の間に
 分ける。 本尊は三間とも阿弥陀三
 尊像である。

13-2 天平
伝法堂:阿弥陀三尊・中尊(2)
 胸前に両手を構える転法輪印を結
 び、「中の間」「西の間」の三尊像と
 は逆に右脚を上にして坐す。

13-3 天平
東の間:阿弥陀三尊右脇侍
 前後二材矧ぎの木心に木屎漆を
 盛り上げて整形した木心乾漆像。

13-4 天平
東の間:阿弥陀三尊観音菩薩
 像高は126.5cm、 冠や化仏がなく
 観音菩薩とは特定はされていない。

13-5 天平
東の間:阿弥陀三尊観音菩薩(2)
 両脇侍像の顔を中尊側に45度回転
 させて安置すると、台座の格狭間が
 正面に向くように収まる

14-1 天平
中門:金剛力士立像・阿形
 711年に中門安置。像高は阿形が
 380cm、吽形が379cm。本来は塑
 造である。

14-2 天平
中門:金剛力士立像・吽形
 吽形は 16世紀に大部分が木造
 に阿形は、奈良末期に大幅に造
 り替えられた 。

夢殿
 739年頃に建立の八角円堂。堂内
 に聖徳太子の等身像とされる救世
 観音像を安置する。その他救世観
 行信僧都坐像、道詮律師坐像など
 を配置。鎌倉時代には軒の出を深
 くし、屋根勾配をにするなどの大修
 理を実施。

中門
 中門は、飛鳥時代の築で、入母屋
 造りの二重門。桁行4間(正面の柱
 の間が4つ)の珍しい形式。西院伽
 藍の入口である中門から大講堂に
 向けて西院伽藍を取り巻く 回廊が
 伸びている。

夢殿・東院伽藍

15-2 飛鳥
国宝:救世観音(2)
 1884年に古社寺調査のフェノロサ
 が数世紀ぶりに厨子を開扉し像の
 姿を確認。

15-3 天平
国宝:行信僧都坐像
 行信は東院伽藍の創立者である。
 像高 88.5cm、麻布を漆で重ねた
 脱活乾漆像。

15-1 飛鳥
国宝:救世観音(1)
 像高は179.9cm、クスノキ材の一材
  から木取り。

15-4 平安中期
国宝:道詮僧都坐像
 道詮は859年頃、当時荒廃していた
 東院を再興する。像高87.3cmの塑
 像。

西円堂
西院伽藍の西北の丘の上に建つ八
角円堂。橘夫人の発願により718年
に創建。焼失後 1250年に再建。
堂内の空間いっぱいに坐す本尊国
宝 薬師如来坐像は 奈良時代の乾
漆像。 本尊台座周囲には小ぶりな
十二神将立像が並ぶ。

16-1 天平
国宝:薬師如来坐像
 像高246cm、脱活乾漆像。体躯は
 やや太りぎみで、衣文は 深く表す
 が、造形が単調で形式化している。

16-2 天平
国宝:薬師如来坐像(2)
 千仏を表した光背は後補で1283
 年の作。台座は八角の裳懸座で
 大部分当初のものである。

16-4 天平
西円堂:十二神将(2)
 ヒノキ材で玉眼を用いるが、子神像
 と亥神像のみが一木造で他10躯は
 寄木造。

上御堂
天武天皇の皇子である舎人親王の
発願によって建立と伝承。 989年に
倒壊し、現在の建物は 鎌倉時代に
再建されたもの。 また、秘仏だった
救世観音像(国宝・飛鳥時代) を納
めていた江戸期の厨子を保管。

17-1 平安中期
国宝:釈迦三尊・中尊
 上御堂が 創始された10世紀前半
 頃の制作。像高は230cm、サクラ
 材の一木像。

16-3 天平
西円堂:十二神将
 像高75.7-96.0cm。本尊薬師如来
 像の台座を囲んで外向きに立つ。

17-2 平安中期
国宝:釈迦三尊・中尊(2)
  913年作造の醍醐寺薬師堂の薬師
 三尊像と様式的に共通点がある。

17-3 平安中期
国宝:釈迦三尊左脇侍・文殊
 脇侍像の両腕と各像の台座は後補。
 左脇侍の像高は154.2cm。

17-4 平安中期
国宝:釈迦三尊右脇侍・普賢
 脇侍像の両腕と各像の台座は後補。
 右脇侍の像高は150.2cm。

講堂
 学問の研鑽と法要を行う日本最古
 の学問研究所。 990年に再建され
 た。毎年4月8日には 講堂真ん中
 に釈迦誕生仏がまつられて甘茶を
 注ぐ仏性会を開催。

18-2 平安中期
国宝:薬師三尊・中尊(2)
 伏目がちの表情、平行して流れる
 穏やかな衣文などから、制作は堂
 が再建された990年頃。

18-3 平安中期
国宝:薬師三尊左脇侍・日光菩薩
 像高は左脇侍が172.1cm、右脇侍
 は172.1cm。平安中期のやや伏目
 の穏やかな表情。

18-4 平安中期
国宝:薬師三尊右脇侍・月光菩薩
 宝冠をいただき、両腕を前方に差し
 出し、両像とも中尊に近い方の手を
 下げる。

18-1 平安中期
国宝:薬師三尊・中尊
 像高247.2cm、檜材の寄せ木造、漆
 箔 。平安初期風の量感豊かな像で
 ある。

聖霊院
 1121年聖徳太子をまつる仏堂として
 東室の南端を聖霊院に改造。 神殿
 づくりの建物の中に、 黒漆で仕上げ
 た大きな厨子が3つ造り付けてある。
 中央の厨子に 太子、その左右の厨
 子には眷属像が収められている。

19-1 平安後期
国宝:聖徳太子坐像
 像高は 84.2cm。木造、切金、彩色
 仕上げ。像内に法華経 維摩経・勝
 鬘経と銅造の観音菩薩像とを納入。

19-3 平安後期
国宝:殖栗王(えぐりおう)
 聖徳太子の異母弟。像高は53.9
 cm、筥(はこ)を持つ。

19-2 平安後期
国宝:山背大兄王
 聖徳太子の子、 像高64.0cm。
 如意を持つ。

19-5 平安後期
国宝:恵慈法師
 聖徳太子の法の師にあたる高句麗
 僧。像高63.9cm、柄香炉を持つ。

19-4 平安後期
国宝:卒末呂王(そまろおう)
 聖徳太子の異母兄弟。像高は
 52.4cm、 大刀を持つ。

経蔵
 元来、教典を安置する場所で有っ
 た。 現在は百済渡来の観勒僧正
 の像を安置。

20 平安中期
経蔵・聖僧坐像(伝観勒僧正)
 像高90.6cm 、ヒノキ材の左右割
 矧ぎで内刳をほどこす。

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